朝起きると、植木に水をやります。狭いベランダの、小さな鉢に植えられた、ちまちました植木が、それでもキレイな緑に輝くのを見るのは、とても楽しい気分です。
まだ自分は顔も洗ってないのにね、うっとりするくらい、いい気分なんですよ。枯木のようだった枝に芽がふいてきたり、その芽が弱々しい葉っぱに生長して、つやつやしたキレイな緑を見せてくれたりすると、なるほど赤ちゃんをみどりごっていうのは、このカワイラシさなんだよなァ、とか思って、本当に葉っぱに語りかけたりしますね。
みんな元気で、ピカピカ光ってくれてると実にマンゾクなんです。もっといろいろしてやることがあるんでしょうが、何も知らないからただもう、水をあげるばっかり。それで枯れた葉っぱをとったり、周りを庭箒で掃いたりします。といっても狭いベランダですから、ちょちょいと掃くともう、すぐ終わっちゃうんですね。
「よおし、今日も元気にやるぞう!」とか言ったりするワケです。日あたりがよかったりするとさらに爽快ですね。「植木はエライ!」とかも言ったりします。顔がニコニコしてますね。
で、ベランダの柵に寄りかかって、外を見る。アパートの前は貨物船の港です。時々、ソ連の客船や日本の客船も停泊してたりしますが、そういう船の様子なんかを眺めたりしながら、ずっと手前に視線を移してくると、材木置場とアパートのすぐ前の道との境に、二メートル幅くらいの緑地が目に入る。ここの緑も桜の木や紫陽花《あじさい》や、ツツジやボクが名前を知らない草や木がみんな、やっぱり元気に緑を主張しているワケです。
ところが、この緑地というのは、前方が材木置場でその先は海っていう、人影のまばらな場所ですから、いろいろに格好の場所なんですね。立小便に格好、路上駐車に格好、休憩に格好で、コンビニの弁当を食べるのに格好、缶コーヒーを飲むのに格好、タバコを一服するのに格好、それでそうしたものを車内から一掃するのに格好なんでした。
空き缶やお弁当の空箱、チリ紙のまるめたのや、不必要な伝票や、読み終わった週刊誌というような、つまりいらなくなったゴミを捨てるのに格好ですから、それをそこに捨てていきます。
ボクの好きなキレイな緑の葉っぱの上に、点々とそういうものが散らばっている。空き缶のプルトップがそちこちで光っていて、タバコのスイガラが、模様のようにちりばめてある。時には灰皿をキレイサッパリにしたんでしょう、コンモリ盛り上げて置かれたりしてます。
ちょっと気分がね、こわれるワケです。思いたって、黒いゴミ袋をポケットに入れて、下に降りていきました。ウチはアパートの八階です。とりあえずベランダから見えるところを、スガスガしくしたくなっちゃったんですね。やってみると、大きな黒いゴミ袋がいっぱいになった。植え込みの奥のほうに、コンビニエンスの白いビニール袋に包んだお弁当や空き缶がひっかかってたりして、これがずいぶんある。下に降りていって、実際に拾い出すと、〈こんなに!〉と思うくらい、いっぱいある。
五十メートルくらいあるのかな、一応全部拾って、ゴミ捨て場に捨ててきて、もう一度、ベランダから見ると、いい眺めです。気分がハレバレするんですね。
それでまた、ニコニコしながら下をこう、眺めてますと、通り抜けざまに、カランカランカランと空き缶を投げていく車があります。おやおや、と思ってると、知らない間に、タバコの空箱やスイガラが、ポツリポツリ落ちてるのが見える。なるほど、これなら袋一杯くらいにはなるよなァ。と思います。でもまァ、先刻に比べれば、ずいぶんキレイだ。というんで顔を洗って、ゴハンを食べて仕事場に行くわけでした。
次の朝です。植木に水をやる。ニコニコ顔になって、こんどは外の植木を見る。と、きのうと同じように、点々とゴミが捨ててあります。〈格好の場なんだよなァ〉とボクは思って、また下に降りて、ゴミ収集をします。今日は軍手とゴミバサミ、それから腕カバーまでそろえちゃって、本職みたいです。
きのうよりは少ないですが、でも袋の五分の四くらいはいっぱいになる。ゴミを拾いながら、〈オレって掃除好きだったのかなァ〉と思ってます。どうしてかっていうと、ゴミを見つけると、ちょっとウレシイんですね、「あっ、見っけ!」っていう感じになる。シメシメ……みたいな気分があるんですよ。
コドモのころもこんなだったかなァ、と思い出してみると、掃除当番のときには箒でチャンバラしたり、ゾウキンがけしてる前の子に激突したり、水泳の実況中継みたいにアナウンスしながら競争したりして、先生に叱られたりしたことや、学級会で言いつけられたりしたことなんかばっかり思い出す。
でも、そういえば、窓ガラスふきなんかさせられた時に、いちばん高いところに登って、一枚だけバカにキレイにしたりしたことがあったなァ、とか、水道で思いっきり蛇口あけてバケツに水がたまるのを見てたりしてたのをアリアリと思い出したりするワケです。
「遠心力!」とか言って、水が入ったバケツを二コ持って、グルグル回して、あげくにビシャビシャになったところなんかが鮮明によみがえってきたりして、あの掃除当番っていうのはなかなかおもしろかったなァ、なんて思うんでした。
白茶けたほこりっぽい廊下をぞうきんがけして振り返ると、しっとりスガスガしい感じになっていて、フッとため息をついた感じとか、ゾウキンのにおいとか、バケツの下に沈澱《ちんでん》した砂を洗い流して、さかさに振ってるところとか、黒板消しを二ツ持って、ハタいた時の白墨の粉のにおいとか、ガタガタ音をたてて机を半分に寄せてるところとか、板目にあわせて机を整列させてる時の気分とか、ほんとに次々に思い出が浮かんでくる。
「近ごろは掃除をさせない学校もあるんだってねェ」と、先日、奥さんのお兄さんと話している時に聞いて、それは娯楽がへってカワイソウだな、とボクは思ったんでした。
掃除も勉強と同じで、強制されるんだからもちろんその時はイヤなものなのだ。でも、やらなければ思い出すこともできないし、サボったり、フザけたりもできない。
ボクはゴミ拾いの趣味は、当分続けるつもりでいる。隠居の身になったら、もっとファッションも本格的に、カゴしょったり、ほっかむりしたりして、プロみたいにする予定だ。それにしても、自分だって、こないだまではスイガラをポイと捨てたりしてたんだからな、みんな植木に水やったりするようになれば、ゴミも捨てなくなるかもしれないな、でも、そうなると趣味ができなくなるかな、とか変な心配したりするんでした。