そのお爺ちゃんを「竹取りの翁」と名付けたのは後のこと、その時はまだ、得体のしれない酔っぱらいの爺さんである。
竹取りの翁は、竹やぶの方から、自転車を引っぱって出てきた。顔が真っ赤だ。ちょっとたのしそう。
われわれは私とツマ、温泉に骨休めにきた。トーヘンボクだったか、トンチンカンだったか、そういうちょっと人を小馬鹿にしたような屋号のそば屋で、宿へ行く前に一杯やって、われわれもまァ、ちょっといい感じである。
で、記念写真を撮っていたのだ。そこへ竹取りの翁の手がぬっと出て、シャッターを押してやると言う。
「ひまだからね、一日に一〇組は、こうして撮ってやってる」
慣れた様子で、立ち位置を指定して、しかし、シャッター押すときに、ガクンと大きくカメラが動いた。
「わ! すげえブレた!」
とわれわれは思った。おそらく写真は全体「心霊」状態だろう。だがまァ、そんなことはいいので、お礼を言って、ちょっとそこで立ち話になった。
「ひまだからね、そのへんの竹を伐って、竹細工をしておる」
のだと言う。コドモに竹細工を教えたりもしてる、ひまだから……とくりかえした。気が向いたらね、寄んなさい気が向いたらね、と赤い顔で言った。近くにくるとお酒くさい。
「はあ」とわれわれは気の向かない返事をして別れた。翁は赤い欄干の橋を、ユラユラたのしそうに自転車を引いて去ってゆくのだ。
「だけどさァ、このへんの竹、勝手に伐っちゃっていいのかなァ」
とツマが言った。なるほど竹やぶといっても、そこらの様子は、温泉街の組合が整備したみたいな散歩道で、庭園風にキレイに手入れがされている。
われわれは宿に泊まって、温泉にも入り、のんびりしたら翌朝はもう帰るばかりだ。この温泉地も、ごたぶんにもれずちょっと寂れている。古い射的屋だの、金棒もった鬼にボールをあてると、サイレンのような(サイレンなのだが)雄叫びをあげるのなんかが、ものすごくアンチックになったまま営業していて、けっこう気に入っている。
何度かやってきて、一通りそれは済ましてあるから、今日はちょっと、遠回りしていままで歩かなかった道を行こう、ということになった。
風はつめたいけれども、日が照って、桜の散るのが美しい。雑貨屋さんの店先に、妙に麗々しく台所用洗剤が飾ってあったりするのもいい。
ニコニコして歩いているとツマが「アレ?」と言った。これ竹取りの翁んちじゃないの?
やめてしまった畳屋さんめいた家。その前にたよりない棚が据えてあって、竹をただ輪切りにしただけの、花入れ、ぐい呑み、筆立て、灰皿、なんかが置いてある。
ちょっと斜めに傾いてたりであまり「商品」には見えないけれども、マジックで一〇〇円だの五〇〇円だのと走り書きした値札もついている。
「あ、やっぱり」と、ツマが店の奥にいた翁に気がつくと、竹取りの翁は、おどろいた風もなく、
「まァ、まァ」奥へ入れと招じ入れてくれた。コドモが二人、一心に小刀で竹を削っている。
「うまいもんだろ、やらせりゃコドモっちにもできるのさ、あぶないだのケガするだのって、やらせないからな近頃の親は……なに? ケガァした? うん、なめときゃ大丈夫」
竹取りの翁は、今日も朝から酔っぱらっているようだ、顔が赤い。われわれにお茶を淹れてくれた。
「好きなもの、なんでも持ってきな、ホラ、これ、これこれ」
と、そこらの「輪切り」を、どんどんくれようとする。
「えーッ? 悪いから、コレ買いますよゥ、この灰皿買います」
とツマが灰皿二ヶ一〇〇〇円を払うが、そちらを見るでもなく、じゃあ、これを持っていけと、泥のついた小さな筍を二、三本、私に押しつける。
「こううして、足ですると、わかるんだ、爺ちゃんは昔っから慣れたもんだからすぐわかる。足でこううしてな、こういう出たてのがうまい、刺身にして食うといい」
「シャテイは、小学校の校長をしとる。爺ちゃんは、こんなぐうたらだけどなあ」
「いや、お爺さんがこうしてコドモに竹細工をさしてる方が、ずっと教育的なんじゃないですか」
とこれは本気でそう言うと、竹取りの翁が、ほんのりうれしそうだ。
コドモ達は、ボッケンをつくっていたのだった。まだ単なる竹の平べったいのにしか見えないが、二人でチャンバラをはじめた。
つっ立っていると、次々にそこらの「竹細工」をくれそうなので、そろそろおいとまをすることにする。
「なんだ、もう帰るのか」
「ええ、また来ますよ」
私はいただいた泥つきの筍をバッグにつめてそそくさと歩き出す。
「今朝、掘ってきたのかなァ」
「そうみたいだな、それでまた一杯やったね、すんげえ酒くさかった」
「今日もアベックの写真撮ってやるんだろうな」
筍は、帰って筍ごはんにしたらとてもうまかった。先の方は酢みそで食べた。
おどろいたことに、後日上がってきた写真は、おそろしくうまく撮れていた。