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ぼくのコドモ時間40

时间: 2019-12-05    进入日语论坛
核心提示:ガラスの割れた日作文の時間は苦手だった。教室の中はシンとして軽口を言うわけにもいかないし、先生は教卓でテストの採点やら、
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ガラスの割れた日

作文の時間は苦手だった。教室の中はシンとして軽口を言うわけにもいかないし、先生は教卓でテストの採点やら、エンマ帳のチェックやらして、ずっと黙っている。黒板には、
「遠足のこと」と一行、作文のテーマが書かれてあるだけだ。
「サラサラサラ」
「サラサラサラ」
と、何をそんなに書くことがあるのだろう、と思うくらいに、作文の進んでいるのは、たいがい成績のよい女子の、吉田さんや高坂さんや高橋さん。原稿用紙がなくなると、教卓に行って、一束積んであるのから一枚ずつ持ってくることになっている。
五枚も六枚も、十枚も十五枚も書く人がある。ボクは結局チャイムの鳴る直前に、自分でも〈おもしろくもなんともない〉と思うような月並な文句を書きつらねて、一枚で終わったことにしていた。一つには、作文では授業中にするような駄洒落や冗談を言ってはいけないと、いつのまにか思い込んでたフシがある。どうも勝手が違うのだった。
何か作文というのは、マジメなタメになることを書かなくてはいけないのじゃないか? と、この思い込みはいまでもいくぶん残っていて、それで時々筆が進まなくなったりする。
このあまり得意じゃない、というより苦手だった作文で、ボクは生まれて初めて賞状というものを朝礼で校長先生から授けられたのであった。右手、左手で賞状をしっかりつかんだら深く一礼をして、回れ右をする。賞状の受けとりかたも、練習させられた。
全国の小学生の作文をコンクール方式で募集して、入賞した作文を薄っぺらな冊子にのせるというようなものだったが、つまりそれにボクの作文が入賞したらしい。
「よくがんばりましたね、おめでとう」
と校長先生は言ってくださったが、ボクはその作文のどこがよかったのかわからなくて、そんなふうに表彰されたりするのがどうも腑に落ちないような気分だった。
賞状と記念品、そのころのことだから、ノートかエンピツくらいなものだったと思いますが、その包みの中に、ボクの作文が活字になっているその小冊子も入っていた。
作文は、小学校の四年生である自分が、来年やっと一年坊主になるツトムくんと、キャッチボールをした日のことが書かれてある。ツトムくんは薫風荘《くんぷうそう》という木造二階建てアパート(|アバート《ヽヽヽヽ》と言ったほうが感じの出るような)に住んでいるまだコドモだ。まだコドモだからキャッチボールをしていても、少しキツイ球を投げるとこわがって逃げてしまうのだ。
しかしコドモだから「自分は違う、もうコドモではないからだいじょうぶだ」と言うのである。ツトムくんは、その住まいである薫風荘の、ガラスドアの前に立って、ボクのボールを受けているのだ。だいじょうぶだと言われても心配だから、そおっとほうって、まるきりキャッチボールをしている気分がしないから、こちらもおもしろくない。そしてコドモのツトムくんも、やはりつまらないので不満を言っているのである。
それではと言って少しキツメの球を投げると、案の定、その球にひるんだツトムくんは頭を押さえて逃げるので、大きなガラスドアは、カンタンにパカンといって割れてしまったのである。
当時はガラスがバカに高価で、しかもむやみに割れやすいものだった。ボクらがキャッチボールしていたのは軟球で(それは字に似合わずカタイものだから)、ガラスはひとたまりもなく割れたのである。
貧乏家庭で、ガラスを弁償させられるのは物入りで、そのことを知っていながら犯してしまったミスだから、ボクはそれこそ、心臓が割れてしまったくらいなショックがあったのだろうが、作文にそれを書いた時分は、もうずっとあとのことであるし、大家さんは大目玉を食らわすより「もちろん、べんしょうはしてもらわにゃあな」と言うばかりな上に、家庭の経済を慮《おもんぱか》ったボクが小さくなってあやまると、両親は、すぐに弁償の金をわたしてくれて、拍子抜けするくらいにアッサリ事はすんでしまったのだった。
まァ、作文の大意はこんなようなことを、コドモの(当時は自分をコドモとは思っていなかったが)へたくそな文で綴ってあったわけだ。その作文がのっていて、末尾にコンクールの先生の評がついている。
「ガラスを割ってしまった時のおどろきや、大変なことをしてしまったという気持の伝わってこない作文です」とただそれだけである。つまり、ヘタクソな作文の例としてのせられたというにすぎないのだった。
〈なんだ、ホメられたのかと思えばケナされたのじゃないか〉と小学四年生は思ったハズである。そうとなれば全校生徒の前で賞状をもらったのやら、校長先生にねぎらいの言葉をかけられたのだって、全部が無意味なようなことで、ボクは〈なんでこんなことをされたろう〉と思うばかりだった。それが、たった一度のゴホービの賞状なのだから、まァ、あわれといえばあわれ。
小学四年生で、くさってしまったというわけでもなかろうけれども、以来、賞状をもらうような機会がいっさいない。もらっても素直な気分になれないのじゃないか? と思ったりするのは、もちろんもらったことがないからだ。
薫風荘の便所は、どの家もそうだったように汲みとり式だったが、アパートには人間も多いから、それだけ糞便の量も多かったのだろう。名前の通りにそこらの風には、香りが濃厚についていた。二階の便所から大便を垂れると、ややあって、たどりついた音がする。
暗い階段は大勢の人の手垢にまみれて黒光りをしていて、人々の履き物のにおいも充満していた。そういうにおいを拡散させるために、風でカラカラと回るにおい抜きの装置があって、ボクはその形にエキゾチックなお伽話《とぎばなし》のお城みたいな気分を感じていたのだったが、ガラスの割れた時に、そのにおい抜きのカラカラ回る様子をボーッと見ていたのを、いま奇妙に鮮やかに思い出した。作文にはそのことは書かなかったと思う。書いてももちろんホメられはしなかっただろうが。仲谷勉くんは生きていればもう三十八歳のオジサンである。
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