最初に編んだのは靴下。あっ、最初って、「人にあげるための」って意味ね。そう、彼はバスケット部にいたんだ。でへでへ、照れちゃうな。
編み方は自分で考えたの。踵《かかと》はこうなってるんだから、みぎひだりを減らして攻めて行けばあのカタチになるはず……ほうらなった! みたいに。いいかげんだね。でもちゃんと出来たよ。バスケのときに履くには、ソックタッチの助けが必要だったけど、まあまあの出来だったと思う。だってその頃はねえ、はっきり言ってすでに編み物には自信あったの。「目が揃う」ってやつ? そういう安定の時期を迎えてたわけよ。中学二年の冬ごろ。
もちろん最初はひどかった。あーもう、毛糸ってどうしてこんなに絡まってくれるの、信じらんなーい! ですよ、ほんと。かぎ針はきちきち、棒針はゆるゆる、それもいつのまにか目は飛んでる。ゲージを取るのは面倒臭い。そんでいきなり編み出しちゃうとサイズがおかしい。ああ、ゲージって大切なんだわ。でもそれがわかってきても、目を数えるのはやっぱりかったるい。たぶんランナーズ・ハイのような、ただただ編み続けているときのぼうっとした気持ち良さが中断されるのは、どーもねえ。「あー、誰かかわりに数えてくんないかしら」。でもこれが好きな人にあげるとなると、ちっとも嫌じゃないのよねん、らんらんらん、と私は一気にそのスポーツ用の靴下を編み上げたのだった。
時は経ち、私は念願の漫画家になった。今では、紙粘土で作ったお人形のためのセーターを編んでも、「えっ、これ内田さんが編んだんですか。いやあ、人は見掛けによりませんねえ」と言われる。最近、それもまたよし、と思う。余談だけど、橋本治さんの編み物の本のイラストの下に書いてある描き文字は、その頃その本のレイアウトを担当したデザイン事務所でバイトしてた私が描きました。
楽しかった。