タケノコの皮をむいたり、トウモロコシをハダカにしたり、ソラマメをサヤから外したりする「おてつだい」がキライじゃない。やってると、小学生の頃にもどったような気がする。新聞紙をひろげて、モクモクと作業するのである。
「ハイ、アリガトネ」とか言われると、ひどく素直なコになった気分である。
サヤインゲンやキヌサヤの、スジをとるのも、トクイだ。
「もっとないのか?」とサイソクまでする。
先日やったのは、グリンピースをサヤからとり出す「おてつだい」だった。ぜんぶとり出したら、その中のいくつか、一〇粒だったか一二粒だったかに、かわいい根っこが生えてきていた。
「コレ、もうちょっと伸ばしてあげたいね」とツマが提案して、カット綿を水にひたしたのの上に置いて窓辺に出しておいた。
二、三日して見ると、芽も出て、根はカット綿の繊維をしっかりとらえだしている。
「面白いから、植木鉢で育ててみよう」と、またツマの提案で植木鉢に移植した。
植木に水をやるのが好きだから、毎朝、ジョウロで水をやるのである。すると、この豆が、スクスク伸びるのですこぶるカワイイ。
するうちに、つるが伸びて、ハリガネの枠にからみつき、いつのまにかスイートピーみたいな花をつけた。
しかも、その花から、こんどは、小さい小さい、サヤが出てきたのだ。よく見ると、プチプチ、小さな豆を抱えている。
「おい! 豆が出来たぞ! 豆だ豆だ!」と私は騒いだ。
ツマは田舎育ちだから、そんなことでは騒がないが、しかしそれでもうれしそうだ。
小さいサヤの小さい豆は、かわいくて笑ってしまう。
「カワイイなァ」
「うん、カワイイ」
と、豆は我が家のペットになったようだ。だが、我が家はロマンチックな家風ではないので私はこう言った。
「これ、もうちっと大きくなったら、サヤごとゆでて食べよう」
「それはいい、それはいい」
というので、しばらくして一四コばかりゆでて食べた。うまかった。
これでおしまいだろうと思っていると次々に花が咲くのだ。
咲いて次々にサヤが出てくる。
「今度はもう少し豆らしくなるまで待って豆ごはんにしよう」
という提案があり、私も賛成した。
おどろいたことに、サヤはずんずん大きくなって豆がどんどんふくらんでくるのだ。
「すごいな、一人前の豆じゃないか、もうこんなに大きくなってるぞ」
はやく収穫しないと、はじけてしまうんではないか? と私はハヤったが、ツマはまだまだ、と落ちついている。
毎朝、水まきをして、成長を目のあたりにしている私は、気が気でない。
「豆ははじけぬ前にとれ」とユダヤの格言になかったか? と言ったりするのだ。
「そういう格言は聞いたことがない」
とツマは言っている。
「よし! 今日だな」
とツマが言った。今日、穫り入れの儀を行なう、と宣言した。
宣言して、カゴと植木鋏を持ってしずしずベランダにやってきた。私に植木鋏を手渡すと、おごそかにこう言うのである。
「ヘーカ、おトリイレのギを……」
あそう、オレがヘーカなのね。よろしい。と私はしめやかに鋏入れのギをやった。
「パチン」
「うん」
「パチン」
「うん、てゆーかヘーカ、もっとヘタのとこも残して切ったほうが、そじゃない! そこ」
とヘーカにタメ口である。てゆーか命令口調。
「じゃあね、次はマメダシのギ」
ということになった。こないだゆでてサラダにした時より、サヤは固くしっかりしている。豆は丸々として、リッパにグリンピースである。全部出して皿にならべてみると、一〇〇個ばかりになった。
ずいぶんあるように思ったけれども、豆ごはんにすると、
「かなりパラパラかもしれない」ということだった。
「じゃあ、今日の晩ごはんに」と言うので、帰宅すると、
「ジャーン」と伴奏入りで、グリンピースの豆ごはんが出てきたのだった。
これがもう、うまいのうまいの! すごくうまいのだった。
「うまいなァ、マメごはん!」
「うまいんですよ」
「うまいなァ、マメごはん!」
「でしょ? うまいんですよ」
と、ツマもトクイそうなのだった。
なにしろ、自分たちで育てたグリンピースな上に、とり入れてすぐだから新鮮だ。買ってきた時につくったマメごはんより、数倍うまい。産地直送グリンピース。
「マメごはんは自家製に限るね」
「限るね」と、我が家は衆議一決したのだった。マメごはんは自家製に限る。