私とツマは、アフリカの大統領の名前を二人分知っている。その名前はとても日本人には発音しにくいものだったので、いえるようになるまで二人で発音練習をして覚えたのであった。
二人の大統領の名前は、ハビャリマナ・ルワンダ大統領と、ヌタリャミラ・ブルンジ大統領である。二人の搭乗していた飛行機が、キガリ空港で墜落し、いちどきに二人の大統領が亡くなったというニュースを、われわれはTVで知ったのである。
いま調べてみると一九九四年四月のことだった。
「え? なんだって?」
と私はいった。復唱しようとしてできなかったからである。
ツマがニュースを見ながら二人の大統領の名前をメモし、我々はそれから練習した。
練習して、せっかく「ヌタリャミラ、ハビャリマナ」といえるようになったが、以後この名前が、TVやニュースに登場することはなかった。折角スラスラつかえずにいえるのに。
ブルンジ紛争は、ツチ族とフツ族の民族紛争で、フツ族一〇万(一説には二〇万)の死者を出すという、非常に悲惨な事態なのであったが、私達は、それを機に、アフリカの政情といったものに興味を持ったわけではなく、単に発音しにくい人名を二つ覚えただけである。
したがって、ヌタリャミラ大統領の後任にヌティバンツンガニャという、さらに発音のむずかしい大統領の出たことも、後にクーデターの起こったことも、いま調べて知ったにすぎない。
しかし、九四年の事故以来、わが家では、何度も二人の名前は呼ばれたのであり、その度に我々はスラスラと「ヌタリャミラ、ハビャリマナ」と発音できたのだった。
スティーブ・マーチンが扮した、世界一読みにくい綴りの名前を持つ脳外科医の名前は、ハフハールというのだったが、アメリカ人にはこの人名の発音がむずかしいらしい。
やたらにこの名前を発音するのがギャグになっていたので、これも覚えてしまった。日本人にとっては、ハフハールはそれほど発音しにくいというものではなく、しかも、映画の中の登場人物の名前とあっては、覚えていても何のトクにもなりそうもない。
高校生の頃、姉のボーイフレンドが演劇をやっていて、スタニスラフスキーという人物の話をするので、その名を覚えたのはまだしも一種の「知識」のようではあったけれども、かといって、スタニスラフスキーがどんな顔をして、どんなことを主張していたのか、知っていたわけでもないのだから、これもムダな記憶であることにかわりない。
私が「スタニスラフスキー、スタニスラフスキー」と唱えているのを面白がって、もっと長い名前がある、といって、その姉のボーイフレンドが教えてくれた「インノケンティー・スモークトノフスキー」にいたっては、ナニ人のナニをする人なのかも知らないのである。
まったく困ったもので、だから無教養な者はしかたないといわれてもしかたないと思っている。
イランの映画監督、アッバス・キアロスタミは、名作『友だちのうちはどこ?』や『そして人生はつづく』、『オリーブの林をぬけて』、『クローズ・アップ』などの映画を監督した人で、私はこの人の映画をとても好きだけれども、その話をしようとして、しばらく「アッバス・キアロスタミ」と言えなくてコマッたことがある。
この時も、すこし練習をしていえるようになり、今なら何度でも間違いなくいえるのである。
これなどは、意味のある記憶といえるかもしれない。
しかし、人間の記憶力といったようなものはフシギなものである。外国人の名前などは、まったく無意味な音のつながりでしかないのに、覚えようとして、何度か練習して覚えてしまえば、何年経っても覚えているのである。
私たちの覚えたアフリカの大統領は、覚えた時には、既にその名を口にして意味のあるシチュエーションがなくなっていた。
しかし、わかってみれば、歴史の悲劇の中の人物なのであって、おもしろがって、ただその名を呼んだりするのは、不謹慎であるような人名なのだった。
試みに、何度か友人と話している時に話題にのぼせたりしてみたが、その名を知っていた人はいなかった。
そして、二人でその名を、早口言葉のようにいいつのる、我々夫婦は冷たい目で見られたのだった。
いっそのこと、二人が大統領なんかではなく、大食い選手権の優勝者と準優勝者だったりすればよかったのになァ、と我々は思っている。
そうであったならば、我々夫婦が、
「ただいま」
「おかえり」
というかわりに
「ヌタリャミラー!」
「ハビャリマナ」
といってると書いても、ヒンシュクを買うことはないだろう。
もちろん、そんなことを我々は、断じてしていない。