大人になって、ボクはバーとかキャバレーとかクラブとかにも入れるようになりました。
「水割り」とか「ジントニック」とか注文して、となりにキレイなおねえさんとかがいても平気です。
コドモの時には、バーはアナザーワールドだったのにな、と大人になって、バーとかキャバレーとかに平気で入れるようになってしまったボクはちょっと残念なような気がするんでした。
近所にバーができたのは、ボクが小学校の三年生くらいだったでしょうか、しんちゃんのお母さんが働いていた「サンキュー食堂」が、一部を改造してバーになってしまったのです。その場所でボクは、氷イチゴとか、モナカアイスとか、一枚五円のおせんべとかを食べながら、お相撲を前頭の土俵入りから、弓取り式まで見ていたっていうのに、そこが「トリスバー39」になってしまったとたんに、決して入っていけない場所になってしまったのです。
サンキュー食堂の前は砂利置場になっていて、ボクらはその空き地で、三角ベースをよくしていましたが、まだ明るい三時か四時ころに、黒いドレスを着た、でもまだお化粧前のおねえさんが、お店の掃除をしたりするので、�バーの|なかみ《ヽヽヽ》�がちょっと見えたのです。
外は明るくても、窓のない「トリスバー39」の店内は、いつも夜になっています。ちょうど青空に四角い夜の穴があいているような、それは不思議な景色なんでした。ボクは一塁手のまま、その夜の部屋をボーッと眺めているんです。おねえさんは、モップで床をふいています。頭にはパーマネントにする、サメの口のような金具をいっぱいつけてます。
部屋が夜になっているのは、暗いこともさることながら、赤や青や黄色や緑や紫の電球が灯っているからです。そうして、見たこともない、変なカタチをした洋酒のビンが、飾り棚にたくさん置いてあります。
それから、脚のついたコップ(カクテルグラスやブランデーグラス)が置いてあるのが見えます。そのころ家庭にはそういうコップはありませんでした。優勝カップみたいな、そういう�本式のコップ�は絵で見るくらいで、キャラメルの箱のセロハンなんかで、つくってみたりしたものです。それがたくさん置いてある。
ボクはグローブをはめたまま、口をポカンとあけてそれを見ていたと思う。でも、それはそんな長い間じゃないんです。おねえさんはバケツの水を、道にぶちまけると、英語の書いてある赤いドアをバタンとしめて中に入っていってしまって、もう外には出てきませんでした。
おせんべを食べながら、寄っかかっていた壁は、もう以前とはぜんぜん違う場所になっていたんでした。ボクも大人になったら、あの中に入れるんだな、そうして、あの脚のついたコップみたいな、高い椅子に腰をかけて(それは実際とほうもなく高い椅子に見えた)あのつるつる光る長いテーブル(カウンター)でお酒を飲むんだな。とボクは想像しました。
あそこに、早く入れるようになりたいな、とボクは思ったけれども、一方でそれは、あの背の高いあぶなっかしい椅子(止まり木というのだというのを知っていた)みたいに、どこか�おとし穴�のような、アブナイ、こわい場所のような気もしたんでした。
バーとかは「あぶない場所だ」というのを、なんとなく大人の会話を小耳にはさんでいたからもあるけれども、自分でも有力な証拠を握っていたからです。
鈴木さんは、クラスが違うけれども、顔がフランスキャラメルなので有名なんでした。どうしてかというとお父さんがアメリカ兵だからだ、と教えてくれるのがいて、そうしていまあそこに歩いていくのが、鈴木のお母さんだというのでボクはそっちを見たのだ。
鈴木さんのお母さんは、まるで顔が似ていなくて、やせた頬骨の高いオバさんだった。それよりボクはオバさんの様子が、ただならないのに気がついて、目が釘づけになってしまったのだった。そうなっているところに、その近所の情報通は、さらに言いふらすように小声でこう言ったのだ。
「あのオバさん、池袋のバーに行くんだゾ」。つまり、オバさんはバーのおねえさんをしているらしいのだった。言われればたしかに、オバさんは派手な服を着ていた。それにものすごく高い「赤いハイヒール」をはいていた。
何よりも、ただならぬ気配を感じたのはオバさんが、ウエストを思いっきり締めつけていることだった。その白いエナメルのベルトは、思いっきり息を吸い込んだままのおなかを締め上げるみたいに留めてあった。
ボクには、ベルトを締めつけてハイヒールで歩いてくるオバさんが、まるでウンコが出そうになるのを必死でガマンしてる人のように見えたのだった。顔色は悪いし表情は息を吸い込んだまま固まっている。
〈バーはおそろしい場所だ〉とボクが思ったのは、このオバさんの表情によるらしかった。これから池袋のバーに行くオバさんは、そのためにあんなに切迫した緊張した顔になってしまっているのだ。とコドモは思ったのだ。いったいバーにはどんな危険が待ちうけているのだろうか?
それでもボクは、バーに行きたい、と思っていたのだった。あの床屋さんにあるような変なカタチの壜《びん》に入った、緑色や黄色のお酒を飲んでみたいと、そう思っていたのだった。
ところが、大人になったころは、そんなことをすっかり忘れてしまっていた。いつのまにか行くようになっていた酒場は、ただ酒を飲むところなだけで、ちっともアナザーワールドでもトワイライト・ゾーンでもなかったからだった。
このことを思い出したのは、銀座の「ルパン」とか蒲田の「金時」に入った時だった。銀座のルパンは、太宰治が止まり木にあぐらをかいてる写真で有名なバーです。ここの店内がいっとう、コドモのころに感じたバーに近かった。もっともトリスバー39は、もっとチャチでケバケバしかったけれども。
蒲田の「金時」はキャバレーですが、ここは店内がまるきり日活アクションの一シーンのようになっている。こういうイメージは、コドモの時にはありません。日活映画を見るようになったのはずっとあとだったからです。ではなぜ、ここでコドモ時間に引き戻されたのかというと、ここにいる�おねえさん�が、まるっきり、当時のおねえさんのようだったからでしょう。まるでタイムスリップしたみたいにおねえさんは昭和三十年代になっていたんです。
ただ残念なことには、その時ボクはちっとも大人っぽくできなくて、以上のような話を黒いドレスの、髪の毛がロンドンの衛兵みたいな厚化粧のおねえさんに、いっしょうけんめい話していたんでした。どうもボクはコドモの時に思ったようには大人になれていないようです。