原田くんは、ドンドン橋の上にいた。ボクは小学校の四年生で、学級委員だから、先生にたのまれて、ズル休みをしている原田くんをつれ出しに来たのだった。
原田くんの家にはダレもいなかった。ボクは仔犬を捜すように、ほうぼうを捜し回ったのである。そうして、山手線の車庫の上をまたいだ陸橋「ドンドン橋」に来てみたのだ。
ドンドン橋は二メートルくらいの幅の、ぼく小ぶりな橋だが、長さだけはたっぷり四十〜五十メートルはある。車庫に入る引き込み線が何本もあって、電車がたくさん休んでいる。そのころの電車はどういうわけか、みんなチョコレートのパッケージのようなくすんだアズキ色だった。
電車は動いていても、止まっていても、どこかなつかしいようなところのあるモノで、だからボクがドンドン橋に上がった時には、もう学級委員の義務感からは逸脱していたかもしれない。
原田くんを捜すふりをして、電車を見に来たのかもしれない。ところが冬の陽があたった四十メートルの縁側のようになっている、そのドンドン橋の上に、原田くんはたった一人、足を投げ出して座っていて、何かの工作をしていた。
「先生が学校に来いってさ」とボクは言って、そばに座りこんだ。原田くんは返事をしないのだ。原田くんは学校がキライだ。キライだからズル休みをするので、勉強が遅れるので、ますます学校がキライである。原田くんがつくっているのは模型ヒコーキだった。
模型ヒコーキは千歳飴《ちとせあめ》くらいの紙袋に、木のプロペラや、竹ヒゴや、動力のゴムなんかの材料が入っているヤツで、いまのプラモデルなんかに比べると、まるっきり、デッカイ|おてもと《ヽヽヽヽ》といった具合のそまつなものだった。
設計図というより、カンタンな工作の手順を描いた紙があって、原田くんはそれを見ながらヒコーキを製作中である。原田くんは、知恵遅れじゃないと思うが、なにしろたまにしか学校に来ないから、学校に来ると、どうも周りになじめないし、先生にあてられても�答�が言えないのである。
かけ算とか、漢字もキライだ。勉強は仲間はずれにされたみたいでオモシロくないのだ。それで原田くんは無口になる。ほとんど話をしないのだ。
ボクは、無口なタクシードライバーに話しかけるみたいな感じで、つまり相手がなんの気なしに答えられるような�無難な話題�をふってみたと思う。
材料の袋に印刷してある「土星号」とかいうような、そのヒコーキの題《ヽ》をチラッと見て、
「それ、なんていうの?」ときいた。無難な話題だ。原田くんは、やっと答えてくれた。
「モケーヒコーキ……」
そんなこたわかってるよ、とは言わない。
「ふーん」とボクは言って、電車が入ってくるところを見たのだった。奥のほうでは蒸気機関車が、線路ごとグリンと回るのも見える。ドンドン橋はおもしろい。鉄道の人が、きれいな緑の旗と赤い旗を持って、ブラ下がるようにステップに乗ってるのもカッコイイ。
陽あたりがよくてポカポカする。ボクはゴロンとそこに横になった。ゴロンと横になると見えるのは空だけになるのである。
「気持いいなァ」とボクは思って、そのまま口に出したのだ。
「ああ」と原田くんは言った。ここは気持いいオレはいつもここにいる……と原田くんは初めて長いことをしゃべったのだった。
ボクはなんだかウレシかった。でも、それきり原田くんはまた黙って、竹ヒゴをロウソクで焼いて曲げたり、しているのだった。
「もうだいぶできたな」とボクは言った。だいぶできたのである。
原田くんは、もうペッタンコになっているセメダインのチューブを、最後まで使いきりながら、言った。
「のりがないな……」
原田くんは、セメダインも知らないのか? とボクは思った。
「セメダイン買ってきてやろうか」
原田くんは、顔を上げてボクを見て、
「セメダインじゃない、のり……」と言った。こんなことでケンカするのやだしなァ、とボクは思って、黙って原田くんを見ていた。
「金は|持ってんからよ《ヽヽヽヽヽヽヽ》、|ダガシ屋《ヽヽヽヽ》行こうか」と原田くんは言った。
原田くんは、セメダインとのりの区別がついてないワケじゃなかった。竹ヒゴの骨組に紙を貼りつけて翼にするのにはのりが必要なのだった。
その後、二人で|ダガシ屋《ヽヽヽヽ》に行って、買い食いをしたか、あるいは金を持ってる原田くんに何か�|おもって《ヽヽヽヽ》�もらったか、その後のことは覚えていない。たぶんそうしたのだと思う。その日ボクが学校へ帰ったのは夕方だった。ランドセルをとりに帰ったのだ。先生になんと言ったのかも忘れた。
鮮明に覚えているのは、ドンドン橋と、冬なのにばかにまっ青な空と、それに原田くんを�見くびってた�という反省だった。ボクは反省した。原田くんを|バカ《ヽヽ》だと思ってたのが、とても悔やまれたのだった。
ボクは中学生になってから、よくズル休みをするようになった。毎日遅刻をしていて、先生に言いわけするのが、いやだったのだと思う。そのほかには理由がなかったと思う。
ズル休みをすると、たしかに、クラスのみんなが知っているのに、自分だけが知らないことができたりした。それはつまんないことだったが、「今日はだいぶ遅刻したから、ヤメにしよう、今日は休みだ!」と決めてしまった時の解放感のほうが、ずっとよかった。いきなりドンドン橋の上にいるようだった。
ズル休みをしても、ボクは別に盛り場に出かけたりはしなかった。何をしていたのか覚えてないが、座敷でゴロンとしていたのだと思う。�レジャーの使いかたのへたな日本人�みたいだなと思って、笑ってしまう。
が、ほんとはそんなふうに思ってない。
「よし、今日は休みだ!」と決断する快感のために、ボクはズル休みをしていたのだと思う。腕組みして座敷のまん中でゴロンと横になり、ニヤニヤしていただろう中学生のボクを、ボクは好きだ。
なにしろ、ボクは、学校に行けば「週番」や「日直」や「生徒会」を責任感を持って果たしちゃうような、マジメなところのある中学生だったんだから。
原田くんとは、そのことのあったあとも、とくに仲のいい友だちになったワケではなかった。よく覚えてないが、原田くんはその後もあまり学校へは来なかったのだろう。