室伏雄一郎と中里家の長女、弘子との見合は、一方的な形で終った。
弘子の兄の勇介は、雄一郎の人柄にかなりの好意を持ったらしいが、先代の未亡人で、彼らの母に当るみちの態度はひどくそっけなかったし、言葉のはしはしには棘《とげ》さえあった。
だが、それにもまして雄一郎を失望させたのは、見合の相手が、あの竹林で見た娘ではなかったということだった。
「なあ、雄一郎、気い悪うせんといてな……」
伯父が言いにくそうに結果を告げた。
「中里はんの御当主はんは、もののわかったええお人やけど……あのお母はんでは纏《まと》まる話もわやや……ま、この縁談《はなし》、なかったことにしてえな」
「はあ、僕の方は一向にかまわんですよ……」
別に負けおしみでもなんでもない。もともと今度の縁談は、一生懸命の伯父への義理立てからだったのだ。
だが、それとは別に、雄一郎の心に懸ることがあった。
「伯父さん……中里さんの娘さんは、今日お会いした弘子さんというかただけですか」
「いいや、もう一人、お有里はんいう人が居やはるそうやが……」
「ゆ・り……」
「けどなあ、もう中里はんはあかん……姉《あね》はんがあかんのやし……それやったら妹はんというのもおかしいやないか」
「い、いや、別にそんな意味じゃないんですよ」
中里家の末娘についての話題はそれだけだった。
臨時に貰《もら》った、雄一郎の休暇もあとわずかになっていた。いよいよ明日は、なにがなんでも出発しようと荷物をまとめはじめた。
「なんせ、魚の他はなんにもない土地やさかい、ろくな土産ものうて気の毒やけど……」
そう言いながら、伯父と伯母は用意してあった土産物をうずたかく積みあげた。
「いやあ、いろいろお世話をかけてしまったうえ、こんなことをしていただいちゃあ……」
辞退したが、そんなことで引きさがる伯父や伯母ではない。
雄一郎の荷物は、みるみる、来たときの三倍くらいにふくれあがった。
「近いうちに、今度ははる子はんやお千枝はんにも来るように言うてえな、春の紀州もなかなかええもんや……桜も三月には咲くよってなあ……」
伯母のかねが名残りおしそうに言った。
夜、囲炉裏端《いろりばた》で、雄一郎が伯父の晩酌の相手をしていると、ひょっこり、村会議員の浦辺友之助が訪ねて来た。
「おや、なんでいま頃……」
不審そうな伯父夫婦に、
「それがのう……」
浦辺はかなり薄くなった頭をかいた。
「あれからいろいろ話をしたんじゃが……中里はんで、もう一度、当人同士、会わせて欲しい言わはるのや」
「そやかて、浦辺はん、あの縁談はもう……」
伯父と伯母は眼をまるくした。
「いや、わしは中里はんの様子を観て、もうあかん思うとったんじゃが、だんだん話を聞いてみると、むこうの兄さんの勇介はんがえらい乗り気やそうで……もう一遍、弘子はんと二人っきりで話し合うてみたらちゅうことになったんや……」
「へえ……そやったら、あの弘子はんが、雄一郎を気に入ったんと違うかいな」
「どうも、そんなとこやな……」
浦辺はにやにやした。
「雄一郎はんは、なかなかの男前じゃて、女子衆に好かれるんや……」
「しかし伯父さん、僕は……明日帰らなけりゃならんし……」
「いや、分っとる分っとる」
浦辺はまかせておけといった手振りをした。
「せめて出発の時間まで、尾鷲《おわせ》を弘子はんが案内するちゅうことでどうや」
「だけど、それでは……」
「ま、ええからええから……あんさんもいろいろ気に入らんこともあるじゃろうが、この浦辺友之助の顔をたてて、な、一時間ほど、尾鷲見物してえな……」
「雄一郎、そうしてやれ……」
伯父もそばから口をそえた。
結局、雄一郎は伯父や浦辺のいいなりになるより仕方がなかった。
尾鷲の港には、浦辺友之助といっしょに中里勇介が、妹の弘子をつれて待っていた。
そこから浦辺の家へ案内され、軽い食事をすませてから、弘子が雄一郎を案内するという段どりになっていた。
弘子は、美人は美人だが、線の細い神経質そうな娘だった。
「尾鷲いうても、なんにもない所なので……もう少し時間があると、この先の熊野へむいたほうに鬼の洞窟《どうくつ》なんたらいう見事な岩があるんやけど……」
あまり口をきこうとしない弘子にかわって、兄の勇介が一人で気をつかっていた。
雄一郎には、今日のことが弘子の意志ではなく、勇介の希望によって行なわれたのだということが一目で判った。
浦辺の計らいで、雄一郎は、弘子に岬へ案内してもらうことになった。そこは、尾鷲で一番眺めが良い所なのだそうだ。
一同に玄関まで見送られて、雄一郎と弘子は外へ出た。
「紀州というのは、いい所ですね、はじめてだけれどすっかり気に入りました……」
「そうですか……」
「あなた北海道へ来られたことおありですか」
「いいえ……」
肩を並べて歩いていても、弘子はどこか打ち解けないふうで、こうしていることじたい、多少迷惑な気配さえみえた。
だが、雄一郎はつとめて明るく振舞った。
「あの島、面白い形ですねえ……」
岬に立つと、熊野|灘《なだ》が一望のもとに見渡せる。その中に、ちょっと変った形の島を見つけて雄一郎はふりかえった。
「はあ……」
「名前あるんですか?」
「ええ……」
短かく答えるだけで、弘子は雄一郎の訊《き》かないことには触れようとはしなかった。しばらく待っても、それきりなので、雄一郎はもう一度訊いた。
「教えてください、何という島なんです」
「桃島《ももじま》っていいますの……」
「桃島……」
「ええ……」
「なるほど、桃みたいな形ですね」
「あの……風が冷めたくありません?」
気がつくと、弘子は寒そうに肩をすぼめている。海から吹きあげる風がこたえるらしかった。
「そうですね……」
雄一郎はむしろほっとした。
「戻りましょうか」
「ええ……」
頷《うなず》いたくせに、すぐ、
「どっちでも……」
と弘子はつけ加えた。