「南クン、クラスで誰が好き?」
と、みさ子さんはこれ以上には考えられないほどの単刀直入さで質問してきた。まるでイキナリ、素手で心臓をつかまれたように、ギョッとして、ドギマギしてしまう。
もちろんボクは、みさ子さんを好きなワケです。それで学校の終わったあとに、わざわざ家まで訪問して、二人でつれだって道を歩いている。つまりデートしてる。火を見るより明らかな事実を白日の下にさらしてくるような、もうダメ押しのプッシュみたいな強引なワザです。
しかし、当時の小学生はウブですから、とても正直な告白なんて、できません。その場で、まっ赤に赤面しちゃうとか、突然、無口になってしまうとかすれば、これはもう口に出したも同然ですから、そうすればいいんですが、だからこそ内心の動揺を気どられないように、つとめて平静をよそおっている。
「そうだなァ、宮内君とかハイコーとか。オトミとか……」
ボクが挙げてるのは、みんな男のコの友だちの名前です。|好き《ヽヽ》というのを、スリかえて、やっとうまいことカワしたと思ってる。
「そうじゃなくて、女子《ヽヽ》で!」とさらにみさ子さんは、土俵際までグイグイ押してきます。
人生には、あの時こうしていたら、というような決定的な分岐点のようなものが、いくつもあるような気のするものです。もう一度やらしてもらえば、もっとウマイことできるんだがなァ、と思う。
でも、それをしてしまえば、いまの自分まで他人にしてしまうことになる。�あの時�うまいことできなかったのが、自分なんで、うまいことできてれば、それは自分じゃない、ほかのヤツの人生なんでした。
ともかくボクはその時、異常に高まった緊張感を、ひたすら緩和する方向でばかり努力してしまって、つまりせっかくの盛り上がりムードに水をさすようなことをしてしまったワケです。
「エッ? 別に、別にいないよ」とボクは言った。
ボクらは公道上を、むろん手もつながずに、ただ単なる�学友�のように並んで歩いていたんでした。その後どうしたのだったか、まるで記憶にない、ただその、あまりにも核心をつく話題というもののショックが、そこにだけスポットライトをあててあるように、鮮明な記憶で残っているわけです。
その後、みさ子さんは、南クンは誰が好きなのかという質問を二度としてはくれなかったワケですが、無論、されればその都度困ってはしまったでしょう。
小学生は中学生になり、クラスが変わると明らかに、みさ子さんの気持は離れていったような気がしました。実は自分のほうの気持も、つまり新しくできた級友のうちの、やっぱり美人の、クラスの人気者の、あき子さんのほうに移っていたからだと思います。
でも、同じ学校の生徒ですから廊下でバッタリ会ったりすると、しばらくおどろいたみたいに見つめあったりしていたんです。どちらかがそんな時に目をそらしたり、そ知らぬふうに通りすぎたりをするうちに〈気持が離れた〉と感じたのかもしれない。
あき子さんに対しては、少し積極的になりました。図工の時間に、ボクはあき子さんの肖像を描いて、それはよく似て描けたんですが、「スゴイ美人に描いてる!」とほかの女のコが言うような出来でしたから、これは無言のうちに「気持を告白」してるようなものです。
運動会の時でした。ボクらはすりばち状になった芝生に寝転がって、競技を観戦していた。ボクの横には赤い鉢巻をして、ブルマをはいたあき子さんが、頭の下に手を組んで仰向けになっている。
陸上部の黒田くんが、あの陸上部員の短くて広がったトランクスで、ボクらの寝転がっているところにやってきて、ボクらよりも奥に座ってる山下くんと何か話しているんだけど、真下からは、そのトランクスの中身が�丸見え�なのだった。まるで、「見てください!」というようにそれは丸見えなのだったが、ボクとあき子さんは、その縮んだ黒田くんのチンボコを下からじっくりと�見た�のだった。
ボクとあき子さんは目があって、ひそかにニッと笑った。黒田くんが去ってしまうと、
「あいつさァ、百メートルの記録持ってんだぞ」と山下くんは話題を変えた。どうやら山下くんも黒田くんのチンボコが見えてしまったらしい。
話題を変えるといってもまだダレも話題にしたワケじゃないのだが、ともかく黒田くんのために山下くんは話題を変えたのだった。
「あのサ、走り高跳びもアレだし……」とさらに山下くんが黒田くんのスポーツマンとしての才能に言及した時だった。馬場あき子さんはハッキリ言った。
「でも、見えてたよ」
ボクはこの時のことを思い出すたびに、プッと吹き出すような気分になる。
二年生になるころには、ボクはこんどは上級生の静江さんが好きになったのだった。一日、学校のどこかで、屋上や廊下や図書館や職員室で、静江さんとバッタリ会えて、ニッコリ笑いあえると、もうそれでその日はすごく胸がトキめくのだった。
そのうち、もっといつでも、その顔を見ていたくて、顔写真がほしくなった。本人に写真を要求したり、撮らせてもらう、という発想もない。第一、そのころは自分のカメラなんて持っていないのだ。
ところが、そのあこがれの静江さんの顔写真が、意外なところで手に入ってしまったのだった。学籍簿のようなものがあって、それに全校生徒の写真が貼りつけてある。その、つまり学校の備品を、ボクはまんまと盗みとってしまったというワケだ。
ボクはそれを生徒手帳にはさんで、胸のポケットにしまいこんでおき、人のいないのを見すまして、時々、それを出して眺めていた。
その写真は、インスタント写真で、実物をよく写していなかったけれども、それでも、そこから静江さんのイメージを思い浮かべるには十分で、ボクはその盗品を、宝物にしていたのである。
ある日、クラスの女のコが五、六人、何かにたかって話している。
「ダレ? このヒト」
「あ、この人三年七組の人じゃない?」
「テニス部の……」
「なんでこんなとこに、こんな写真あるの?」
何気なくそちらを見て、ギクッとした。何かの拍子にボクは宝物を落としてしまったのだ。
「あ、その写真はボクの宝物だから、よこしなさい」とはムロン言えないのである。
ボクはその宝物が、やぶかれて捨てられるのを、まるで無関係の人間として、看過するしかないのだった。静江さんは、次の年、卒業していった。ボクは静江さんの入った高校へ進学するのだ、と進路を決めたのだった。