「銀ちゃんはどうしてキャベツばかり食べているんですか」
最近、アチコチでよく聞かれる。「ひらり」を見ていらっしゃらない方のためにご説明すると、銀ちゃんとは主人公ひらりの叔父《おじ》。腕のいいトビ職で、四十三歳の独身である。石倉三郎さんがいかにも江戸前の気っ風のよさで演じて下さっている。
この銀ちゃんが家で酒を飲む時は、いつもいつもキャベツが肴《さかな》なのである。それもドンと丸ごと置き、一枚ずつぺりぺりと葉をはがして食べる。当然洗っていない。
「洗わないで大丈夫なんでしょうか」
これもよく聞かれる。ドラマの中で銀ちゃんは答える。
「てやんでえ、酒で消毒すっからダイジョブなんだよッ」
NHKの朝のドラマに対する反響というのは想像をはるかに越えて大きく、それだけに私もヒヤヒヤする思いもある。今にきっと「子供が銀ちゃんの真似をしたがって困ります。キャベツは洗ってからにして下さい」という手紙が来るのではないかと、正直なところ、半分くらいは心配している。
声を大にして言うが、キャベツは洗った方がいい。今回、書くにあたって色々と調べたのだが、キャベツは葉の裏に虫がついていることが多いそうで、肥料も水洗いだけではなかなか取れないという。有識者の見解によると、中性洗剤は体に害を及ぼすとかで、本当は一枚一枚の葉を塩で洗う方がいいらしい。どうぞ、世のお母さまがたは、洗ってからお子さまにお与え下さい。切に切にお願いするしだいである。
そして、もうひとつヒヤヒヤしているのは、キャベツを食べる時の銀ちゃんはいつも手枕《てまくら》で寝そべっているのである。事実、「ひらりも銀次もお行儀が悪いし、言葉づかいも悪い。NHKたるもの何を考えているのか」という声も新聞などに載っている。それに対し、銀次はドラマの中で答えている。
「俺よォ、寝そべってる時が一番いいこと言うんだよなァ。何つったって、立つと脳みそが足の方に下がっちまって、頭が働かねンだよ」
父親の金太郎も、深くうなずいて言う。
「俺もそれ感じることあるよ」
声を大にして言う。立つと脳みそが足の方に下がって思考力がなくなるということは何ら医学的には根拠のないことである。世のお母さまがたは、お子さまに寝そべって勉強せよとは言わないで下さい。
しかし、これでもNHKは細やかに配慮をしており、実は脚本の銀ちゃんは、もっとお行儀が悪かったのである。何しろ、私はト書きにこう書いた。
「銀次、冷蔵庫からキャベツを丸ごと出すと、新聞紙の上にドンと置く。そして一枚ずつバリバリと葉をはがし、口につっこむ」
ドラマの中の銀ちゃんはちゃんと平べったいザルにキャベツをのせて運んでくる。結構行儀がいいではないか。私のは新聞の印刷インクがくっついた葉っぱを、バリバリと食べる銀次だったのである。
「ひらり」では私の夢を書かせて頂いている。町も人もみんな夢である。もちろん、東京の下町は今でも山の手とは違う匂《にお》いがあるが、「ひらり」の舞台のままではない。それでもやっぱり世田谷《せたがや》区や大田区とは何か違う。私自身はずっと大田区で育ち、下町の人間ではないが、だからこそ下町の「何か」に憧《あこが》れ、「何か」を愛している。その「何か」を現実よりほんの少し隈取《くまど》りを濃くして夢を見たい。
今、どんな雑誌を開いてもおいしいレストランの案内記事があり、おいしい食べ物の紹介がある。シェフの名前にこだわる客もいるだろうし、何年もののワインにこだわる客もいるだろう。ひと口食べて口に合わなければ、つっ返す人も現実に知っているし、あるパーティで「これは冷凍の魚だな」と言い放ち、不機嫌になった男の人も知っている。おいしい物を食べたいとは私だっていつも思う。だけど、私は何を食べても「おいしい」と言える人になりたいと思う。一口食べて口に合わなくても、箸《はし》をつけたものだけはきれいに食べる人になりたい。たとえばおいしいものをたくさん食べていても、冷凍のサンマの焼きたてにジューッと大根おろしをのせ、きれーいに食べてしまう男がいたら、私はそれだけでその人を信じられる気がする。「味」以前に「食べ物」を愛する人が一番のグルメだと私は思っている。
そんな意味で銀次もまた私の夢である。七十五歳の金太郎が作った食事を、ブルドーザーのようにたいらげる。
「イヤァ、うめえッ。しかし、父ちゃんは料理がうめえよなァ。俺、世の中で一番うめえものって、ホウレン草のお浸しと、ニシンの焼いたのと、キャベツだなァ。イヤァ、うめぇッ。ごっそさん」
そんな銀次だが、もちろんおいしい物はたくさん食べている。食べていながらやっぱり何を食べても「うめぇッ」という男はカッコいいと思う。
先日、NHKのスタジオで石倉三郎さんにお会いしたら、そっと言われた。
「俺、町内じゃ『キャベツの兄サン』って呼ばれてるンスよ。この頃じゃ、家でも寝そべって『ワンカップキャベツ』ばっかりでね。イヤァ、しかし、キャベツってうめえよなァ」
私は銀ちゃんと石倉さんの区別がつかなくなってくる。「ひらり」は夢の人たちが住む夢の町が舞台だが、脳みそが下がらないように寝そべってキャベツを食べる男が、現実にいるような気がしてくるのである。