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寝ながら学べる構造主義10

时间: 2019-12-08    进入日语论坛
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1 歴史は「いま・ここ・私」に向かってはいない[#「1 歴史は「いま・ここ・私」に向かってはいない」はゴシック体]
 クリスマス時季に学生たちをわが家に集めたとき、私が編集したクリスマス・ソングのカセットをBGMにかけました。定番のビング・クロスビー『ホワイト・クリスマス』、山下達郎『クリスマス・イブ』、ジョン・レノン『ハッピー・クリスマス』、ワム!『ラスト・クリスマス』などです。これらの楽曲は二十歳くらいの学生さんたちにとっては「文部省唱歌」のようなもので、子どものころからこの季節になるといつも聞かされていたなじみ深い音楽です。ところが、私が驚いたのは、学生たちがこれらの曲を全部「昔の曲」ということで一くくりにしていたことです。ビング・クロスビーと山下達郎とどちらが年上かさえ彼らには区別ができないのです。区別できないというより、区別する必要を感じていないのです。
「えー、だって、どっちも昔からある曲でしょ?」
違うよ、君たち。『ホワイト・クリスマス』は昔だけど、『クリスマス・イブ』は最近の曲だよ、と言いかけて、私は自分もまた彼らと同じことをしていることに気がつきました。
つまり、自分がリアルタイムで「それ」が生成する現場に立ち会っていないものは、ぜんぶ「昔のもの」、「前からずっとあったもの」だと私も思い込んでいたのです。
ビング・クロスビーと山下達郎のどちらのデビューが先か分からない学生を笑った私にしても、一世代上の人から「小唄勝太郎と淡谷のり子とどっちがデビューが先?」と聞かれたら、「えー、そんなの区別する必要あるんですか? どっちも昔の人でしょ?」と平気で一くくりにしてしまうでしょう。
あらゆる文物にはそれぞれ固有の「誕生日」があり、誕生に至る固有の「前史」の文脈に位置づけてはじめて、何であるかが分かるということを、私たちはつい忘れがちです。そして、自分の見ているものは「もともとあったもの」であり、自分が住んでいる社会は、昔からずっと「いまみたい」だったのだろうと勝手に思い込んでいるのです。
フーコーの仕事はこの思い込みを粉砕することをめざしていました。そのことは彼の代表的な著作の邦訳名、『監獄の誕生』、『狂気の歴史』、『知の考古学』といった題名からも窺い知ることができるでしょう。
「監獄」であれ「狂気」であれ「学術」であれ、私たちはそれらを、時代や地域にかかわりなく、いつでもどこでも基本的には「同一的」なものと信じています。しかし、人間社会に存在するすべての社会制度は、過去のある時点に、いくつかの歴史的ファクターの複合的な効果として「誕生」したもので、それ以前には存在しなかったのです。この、ごく当たり前の(しかし忘れられやすい)事実を指摘し、その制度や意味が「生成した」現場まで遡って見ること、それがフーコーの「社会史」の仕事です。
ある制度が「生成した瞬間の現場」、つまり歴史的な価値判断がまじり込んできて、それを汚す前の「なまの状態」のことを、のちにロラン・バルトは「零度」(degre dero)と術語化しました。構造主義とは、ひとことで言えば、さまざまな人間的諸制度(言語、文学、神話、親族、無意識など)における「零度の探求」であると言うこともできるでしょう。
私たちは、歴史の流れを「いま・ここ・私」に向けて一直線に「進化」してきた過程としてとらえたがる傾向があります。歴史は過去から現在めざしてまっすぐに流れており、世界の中心は「ここ」であり、世界を生き、経験し、解釈し、その意味を決定する最終的な審級は他ならぬ「私」である、というふうに私たちは考えています。
「いま・ここ・私」を歴史の進化の最高到達点、必然的な帰着点とみなす考えをフーコーは「人間主義」(humanisme)と呼びます。(これは「自我中心主義」の一種です。)
「人間主義」とは、言い換えれば、「いま・ここ・私」主義ということです。「いま・ここ・私」をもっとも根源的な思考の原点と見なして、そこにどっしりと腰を据えて、その視座から万象を眺め、理解し、判断する知の構えをフーコーは「人間主義」と呼んだのです。この人間主義的歴史観によれば、歴史は次々と「よりよいもの」、「より真実なもの」が連続的に顕現してくるプロセスとして理解されます。(だって、「いま・ここ・私」がすべての基準なのですから、それが最高到達点であることは自明の前提です。)
フーコーはこの人間主義的な進歩史観に異を唱えます。
「いま・ここ・私」を到達点にして考えれば、たしかにすべての出来事は単線的な「進化」という「物語」の中に整序されるでしょう。私たちは無意識のうちに歴史は一直線に「いま・ここ・私」をめざして進化の歴程を粛々と歩んできた、という考え方になじんでいます。(進歩史観を逆転して、人間はひたすら「退歩」しているという考え方をすることももちろん可能です。末法思想とかノストラダムスとか通俗的なメシア主義などはその一例です。しかし、どちらにしても、歴史が定められた方向めざして「まっすぐ」に進行しているというふうに考える点では同じですし、歴史認識に際してできるだけ知的負荷を軽減したいと望んでいる点でも同じです。)
しかし、ほんとうにそんなふうに考えてしまってよいのでしょうか?
「歴史の直線的推移」というのは幻想です。
というのは、現実の一部だけをとらえ、それ以外の可能性から組織的に目を逸らさない限り、歴史を貫く「線」というようなものは見えてこないからです。選び取られたただ一つの「線」だけを残して、そこからはずれる出来事や、それにまつろわない歴史的事実を視野から排除し、切り捨てる眼にだけ「歴史を貫く一筋の線」が見えるのです。
分かりやすい例を挙げましょう。
個人的なことですが、私はときどき「庄内藩士内田家の末裔《まつえい》」である、という名乗りをすることがあります。山形県の鶴岡には「内田家累代の墓」もあり、なんとなく、私にはそういう「血」が流れているのかな、と思うこともあります。しかし、母親(旧姓河合)からすると、「あなたには母方の血も半分入ってるのに、どうして、そっちは無視しちゃうの」と愉快ではないでしょう。
たしかに、よく考えてみると、自分が「誰の子孫であるか」ということは、実はずいぶん恣意《しい》的な決定です。というのは、私には四人の祖父母がいるわけなのに(内田、河合の他に服部、榎本の四家があります)、私はそれら四人の祖父母のうち三人を除去し、一人(内田家の祖父)だけを父祖に指名しているからです。その祖父にも、当然母親がいるわけですが、排除された曾祖母については、もう私はその旧姓さえ知りません。
n代遡ると、私たちには二のn乗数の「祖先」がいるわけです。ですから、そのうちの一人の姓を名乗り、「……家の末裔」を称するということは、二のn乗マイナス一人の祖先の姓を忘却の彼方に葬り去ることに同意した、ということを意味しています。
同じように、私は自分を「純血日本人」であるというふうに思っていますし、他の人からもそのような扱いを受けています。しかし、何十代か遡れば、私の祖先の中には間違いなく外国人や日本国内の少数民族が含まれていたはずです。私がある祖先をおのれの「直系」として選択し、「日本人」としての「エスニック・アイデンティティ」を奉じているということは、言い換えれば、膨大な数の血縁者を私の系統から組織的に「排除」したということに他なりません。
似たような話がアメリカにもあります。
アメリカにはブラック・セミノール族というマイノリティが存在します。彼らの祖先は逃亡奴隷です。開拓時代、奴隷船を乗っ取って逃れたり、農園から逃亡したりした黒人奴隷は数え切れないほど存在しました。彼らの一部はアフリカと風土的に似ていたフロリダ奥地に逃げ込みました。
一方、アメリカには先住民(いわゆる「インディアン」ですね)の奴隷も多く存在しました。(地域によっては黒人奴隷よりも多かったのです。)彼らもまた白人の支配を逃れて、密林深くに入り込みました。こうして、フロリダ奥地に逃亡した先住民とアフリカ人の共生が始まったのです。そして、いつのまにか混血が進みました。
その子孫たちがいまテキサスにいます。興味深いことに彼らは自らを「アメリカ先住民」と称しており、周囲のアフリカ系アメリカ人とは一線を画して暮らしています。身体的特徴においては際だってアフリカ的でありながら、生活様式においては先住民的である彼らは、身体的特徴を無視して、あくまで自分たちは「アフリカから来た人」ではなく、「昔からアメリカにいた人」であると主張しています。彼らは祖先の一方を組織的に切り捨てているわけです。(西江雅之『伝説のアメリカン・ヒーロー』)
「エスニック・アイデンティティ」というものを私たちはあたかも「宿命的刻印」のようなものとして重々しく語ります。しかし、多くの場合、それは選択(というより、組織的な「排除」)の結果に過ぎません。ある祖先ただ一人が選ばれ、それ以外のすべての祖先を忘れ去り、消滅させたときにのみ、父祖から私へ「一直線」に継承された「エスニック・アイデンティティ」の幻想が成り立つのです。
誰の場合でも、無数の祖先のうち誰か一人でも配偶者に別の人を選んだり、子どもをつくる前にどこかで頓死したりしていたら、「いま・ここ・私」は存在していません。「いま・ここ・私」というのは、歴史の無数の転轍《てんてつ》点において、ある方向が「たまたま」選ばれたことによって出現したものに過ぎません。しかし、私たちはその「事実」を無視することになると、驚くほど勤勉になるのです。
世界は私たちが知っているものとは別のものになる無限の可能性に満たされているというのはSFの「多元宇宙論」の考え方ですが、いわばこれが人間中心主義的進歩史観の対極にあるものと言えます。
フーコーの発想はある意味ではこのSF的空想に通じるものがあります。
例えば、蒸気機関車は「ああいうかたち」をしている、ということを私たちは少しも疑いません。しかし、ワットの蒸気機関を運輸手段に応用するとき、多くの技術者がまず考えたのは「馬のように地面を蹴って前進する機関」でした。それまでの運送手段はすべて「何かが車を引く」という構造でしたから、因習的な想像力が「鉄の馬」の設計に向かったのは少しも怪しむに足りないのです。スティーヴンソンは「何かが車を引く」のではなく、「車輪それ自体が自転する」機関車を構想しましたが、これは「コロンブスの卵」的な発想の転換だったのです。
でも、私たちはもうそのことを忘れています。しかし、もし「鉄の馬」が実用化されていて、それが採用されていれば、「鉄の馬」型蒸気機関車に私たちは慣れてしまい、いまではそれ以外のかたちの運輸手段を想像することに困難を覚えていたのではないでしょうか。(興味のある方は、ウィル・スミス主演の『ワイルド・ワイルド・ウエスト』という映画をご覧下さい。「鉄の馬型蒸気機関」というものがどういう外見のものかを知ることができます。)
歴史の流れが「いま・ここ・私」へ至ったのは、さまざまな歴史的条件が予定調和的に総合されていった結果というより、(「鉄の馬」に代表される)さまざまな可能性が排除されて、むしろどんどんやせ細ってきたプロセスではないのか、というのがフーコーの根源的な問いかけです。
フーコーはそれまでの歴史家が決して立てなかった問いを発します。
それは、「これらの出来事はどのように語られてきたか?」ではなく、「これらの出来事はどのように語られずにきたか?」です。なぜ、ある種の出来事は選択的に抑圧され、黙秘され、隠蔽されるのか。なぜ、ある出来事は記述され、ある出来事は記述されないのか。
その答えを知るためには、出来事が「生成した」歴史上のその時点──出来事の零度──にまで遡って考察しなければなりません。考察しつつある当の主体であるフーコー自身の「いま・ここ・私」を「カッコに入れて」、歴史的事象そのものにまっすぐ向き合うという知的禁欲を自らに課さなければなりません。そのような学術的アプローチをフーコーはニーチェの「系譜学」的思考から継承したのです。
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