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ぼくのコドモ時間13

时间: 2019-12-05    进入日语论坛
核心提示:おいッ おいッ孔雀!小学校にあがって最初の遠足は、井の頭公園でした。井の頭公園は広い庭園で、中には動物園もあるし、大きな
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おいッ おいッ孔雀!

小学校にあがって最初の遠足は、井の頭公園でした。井の頭公園は広い庭園で、中には動物園もあるし、大きな池や、それを渡っていく橋もあります。
遠足の日の写真には、その大きな池の前で、先生と父兄と同級生で百人近い人が写ってます。その中にボクは、何事もなかったような大きな顔で写ってます。水筒を斜めにかけて、リュックをしょって、スミで名前の書かれたハンケチを名札がわりに胸につけて、その胸を堂々と張ってるワケです。
というのは、この写真を撮る前に、大騒ぎだったはずなのになァと思うからです。
つまりボクは、この広い庭園で学校の遠足の最中に迷子になってしまったんでした。見学は団体行動で、先生のあとについていかないといけない、このことはきっと事前に、注意事項として徹底されてあったハズです。
もちろんボクも言われた通りに、みんなと同じように、前の人と間をあけないように、いっしょうけんめい歩いていたんでした。なんだか、どこまで続いているのかと思うような歩きにくい砂利道だった。
灰色の砂利と、前の人のお尻だけを、じっとにらむようにしながら、必死に歩いていたような気がします。列は動物園に入って、規則正しく、いろんなオリの前で立ち止まって、観察したり、説明を聞いたりしながら進んでいたと思う。
そうしてボクたちは、孔雀のオリの前で立ち止まったのだ。
ボクは絵本で、孔雀が羽根を広げたところを見たことがあった。あれはとってもハデでリッパでゴーカなものだった。動物園に行ったら、孔雀が羽根を広げたところをきっと見よう、とボクはその時思ったのだった。
ところが孔雀はぜんぜん羽根を開かない。トットットッと歩いたり、じっとしてしまったり、めいめい勝手にしていながら、しめしあわせたみたいに羽根はしまったままです。
ロータリーのガソリンスタンドでは、七面鳥を飼っていて、ボクはそれを時々見に行った。外人のお爺さんみたいなヘンな顔だしヘンな声で鳴いておもしろい。でも七面鳥の羽根の色は地味で、とっても孔雀とは比べものにならない。ボクはぜひとも孔雀の羽根の開くのを見たかったらしい。
ボクのすぐとなりには、ソフトをかぶってコートを着た、絵本に出てくるようなお父さんが、絵に描いたような男のコをつれて、やっぱり孔雀の羽根の開くのを待っていたのだった。そのコのお父さんは男のコに孔雀の羽根の開くワケを教えていた。
「孔雀は羽根を見せびらかすのに開くんだけど、オコった時もそうするんだ」
そういえば、オコらして羽根を見ようとするんだろうか、知らない大人の人が、そこらの小石を孔雀のほうに投げたりしている。
ボクは孔雀に「おいッ」「おいッ」と、横柄に呼びかけてみた。そういう呼びかたは失礼だから孔雀がオコると思ったのだろうか?
「おいッ」
となりで鉄柵につかまっていた、お父さんづれのコがこっちを見たけど、ボクはかまわず孔雀を横柄に呼び続けたのだった。
「おいッ、孔雀! おいッ」
と、その時、孔雀が羽根を開いた。絵の通り! いやもっと光ってキレイな、リッパなそれは羽根だった。
よく見るとチリチリと羽根がふるえていてフワフワしている。ボクはそれを鉄柵につかまったまま、ずっと見てたんでした。
「ボーヤ、いいのかい? みんなもう先に行っちゃったよ」とソフト帽のおじさんがボクに尋ねた。男の子もボクを見ている。
そのあたりには、ボクがあんなにケンメーになってついてきた「列」が、まるきりかき消すようになくなっていたんです。
そうして、またしてもそこからの記憶がまるでない。一年生のコドモが迷子になって、�原隊�を捜してれば、そこらの大人が力になってくれただろうし、あるいは、さんざん捜して迷ったのかは知らないけれども、とにかくなんとかなったらしい。だから写真にも写ってる。
孔雀を見たのがよっぽどうれしかったのか、その時の遠足の記憶は、孔雀にしぼられていて、そのあと、とほうもなく広がっている砂利の地面とちょっとした不安、というのを思い出すキリなんですね。
遠足で迷子になってしまったことを、家に帰って報告したのかどうか、家族でそんなことを話した覚えがあまりないから、あるいはしなかったのかもしれない。
だいたい、ボクはボーッとしたコドモで、話をするのもひどくノンビリしてましたから、報告しても、何のことかわからなかったかもしれないんです。
「えーとね、うんとね、今日ね、えーとね孔雀が開いた」
「えとね、うとね、あーのね」って具合ですからね。
小学校の一年生くらいの記憶なんて、ふつうはもっとくわしく覚えているもんなのかもしれませんが、ボクが覚えているのは、この孔雀事件と、りんごとみかんの貼り絵事件くらいなもんなんです。
あとはもう、もうもうとしたというか、ボーッとしたカスミの中のようで、ずうーッと長く続いている廊下の景色だの、教室の中の新しいランドセルの革のにおいを思い出すくらいなんでした。
団体行動に不慣れだったのは、小学校にあがる前に、幼稚園に行かなかったこととも関係があるかもしれない、と思ったりもします。二年生のころまでは、ボクはどうも同じくらいの年のコドモが大勢いる中で、なんとなく、ハグれたような気持でいたようでした。
自分はどんなふうにしたらいいのか、立ち往生してるのに、みんなには共通の理解があって置きざりにされてるような気分もあったのだと思う。そうして廊下をボーッと見ていたから、そんなイメージが残っているんでしょう。
ただ、ボクは孔雀のオリで、自分勝手に団体行動を乱したのが、自分にとってはプラスだったような気がします。小学校一年生の記憶が、学校の廊下の景色だけっていうんじゃちょっとつまんない。
廊下の向こうから、孔雀がとっとっとっと歩いてきて、こっちを見ている。
「おいッ!」
「おいッ!」
「おいッ孔雀!」と呼びかけると、失礼な小学生に孔雀がおこって、とびきり豪華な自分の羽根を豪勢に開いて見せる。
「なめんなよ一年坊主!」
と、こんな具合です。
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