アダムとイブのアダムさんが、ご禁制のリンゴを食べて楽園を追放されたっていう話はもうずいぶん昔の話ですが、あのリンゴというのは、いまの姫リンゴくらいの小さなものだったそうですね。盗み食いをしてるところを、神様に見つかって、ビックリ、喉につまらしちゃったもんだから、それから男の人には喉仏があるんだそうです。それにしても、なんだって、神様の話に仏様が出てきちゃうのか不思議ですが、もともと、アダムさんの話は名前からもわかるように外国の話なんでした。
果物も、食べやすいように、おいしいようにいろいろ、お百姓さんが研究をして改良をしているんでした。リンゴが大きくなったのはいつのことか知りませんが、ボクが小さな時に比べてもかなり大きくなってると思います。
トマトは一時期、どうしてこんなことになったのか? と思うほどまずくなりましたが、またおいしいトマトも出てくるようになりました。そうなってしまうと、オヤ? コドモのころに食べていたトマトは、こんなにおいしいもんだったかな、もっと青くさくて、なまぬるい味がしていた気がするけど、と思うんですね。
青くさかったり、なまぬるかったりするよりも、おいしいほうがいい。かと思うとそうばかりではないので、あの青くさいのも、ちょっともう一度食べてみたいな、と思ったりするもんで、勝手なものです。
夏みかんのあの、まるでイジめられてるみたいに極端にすっぱいヤツ、あれはもう買いに行っても、どこにも売ってなくなってしまいましたが、房を全部むいて、ガラスの器に山盛りにしたところに、お砂糖かけたの食べたいなァ、とか思うんですね。
実際に食べたって、きっとそれはおいしくなんかないと思うけど、きっとそうして食べてると、夏休みに身震いしながら、夏みかん食べてた縁側のコドモ時間が、そのままたち現れそうな気がする。庭のアサガオや、トンボが二匹とカナブンだけの昆虫採集の宿題や、Yシャツの箱でつくった水族館の工作のことなんかが、そのままイキイキとよみがえってきそうな気がするんです。
本当は、運動会のことを書こうと思って、ずいぶん寄り道をしてしまいました。運動会、というとボクはすぐに、あの青くさくてすっぱいだけの早生《わせ》みかん、あの緑色の果物の秋らしい香りのことを思い出さずにはいられないんですね。あの早生みかんも最近は甘くなって、香りが弱くなってしまったのが不満なんです。
綱引きだの騎馬戦だの棒倒しだの玉入れだの、玉ころがしだのムカデ競争だの、運動会っていうのは、ほんとにいろんなことをしたんでした。お昼の休みになると、この日だけは給食じゃなくて、家族の席へ行って、おいなりさんやのり巻を食べます。
そうして、そういう時に、そこらじゅうから、青いみかんの香りがしてくるんでした。空に万国旗、フワフワの紙でつくったピンクの花飾りがたくさんついた選手入場門とか、テント張りの来賓席、赤白の張り子のダルマや玉、真新しい体操着(といっても男の子は、木綿のトランクスにランニングだが)、赤白のリバーシブルの帽子やハチマキ、それに競争|足袋《たび》っていう、一日でダメになるランニングシューズっていう具合に、一年に一度しかないことがたくさんそろっていた。
一年に一度しか体験できないことを、何度も体験できるっていうのはゼイタクなようで、実現してしまえば、ちっともゼイタク感がないっていうのは、いまの日本人はみんな気がついてることかもしれない。夏にもみかんが食べたいと思うのは、昔なら大店《おおだな》のドラ息子が、しかも病気になった時にやっとかなう夢だったけれども、現代日本人ならいつでも食べられる。
浦島太郎って、なんであんなに家に帰りたがるのか?(帰っても知らない人ばっかりになっているのに)と結末を知ってるボクは、話を聞くたびに残念なのでしたが、しかし一方で鯛や鮃《ひらめ》の舞い踊り攻勢の退屈や、飽食の気分も、うすうす感じてもいたのだった。
運動会の終わってしまったあとに、体育用具の小屋で紅白のダルマや玉入れのカゴを見たりする時の、奇妙なうらさびしさが�楽しいこと�のしくみを感じさせていたのでしょう。
いつもできてしまうこと、というのは楽しくないんです。お正月もお祭りも遠足も学芸会も、一度でガマンするから楽しいのだ、とボクは決めている。
そういえば、あの一日でダメになる競争足袋っていうものも、そういうワケで、すぐれた小道具だったんだなあ、といまさらのように思い出します。布でできたソックスと足袋と運動靴の中間のような、この奇妙な履き物は、裸足で走るのと同じような軽さが身上だった。これを履けばいつもの三割がたは早く走れそうだったが、みんなも同じように競争足袋だからなのか、ボクはそれで一番にも二番にも、三番にもなれないのだった。
ボクはどうも駆け足がおそくて、そんなわけだから運動会の日は、栄光とか得意とか、晴れの舞台というようなことはなかったのです。あの一着二着三着の子が、数字の入った三角の旗の下にたまっていって、テントのところで賞品のノートや鉛筆をもらったりするのを〈いいなあ〉と思って見ていたのだろうと思うんだけど、なぜなのか、その時のくやしい気分とか、不満の気分とかはどうしても思い出せない。
それよりも、終始流れていた音楽やアナウンス、パタパタはためく、ブラジルやインドやニュージーランドやアメリカや、イギリスやイタリアやフランスやネパールやソ連やドイツの万国旗の色に、楽しい、いつもと違う気分を感じていた、そんな様子ばかりが思い出されるんです。
泥がついて、半分やぶれかけてきた競争足袋や、すりむいた膝小僧を洗いに水飲み場まで歩いていくところや、ゆでた栗の湿った皮のにおいを思い出せる。乾いたむしろのにおいや、のり巻ののりのにおいも思い出せる。そうしてそんなことがみんな楽しいのだ。
そういえば五年生ぐらいからは、お昼が給食になった。ざらめのかかった揚げパンとミルクおしるこかなんかの特別メニューでした。それをいったん教室に戻っていつも通りに食べる。家族が来られない子への配慮だったのでしょうが、やはりちょっとさびしいもんでした。