「救急車は大ゲサすぎる」
と人は必ず思うらしい。
旅先で、ツマが具合悪くなった。吐き気がして、腹痛胃痛がある。高熱がありフラフラしていて、いかにもつらそうだ。
ホテルのフロントに電話すると、かかりつけの医者は、今日が休診日だという。それなら救急車を呼ぶかタクシーで病院に出かけるか、どっちかしかない。
病院の住所は教えてもらった。救急病院である。電話して容態を告げたが、答えは「連れてこい」というだけだ。
「医者に診てもらったほうがいい」
と私は言った。しゃべるのもやっとのような様子のツマが、ちょっと待ってくれ、というのだ。
今、クルマに乗ったら、クルマの中で吐きそうだ。実際、先刻から何度も吐いている。タクシーで吐いたらタクシーは嫌がるだろう。私がタクシーならやっぱり嫌だ。
「それなら救急車はどうだろう?」
と私は言ったのだ。救急車には、患者が吐いても、その用意があるだろう。病院へも間違いなくたどりつけるし、患者の扱いには慣れている。
「救急車は大ゲサすぎる」
と、息たえだえみたいにして、しかも言うのだった。救急車を呼ぶしかないだろう、という時に人は必ずこう言うのである。
「救急車は大ゲサすぎる」
私も救急車をすすめられたことが二度あった。そうしてやっぱり、二度とも同じセリフを言ったのだった。
「救急車は大ゲサすぎる」
一度は交通事故だった。自転車に乗っていて、オートバイと衝突した。自転車は大破、だが私は肘をすりむいただけだった。
通行人がたくさん集まって来ていて、口々に言った。救急車に乗ったほうがいい。どこをどう打っているかわからないから。いや、今は平気でも、後にどうなるかわからない。行ったほうがいい。今呼んでくる。
「いや、でも、救急車は……」
大ゲサすぎると私は言った。どこも痛くないし、こうやってスタスタ歩ける。言ううちにサイレンを鳴らして救急車が到着し、その場の親切な人達におしこまれるように、私は救急車に乗った。
そこに寝て、と言われて、どこも痛くないがそこに寝た。幅の狭い、ビニールのつるつるしたベッドだ。
救急病院に着くと、歩けますからと私は自分で立って、自分でドアをあけて車を降りた。けたたましいサイレンの音に、どんな血だらけの患者が出てくるだろう? と、好奇の目をした入院患者の人々が、窓からいっせいにこちらを見ていた。
ミイラ男のように、顔じゅうぐるぐる巻きに包帯をしている人、首から手をつり、松葉杖をついた人達が、救急車から降りてきたのが私だけだと知ってガッカリするのがよくわかった。あの時はたしかに救急車は大ゲサだった。
二度目は原因不明の背中の激痛にみまわれた時だった。駅の改札でうずくまってしまった。死ぬかもしれないと思うほど痛かった。
結局、それは尿管結石というもので、ありふれた「病気とも呼べない」病気なのだったが、その時は原因不明の激痛である。いったんは断って仮眠室に寝かせてもらっていた私が、自分から、声をふりしぼってこう言った。
「ずいまぜん、ぎゅうぎゅうじゃよんでぐだざい」
あの時も、後になって思えば、救急車は大ゲサだったかもしれない。結局はただの尿管結石だったのだから。
路上観察学会の旅先で、赤瀬川原平さんが具合が悪くなった時も、やっぱり赤瀬川さんはこう言った。
「救急車は大ゲサすぎる……」
その時は、藤森照信さんと私が説得した。救急車はこんな時にこそ乗るものだ。オレなんか、もう二度乗った、と二人とも二度乗ったので強気だった。
藤森さんは、二度とも食中毒だったらしい。藤森さんの救急車体験が似たような病状であったこと、食中毒はバカにならないというコトバに説得されて、赤瀬川さんは救急車に乗ることに同意した。
結局、食中毒だったのか、ウィルス性の胃腸炎だったのか、病名は定かにならないまま、その日に退院ということになったのだったが、ツマの病状も赤瀬川さんの時と同じ経過をたどった。
救急車で病院へ行き、診察をうけて血液をとられ、注射点滴をされて、病名は「急性胃腸炎」。一日安静にしていて、翌日には治っていた。
「救急車は大ゲサ……」
だったのかどうか? じゃあ、大ゲサじゃない救急車に適当な病状ってどんななのか、よくわからない。
顔に血の気もなくまっ白で、ガタガタ震えながら、ふらついて、意識がボーッとしており、ロレツも回らない。しかも痛くて、吐き気もある。そこまで病人でも、救急車を呼ぼうとすれば、
「救急車は……」大ゲサすぎるのではないか? と患者は思うのだ。
ともかく、結果は無事に済んだ。ホテルの人や救急隊のみなさんにとても感謝している。素早く流れるような、プロの対応だった。
「救急車は……」エライ! とワレワレは思った。