「笑う茶碗」の茶碗は、夫婦《めおと》茶碗のことである。つまり、この本は私とツマの夫婦生活を赤裸々に綴ったものなので、題は「笑う夫婦」でも「笑う生活」でも「笑う夫婦生活」でもよかったのだが、なんだかなまぬるいような感じなので冒頭のようにした。
もっとも、内容はきわめてなまぬるいものである。ここから教訓を汲みとることは不可能だし、かといって反面教師となるほどのこともない。実用的の役には立たないし、かといって、文学的な香りは皆目ない。
まあ、ハシにもボーにもかからないような、ドクにもクスリにもならないような、そんじょそこらの夫婦の話である。
ワレワレは一九八〇年の四月一日に夫婦になったので、今年二四年目になる。来年にはギンコン式ということになるらしいが、別段のことはない。
私はそろそろ五七、ツマはそろそろ四七になるけれども、コドモがいないせいか、あまり人間的成長はしていない。やっていることは若いころとさして変わっていない気がする。
もっとも、二人とも生物的には年をとった。二人とも老眼になったし、ついこの間までは、どこにも不調のなかった身体も、近頃は、やれ腰が痛いの、肩が痛いのとガタピシしだしたらしい。
この本のもとになっているのは、いまも連載の続いている、タウン誌『月刊日本橋』の「シンボーの日々是好日」という作文だが、私はこの文を、いつのまにか「ツマへの感謝」の手紙のように書いていたらしい。くだらないことしか書いていないが、こんなくだらないことを言って、へらへら暮らしていられるのも、ツマが私同様に冗談好きだったからなのだと、そう思うからだ。
もっとも、こんな文を読めばツマは「よせやい」と思うだろう。恥ずかしいこと書いてんじゃないよ、と言うだろう。我が家はどうも、ツマの方が私より男っぽい。