「伸ちゃん、どうするよ」
と、トートツにツマが言った。どうするって何が?
「タイコですよ」
コレ、と新聞の記事を指差している。
「若い女性の間で和太鼓がブーム」
らしい。ツマは若い女性ではないが、「太鼓好き」である。若い女性だったころから「太鼓好き」だった。
「あたしゃ、くると思ってたよ!」
和太鼓を思いっきりたたくと、ストレス発散にいいらしい。通勤の帰りに和太鼓教室にいって、ドドンガドン! あ、ドドンガドンとか若い女性が大勢でたたいているらしいのだった。
ツマは住職の友人の所へ遊びに行った時、本堂にあった太鼓をじっと見ていて、いきなり、
「たたいていいですか」
と単刀直入に切り出したことがある。
エ? あ、いいですよ、と友人が言うと、思いっきり、
「ドン!!」とたたいた。
ドン、ドン、ドン! とたたいた。腹にひびくような音だ。うわッとおどろくような音である。
我々のほかにダレもいない本堂は再び静寂をとりもどした。のだが、ツマはまだ、もの足りないようなのだ。友人の方をじっと見ている。
「いいですよ、好きなだけ……」
と友人が察してそう言うと、遠慮なしにバチをとって、今度は、
「ドン、ドン、カッカッカッ」
「ド、ド、ドン、カッカ」
「ドン、ドン、カッカッカ」
「ド、ド、ドン、カッカ」
とやり出した。
「おい! ダメ!」
ダメだそれは、それお祭りのダシの太鼓じゃねえか!
そこは日蓮宗のお寺なのである。
「ははは、いいですよォ何でもー」
と友人は笑っている。近所の人が聞いたら、まァ、コドモが太鼓たたかしてもらってると思うだけだろう。
「ドンツク、ドンドン!」
「ドンツク、ドンドンドン」
どんどんよくなる法華の太鼓っていうけれども、いきなりシロートが、
「ドンツク、ドンドンドン」
「あ、ドンツク、ドンドンドン」
「ドンツク、ドンドンドン!」と、あんまりウマイのも、ヘンかもしれない。
「人間はタイコをたたきたいもんだよ、人間はタイコをたたく動物だ」
と、ツマは格言を言うように断言した。世の中に、タイコをたたきたくない人間があるだろうか? と、訊くので、そりゃあるだろうよ中にはタイコのキライな人間もいるよ。
「うんにゃ! いない!! タイコを見せられてたたきたい!! と思わないなんて……」
「人間じゃない?」と私が聞くと、「そう!!」だと言った。
「伸ちゃんはさァ、時々、うーんタイコたたきてぇ〜〜!! って思うことないの?」
いや、オレはタイコたたくのキライじゃないし、昔はタイコたたいて、紙芝居タダで見てた人間だからな、と、私はコドモ時代の話をした。
紙芝居屋のオジさんがくると、私はふれ太鼓のバイトをして、紙芝居代とウサギ(水飴とソースせんべいで作る)を稼いだのである。オジさんはその間しんせいをうまそうに一服していた。
「ドン、ドン、ドンガララ」
「ドンガララッタ、ドン、ドン」
よく教えられもしないですぐたたけたもんだと思うが、必死だったんだろう、オジさんとソックリにたたけたので、このバイトは成立したのだ。
「でも、太鼓ってさァ、音がうるさいんだよねぇ、だからなかなか自宅とかじゃ出来ないのよ」
ツマは太鼓を、できれば自宅とかでたたいてみたそうなのだった。
ブームっていっても、そこがネックだな、と言ってるうちに「企画会議」になってしまった。我が家ではよくこんなカタチで企画会議になるのである。依頼がなくても、自発的に検討する。
「和太鼓教室ってカタチじゃ、そうそうは広がらないと思うんだよ」
「太鼓の達人っていう、ゲーム機があるんだけど、けっこう流行ってる。リズムがちゃんととれると、点が上がるっていうゲームなんだけど、あれ、やってる人数ってバカになんないよ、和太鼓たたきてー!! って潜在ファン、かなりいると思う」
「教室もアレだけど、やっぱ、こう聞いてもらいたいってのもあるでしょ、どうかなァ、カラオケみたいに、和太鼓バーっての作るのは」
「のんでる時、そばでたたかれるってのはどうかなァ」
「うーん、あ、じゃあさ和太鼓ルーム、和太鼓ボックスってのもいいかもしれない」
「そうか、今あるカラオケの一部、和太鼓コーナーにすればいいんだ。和太鼓用のCDカラオケもいいな、歌詞のかわりに、楽譜がテロップで流れてさ、なんか、かがり火かなんかたいてるの海岸で、荒海の波がこう逆巻いたりして、ロケ地佐渡とかって出る」
「ふんどし、もありだね。そうすると、そういう趣味の層もとりこめるし、いいねえ! いけそうじゃない」
「無法松の一生も使えるね」
「オンデコ座にあわすとかもアリ」
「ドンツクドンドン、ナンミョー、ホーレン、ゲーキョウもありだよ」というふうに企画は煮つめられた。