夕暮れの現場につくと、既に非常線が張られている模様だった。制服警官だけでなく、沢山の警備の人々が立ってものものしい雰囲気である。
二基のかがり火が盛大に焚かれていて、風にあおられた火の粉が飛ぶと、今にも一帯に引火しそうだ。ヤジ馬を入れないためだろう、太い杭が打ちこまれて、頑丈な柵がめぐらしてある。
「どっちからくるんですかヤツは」と私は通りかかった巡査に訊いてみた。
「例年通りなら、あの太鼓橋の方からだとは聞いてますが、ウソかホントかたしかなところはわかりません、私も今年はじめてなんで」
鬼がでるのは「例年」のことらしい。しかし、示された太鼓橋の方角は、きびしく柵で閉じられていて、かがり火はまさにそこで燃え盛っているのだ。
亀戸天神の人出は、存外控え目だった。落ちついてまわりを見回してみるとはんてんを着た警備の人は、近所の顔見知りと笑顔で挨拶を交わしている。
「カントク! カントク!」と、コドモ達にからかわれるように呼ばれている人がいる。カントクはどうもサッカーか野球のカントクらしい。
「そんなとこじゃ、豆は拾えないぞ。アッチアッチ、アッチいって待ってなきゃ」
とカントクは指図した。木枯しが吹いて、空がだんだん夜になり、かがり火がさらにアカアカとしてくると、いよいよ鬼が現れそうな気配である。
先刻の警察の話が聞こえているから、まわりの人はたいがい首をめぐらして、太鼓橋の方を注視している。影が動いて、誰かが「アッ」と声を出した時には人々が一勢にどよめいたが、太鼓橋を渡ってきたのは、タダの警備のおじさんだった。
「鬼が来たら、この豆をぶつけてやるんだよ、オニハソト! って声出さないとダメだよ、オニハソト! っていえるか? ほら豆しっかり持って!」
と、若いお母さんが、小学二年生くらいの息子に大きな紙袋を渡している。ずいぶん大量に豆が入っているらしい。
男の子は緊張しているらしくて、無言である。
乱暴に私の足元を押しのけるようにして柵をくぐりぬけてしまった。
「まだ! まだ!!」
とお母さんが引っぱる。男の子は、それでも無言だ。無言でそこにしゃがみこんでしまった。そしてポリポリ豆をかじっている。
「ダメだよ、あんまり食べすぎちゃ」
と、お母さんが言うのが聞こえているのかどうか、いつまでもそうしている。
本殿の方では、白装束の神官が出て、なにやら唱えるように読み上げるように言うのが、拡声器で響きわたる。
と、デデン、ドドンと太鼓が鳴って奇妙なうめき声を上げて、鬼が出た。「鬼だ!!」といって、算を乱して逃げる気配なのかと思うと、そうでない。
「鬼だねえ」
「赤鬼と青鬼だ」
と、落ち着いて論評しあっている。
「青鬼っていうが、緑色だね」
「目が四つついているよ」
そうなのだ。亀戸天神に出る鬼は目が四つある、というのは事前に我々もチェックしていた。その四つ目を見たくて、やってきたようなものだ。
四つっていうが、眉毛はどうなるのかね、眉の下に目が二つ、眉目目のようになるのか、眉眉目目とくるか、それとも眉目眉目とくるのか、そのあたりをつまびらかにしたい、という希望が我々にはあったのだった。
「伸ちゃん、眉目眉目だヤッパリ」
とツマがいった。冷静な観察である。鬼の面は、思いのほかよく出来ていた。虎の皮のフンドシは、虎の皮模様の木綿製であったし、鬼の裸も赤と緑の肉襦袢であって、あったかそうではあっても、おどろおどろしかったり、たけだけしかったりはまるでしない。
鬼は金棒ではなく六尺棒のようなものをもっていて、わあおう〜〜というようなうめき声は、ピンマイクが拾って拡声器にとばしているようだったが、全体に「借りてきた鬼」といった印象である。
しかし、私の隣の少年は、かなり緊張しているらしく、無言のまま、豆を投げつけるが当たらない。
「ホラ、オニハーソトーって、オニハーソトーって!! 声出してホラ!!」
と母親は叱咤するのだが、豆を投げつけるのでいっぱいいっぱいで、投げる豆の量も異様に少ない。
鬼はおとなしく、神官の言い分を聞いていたかと思うと、スタスタ太鼓橋の方へ帰っていってしまった。
「フクハーウチー」の声がすると、今度は算を乱して、見物は福豆を拾いに柵をこえていくのだった。
「うーむ」
と我々はうなった。鬼の面は、なかなか生々しかった。思いのほかによくできていたのだった。だが……
「鬼がちょっとおとなしすぎだと思う。鬼の背が低いのもどうかと思う。せめて一九〇センチはほしい。寒いかもしれないが、肌は襦袢ではなくナマに塗りたい。登場時はもっと暴れて、なにか器物破損するとか、悪役レスラーくらいのパフォーマンスはほしい。警官と場外乱闘もしていただきたい。柵はこわして入ってきて下さい。かがり火は倒した方が迫力があるとおもいます」といった要望が、口々に出たのだった。しかしナマの鬼を見たのは、今回初めてで、私達はかなり満足なのだった。