わが国には、フタスジナメクジとチャコウラナメクジの二種類のナメクジがいて、私たちが日常目にすることのできるナメクジは、この二種に限られるといってもいい。
しかも、国産種であるフタスジナメクジは、外来のチャコウラ勢力に押されて、日本のナメクジ代表の座をうばわれそうな情勢にある。
といわれても、ほとんどの人は、ふーん、ともいわないだろう。
在来のフタスジが、チャコウラにとってかわられようとしているのはチャコウラの方が若干脳が大きく、その分敏捷性にすぐれるために、エサの捕食などにおいて遅れをとるものらしい。
といわれても、ビンショウってさあ、ナメクジでしょ、どっちにしたって、とつっこみたくなるし、大体、ナメクジって何食べてんですか? と聞けば、
「まあ、あの、草なんですけどネ。で、野菜を害するってことで害虫ってことにされちゃうんだなァ」
とアダチさんはすこぶる残念そうなのだった。アダチさんは、以前にもふる里の「青梅」の由来を世に広めようと、会う人ごとに青梅の由来を宣伝する奇人としてご紹介をしたことがあるが、とてもいい人だ。
ナメクジは、野菜の害を予防するために駆除する対象としてあることはあっても、塩をかけるだの、ナメクジ駆除剤「ナメトール」という、世間をなめとーるようなネーミングの駆除剤も既にあり「学問的対象になりにくい」ため、日本のナメクジ学というのは、たち遅れているのだ。
とアダチさんは焦慮している。しかし、どうだろうか? 世界でもナメクジはそれほど話題になっているようにも思えないが、大体ナメクジ英語でなんていうんですか?
「slug……ですね」
と、これはさすがに日本唯一のナメコロジストは即答した。
じゃあ、学名のラテン語とかは?
「そんな……私は学者じゃないんですから急にいわれても困ります」
と、いうのだった。だがすぐに、
「マイマイモク、ヘイガンルイのユーハイルイ……陸生の巻貝の一種ですけどね」
と不思議な呪文のようなこともつぶやくのだった。とにかく、どういう情熱なのか、アダチさんはナメクジに現代日本人は注目すべきである、なんとかして現代日本人の耳目をナメクジへ向けたい、と念願しているもののようである。
「わかりました」
と私はいった。
「私もわかりました」
とツマもいった。我々はナメクジに注目しましょう。全日本ナメコロジー連絡協議会の会員二号と三号になりましょう、といった。
「ところで、どこにいったら、ナメクジは見られますか」
とワレワレが聞くと、会長は即座にこういった。
「チャコウラだったら、必ず自宅で見つかります」
「えっ?! じ、自宅?!」
います。各家庭にいる。だってウチ八階ですよ、マンションの。いや、ベランダの植木鉢、裏返したら、必ずいます!! と会長は断言した。
さっそく自宅の全植木鉢を引っくり返したが、ナメクジはいなかった。いませんでしたよナメクジ、と報告すると、会長は納得しない様子である。
「いや……いるはずなんだがなァ」
それからしばらくした頃だった。夜、事務所にツマから電話が入った。
「どうもねえ、国産のフタスジらしいのが手に入っちゃいましたよ」
八百屋で高知産のミョーガを買ったところが、まだコドモの二センチくらいのナメクジがついてきた。
よく見ても、チャコウラらしい退化した貝殻も見えず、背中にフタスジ帯があるので、これは例の国産種じゃないか! とツマはよろこんだそうだ。うれしかったので八百屋のおにいちゃんに「ちょっとちょっと」と声をかけた。
「コレ……」と指さして、フタスジナメクジといってね、いまではめずらしいナメクジなのだ、と説明しようとしたらしいのだが、おにいちゃんは見るなりあわてて、
「あ、とりかえます!!」
「い、いや、これでいい、いいんです!!」と、ツマはさらにあわててそのフタスジをダッカンしてきたらしい。
そんなわけで、ついてたミョーガに、レタスの葉っぱをかぶせて、いま、部屋のスミにいてもらってる、ということなのだった。
夜、帰ってみると、たしかにいた。ミョーガの上にペタリと横たわっているが動かないので、生死不明である。いちおう我が家で飼うことにした。くず野菜を食べてもらえばいいわけだろう、家計にはひびかないし、うるさくないし、いいじゃないか。
会長に電話すると留守で奥様が出られた。会長宅でも飼っているらしい。湿った土があった方がいい、というのと、外に出たら戻らないからいちおう、アミ状のものをかけた方がいい、とアドバイスをうけた。
「名前はやっぱり、ナメ太かな」
とツマから提案があり、私は賛成した。それからは毎日事務所から帰ると、レタスをめくって、生存確認をしていたのだが、三日目ナメ太が忽然と姿を消した。
どういうつもりなのだろう、何が不満だったのだろう。
近頃のナメクジの気持はよくわからない。