ある日、一通の速達が届いた。
差出し人を見ると、三人の名前が並んで書かれている。
「劇団民芸 斉藤美和
南風洋子
塩屋洋子」
三人とも言わずと知れた、劇団民芸の有名な女優さんである。私はもちろんお名前も顔も存じあげているが、一度も仕事をご一緒したことはなく、一人の観客として舞台でのお姿は拝見していても、お目にかかったこともないのである。
封筒はぶ厚く、あげく速達である。私は性格が地味で、つつましいので、
「私、何か民芸に悪いことしたかしら……」
と、まず思った。しかし、民芸に知りあいは一人もいないし、悪いことをした覚えもない。いささか緊張して封筒を開くと、三通の手紙が出てきた。
三人の女優さんがそれぞれ書いて下さった手紙らしい。まったくわけがわからず読み進むうちに、私はうれしくなってしまった。斉藤さんは淡い花柄の便せんに、南風さんは和紙に、塩屋さんは真っ白な便せんに、ご自分の言葉で次のようなことが書かれていた。
「私たちは『ひらり』の大ファンです。眠い時でも八時十五分になるとベッドから這《は》い出し、テレビをつけます。こんな突然のお手紙にさぞ驚かれたことと思いますが、稽古場《けいこば》で『ひらり』の話に花が咲き、『よし、作者に手紙を書こう!』ということになってしまいました。私たちは今、『木曜日の女たち』という芝居の稽古中ですが、この芝居を観て頂きたいわねと、意見が一致し、失礼もかえりみずにお誘いのペンを取ったしだいです。内館さんとはお会いしたこともないのに不躾《ぶしつけ》ですが、『ひらり』の作者ならきっとこの芝居は気に入って頂けそうな気がしています。もしもいらっしゃれるようでしたら、ちょっと楽屋をのぞいて下さるとうれしいです」
こんな内容で、三通とも「ひらり」の感想がとても丁寧に書かれてあった。そして、招待券が同封されていたのである。
私は感激してしまった。老舗の民芸の大女優が、若輩者の私に軽やかにペンをとって下さったことも感激だったし、何だか女学生のような三人の雰囲気にも感激した。文面から稽古場での風景が目に浮かぶようである。
「ひらりの作者にお手紙出そう」
「あ、出そう出そう」
「じゃあ、三人が別々に書いて来てひとつの封筒に入れよ!」
なんて話して下さったのかな……と思うと、本当に嬉しい。私はこんな愛らしい女学生のような思いを、とっくにどこかに置き忘れてきたと、改めて思い知らされた気がした。そして、置き忘れやすいものほど、実はとても大切な心なのだということも。
こうして二月四日、私は新宿の朝日生命ホールで「木曜日の女たち」をじっくりと観せて頂いた。
お世辞抜きで、非常に面白い芝居だった。女なら誰でもわかる心理を、セリフの妙でつづっていく。劇的なストーリーは何もないのに二時間あきさせないのは、女の不安や悩みが実にうまく浮き彫りになっているせいだと思う。
舞台はパリ。六十歳の女三人が、木曜日ごとにアパートに集まってお茶を飲む。そして過去や未来のことを話しながら過ごす。ソニアは離婚経験者で四十歳になる息子を溺愛《できあい》している。マリーは夫をガンで亡くしたが、二人の娘と孫娘がいる。エレーヌは六十歳の今日まで独身で、マリーの夫の妹である。
この三人が、女の一生における過去と未来をごく日常的に、笑わせながら語るのだが、これがすごい。女の人生のテーマをほとんど網羅していると言ってもいい。三人とも六十歳という設定なので、若い女が語る絵空事とはまた一味違う。恋愛、結婚はもとより、不倫、中絶、離婚、ガン告知、更年期といった悩みを日常的な会話で語り、笑わせ、しばらくたって切なくさせる。おかしかったのは墓の話。三人で同じ墓に入って、死んでからもにぎやかにおしゃべりしようなどという話がユーモラスに語られる。ユーモラスだが、どこかで笑い飛ばせない切なさがずっと漂《ただよ》っている芝居であった。
演じた斉藤さん、南風さん、塩屋さんはプログラムの中で、六十歳の三人のことをこんなふうに語っている。
「木曜日なしでは生きていけないのよね、三人とも。次の木曜日がなきゃ」
「いずれ誰か欠けていくんでしょうけど」
そう、いずれ誰か欠けていくのが世の中なのだと改めて思い知らされる。失恋しようが、仕事で失敗しようが、結婚しようが、不倫しようが、時はまるで嵐のように過ぎ去り、いずれは「すべて夢の中」になる。そんな中に私たちは身を置き、目の前のことにカリカリ、キリキリしているのである。いつの日か、「あの頃はよかった。みんながいた」と思うのだろう。そう考えると、今、周囲の人たちを大切にしなければ……と思わされる。
芝居がはねた後、私は三人を楽屋にお訪ねした。
「ワア! ひらりちゃんがホントに来てくれた!」
華やいだ声で迎えられ、四人でサツマ揚げを肴《さかな》にワインを飲んだ。年齢も状況も違うのに、何だか初めてお会いした気がせず、あっという間に時間が過ぎ、あっという間にワインボトルがあいた。
やっぱり、生きていることはすてきだと思う夜だった。