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寝ながら学べる構造主義24

时间: 2019-12-08    进入日语论坛
核心提示:1 幼児は鏡で「私」を手に入れる[#「1 幼児は鏡で「私」を手に入れる」はゴシック体] フーコー、バルト、レヴィ=ストロ
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1 幼児は鏡で「私」を手に入れる[#「1 幼児は鏡で「私」を手に入れる」はゴシック体]
 フーコー、バルト、レヴィ=ストロースのあと、最後に私たちは「構造主義の四銃士」のうち最大の難関であるジャック・ラカンについて語らなければなりません。構造主義そのものはここまでご紹介してきたように、決して難解な思想ではないのですが、(そのままフランス語の教科書に使いたいような明晰で端正なレヴィ=ストロースの文章を例外として)、構造主義者の書く文章は読みやすいとは言えません。特にラカンは、正直に言って、何を言っているのかまったく理解できない箇所を大量に含んでいます。
しかし、おそらくはその難解さゆえに、ラカンについて書かれた解説書や研究書の多さは他の構造主義者とは比較になりません。バルトやレヴィ=ストロースについて新しい解釈が出されることは最近ではもうほとんどありませんが、ラカンについてはいまだにたいへんなハイペースで研究書が量産されています。それだけ「謎」が多いということでもありますし、それだけ多く刺激的なアイディアを含んでいるということでもあります。
そのような思想家の仕事を簡潔にまとめるというのは至難の業です。ですから、以下の解説はラカンのほんの入り口だけにしか触れていないということを、あらかじめご了解いただきたいと思います。
 ラカンの専門領域は精神分析です。ラカンは「フロイトに還れ」という有名なことばを残していますが、そのことばどおり、フロイトが切り開いた道をまっすぐに、恐ろしく深く切り下ろしたのがラカンの仕事だと言ってよいと思います。その仕事のうち、「鏡像段階」の理論と「父─の─名」の理論の二つだけをここではご紹介することにしましょう。
「鏡像段階」理論とは、ラカンが一九三六年に発表したもので、主体の形成において鏡に映る映像がもつ決定的な重要性を解明したものです。
鏡像段階とは人間の幼児が、生後六ヶ月くらいになると、鏡に映った自分の像に興味を抱くようになり、やがて強烈な喜悦を経験する現象を指します。人間以外の動物は、最初は鏡を不思議がって、覗き込んだり、ぐるぐる周囲を回ったりしますが、そのうちに鏡像には実体がないことが分かると、鏡に対する関心はふいに終わってしまいます。ところが、人間の子どもの場合は、違います。子どもは鏡の中の自分と像の映り込んでいる自分の周囲のものとの関係を飽きずに「遊び」として体験します。この強い喜悦の感情は幼児がこのときに何かを発見したことを示しています。何を発見したのでしょう。
子どもは「私」を手に入れたのです。
鏡像段階は「ある種の自己同一化として、つまり、主体がある像を引き受けるとき主体の内部に生じる変容として、理解」されます。
[#1字下げ]「まだ動き回ることができず、栄養摂取も他人に依存している幼児的=ことばを語らない段階にいる子どもは、おのれの鏡像を喜悦とともに引き受ける。それゆえ、この現象は、私たちの眼には、範例的なしかたで、象徴作用の原型を示しているもののように見えるのである。というのは、〈私〉はこのとき、その始原的な型の中にいわば身を投じるわけだが、それは他者との同一化の弁証法を通じて〈私〉が自己を対象化することにも、言語の習得によって〈私〉が普遍的なものを介して主体としての〈私〉の機能を回復することにも先行しているからである。」(「私の機能を形成するものとしての鏡像段階」)
 この難文をとにかく意味の分かる日本語に書き直しましょう。
人間の幼児は、ほかの動物の子どもと比べると、きわだって未成熟な状態で生まれてきます。ですから生後六ヶ月では、まだ自力で動き回ることもできず、栄養補給も他者に依存せざるを得ないという無能力の状態にあります。幼児は自分の身体の中にさまざまな「運動のざわめき」を感知してはいるものの、それらはまだ統一に至ることなく、原始的な混沌のうちにあります。この統一性を欠いた身体感覚は、幼児に、おのれの根源的な無能感、自分をとりまく世界との「原初的不調和」の不快感を刻みつけます。そして、この無能感と不快感は幼児の心の奥底に「寸断された身体」という太古的な心象を残します。その心象は成熟を果たしたあとも、妄想や幻覚や悪夢を通じて、繰り返し再帰することになります。(「寸断された身体」の心像というのがどういうものか、私は見たことがないので分かりませんが、たいそうおぞましいものだそうです。)
さて、この「原初的不調和」に苦しむ幼児が、ある日、鏡を見ているうちに、そこに映り込んでいる像が「私」であることを直観するという転機が訪れます。そのとき、それまで、不統一でばらばらな単なる感覚のざわめきとしてしか存在しなかった子どもが、統一的な視覚像として、一挙に「私」を把持することになります。
「おお、これが〈私〉なのか」、と子どもは深い安堵と喜悦の感情を経験します。視覚的なイメージとしての「私」に子どもがはじめて遭遇する経験、それが鏡像段階です。(ところで、もし鏡を持たない社会集団があったら、そこにおいて鏡像段階はどうなるのでしょう? どなたかご存知の方がいたら教えて下さい。)
もちろん人間が成熟するためには、この段階を通過することが不可欠なのですが、よいことばかりではありません。「一挙に〈私〉を視覚的に把持した」という気ぜわしい統一像の獲得は、同時に取り返しのつかない裂け目を「私」の内部に呼び込んでもしまうからです。
たしかに、幼児は鏡像という自分の外にある視覚像にわれとわが身を「投げ入れる」という仕方で「私」の統一像を手に入れるわけですが、鏡に映ったイメージは、何といっても、「私そのもの」ではありません。一メートル先の鏡の中から私を見返している「鏡像の私」は、一メートル先の床の上にあってこちらを向いている「ぬいぐるみ」と、「私そのものではない」という点では変わりがないからです。
[#1字下げ]「大事なのは、この型が、〈自我〉が社会的にどういう存在であるかが決定されるに先んじて、あらかじめ虚構の系列のうちに〈自我〉の審級を定めるということである。この〈自我〉は決して個人によっては引き受けることのできぬものであり、あるいはこういう言い方が許されるなら、主体の未来と漸近線《ぜんきんせん》的にしか合流しえぬものである。弁証法的な総合によって、主体がいずれ〈私〉として、おのれに固有の現実との不一致をうまい具合に解消することになったとしても。(略)たしかに〈私〉とその像のあいだにはいくつもの照応関係があるから、〈私〉は心的恒常性を維持してはいるが、それは人間が自分を見下ろす幽霊や〈からくり人形〉に自己投影しているからなのである。」
 人間は「私ではないもの」を「私」と「見立てる」ことによって「私」を形成したという「つけ」を抱え込むところから人生を始めることになります。「私」の起源は「私ならざるもの」によって担保されており、「私」の原点は「私の内部」にはないのです。これは、考えれば、かなり危うい事態です。なにしろ、自分の外部にあるものを「自分自身」と思い込み、それに取り憑くことでかろうじて自己同一性を立ち上げたということですから。言い換えれば、「鏡像段階を通過する」という仕方で、人間は「私」の誕生と同時にある種の狂気を病むことになります。
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