大相撲に行ったら、ワレワレは周りがふりむくくらいに大きな声でカケ声をかけるのである。
ワレワレは、私とツマと、私の子も同然のえのきどいちろう夫妻である。えのきどいちろうさんとりえさんは、すべてひらがなだが、ワレワレ夫婦が「仲人」をした夫婦だから「子も同然」である。
アレ? 「子も同然」は、店子のことか? 私はえのきどさんの仲人だけど大家ではない。まアしかしずっと年下だし子も同然だ。私は二人が子供のようにカワイイ。
で、ワレワレとワレワレの子も同然のえのきど夫妻は一斉に力士にカケ声をかける。
カケ声をかけているのは、ワレワレだけではないのに、何故、周りがふりむくかといえば、カケ声をかける力士が「敷島」関だからなのだった。
こんなことをいったら失礼な話だが、ワレワレは敷島関と、友達同然のつきあいをさせてもらってるので、すっかり「ダチ」感覚だから、失礼もかえりみないのである。
敷島関は、格別の人気力士というのではないので、四人一斉に、
「シキシマーッ!」
「シー、キー、シー、マーア!!」
「シキシマ!!」
「シキシマーーーーーーーー!!」
と、突如として人気が出てしまうと、周囲はビックリするのである。
ビックリするが、おおかた親戚か友達であろう、と思うから、そういつまでもオドロいてはいない。
ワレワレが敷島関を好きなのは、相撲が強いからだけではない。強いのだけが好きなら、貴乃花とか曙とか武蔵丸とか、いろいろいる。
もっとも最近は、断然強いというほどでもないが。
最初に敷島関に注目したのは、えのきどいちろうさんだった。ものすごく目立っていたからなのだ。えのきどさんはその時、ワハハ本舗の芝居を見ていた。
ワハハ本舗の芝居を見にきて、ワハハと笑っている相撲取り、は目立つので、えのきどさんは注目してしまったのだった。
その後も、あんまり「相撲取り」がいそうにない、コンサートだの、ライブだので、えのきどさんは敷島関に注目してしまうことになり、えのきどさんの友人達の間で、
「アイツはどうも話せる相撲取りらしい」ということになったらしい。
つまり、冗談好きで、トンガッた感覚のある、センスのいい相撲取り。
そのうち、話しかけたか話しかけられたか、友達になったらしい。
それで「おもしろいから」と、私も紹介していただいたのであった。
「あした、多摩川の河原に来て下さい。おもしろいスから」
というので多摩川の河原に行ったのである。すると多摩川の河原に相撲取りがいて、チャンコを作っていた。それが敷島関だった。
敷島関はチャンコがメチャメチャうまいのだった。お相撲さんとつきあえるのは、たいがいお金持のダンナだと思っていたが、ワレワレは、敷島関が食材を買い出しして、ワインやビールやいろいろ用意してくださったのを、ただ一方的にゴッツァンになるダンナである。
ゴッツァンになるだけでなく、ウチのツマなどは、初対面にもかかわらず、
「お願いがあるんですけど」
と、お願いまでしたのだった。誤解があるといけないので、書いておくが、ふだんウチのツマは決して図々しくない方だ。むしろ控え目なタイプである。
しかしそのツマにして、初対面でお願いまでさせるほどに敷島関は寛容な包容力のある大人物なのだった。
包容力だけではなく、まわしを取らせれば寄り切り力も押し出し力もあるだろうが、まアともかくニコニコニコニコしていて、なんでも聞いてくれそうなのだった。
ツマのお願いは、
「ぶつかり稽古させてください!」
というものだった。
「いいスよ」
といって敷島関は、ツマに胸を貸して下さったのだった。
ツマは一気にダアーッと頭からブツカリにいって、でん! と尻もちをついた。
「ちょっと首痛いっス」
とインタビューに答えながらウレシそうだった。
その後、大相撲トーナメントで両国へ出かけた折には、敷島関は仕度部屋に案内してくれて、固くなってる私達を曙関や武蔵丸関、琴錦関や栃東関に紹介してくれ、あまつさえ、ワレワレの持っていたカメラをうばい取って、次々にお相撲さんと一緒の写真まで撮ってくれたのだった。
「敷島! いい人だねー」
「うん、敷島関はねー、親切!」
「そう、で、気さくなタイプ」
「そんでもってフランク」
「サイコー」とワレワレは、ものすごく敷島関に感激してしまった。
「チャンコもうまいし」
「気前もいいし」
「冗談もおもしろいし」
「すっごくイイヤツ!!」
ということになったのだった。だから、ワレワレは国技館で、ものすごく騒ぐのである。今場所も、敷島関に声をかけにいくことになっている。