夏の夕暮れどき、一家そろって、縁側ですいかを食べる情景は、日本の夏を象徴する風物詩の一つですが、このすいかが実はなかなかのクセモノ。すいかは一般に、水気が多く、腎臓病のくすりといわれ、舌ざわりも軽く、消化のよいもののように思われていますが、これはたいへんな思いちがいで、消化のときは、あたかも胃壁へ紙ヤスリをかけるようなもの。腸壁をあらして傷をつけ、そこから体内に温存している有害細菌が侵入して、思わぬ病気をひき起すことすらあります。すいかが出盛るときに、腸チフスが多いのもそのためで、食べるときは、少なめにして、夜分は控えたほうが身のため──とは、さる高名な食餌療法のお医者さまのアドバイス。
原産地はエジプトといわれ、四千年も前から栽培されていたといいます。林立路というひとの『立路随筆』によれば、日本には、「西瓜、寛永年中、西洋より始めて渡る。薩摩に植るによつて、さつま種を上品とす。江戸に来りしは慶安の頃にて、由比正雪の乱の翌年のよしなり」と、あります。その時分は、肉漿《にくしよう》が真赤なので、正雪の怨霊だとウワサが立ち、気味わるがって食べなかったといわれます。その後も、すいかは低級なものとされ、場末で売られていた模様で、古川柳にも、「神鳴に西瓜の売れる宿はずれ」と、詠まれています。
見ただけで、味のよしあしを見分けるのは困難ですが、蔓《つる》の切り口のみずみずしいもので、ヘソ(花落ち)の周りが黄色く熟れ、皮肌が光沢のある緑色をしていて、たたいて澄んだ音のするものなら、まず間違いありません。たたいて、ボコボコした音のするものは、熟しすぎたものです。
板の間に児の這ひかかる西瓜哉 使帆
原産地はエジプトといわれ、四千年も前から栽培されていたといいます。林立路というひとの『立路随筆』によれば、日本には、「西瓜、寛永年中、西洋より始めて渡る。薩摩に植るによつて、さつま種を上品とす。江戸に来りしは慶安の頃にて、由比正雪の乱の翌年のよしなり」と、あります。その時分は、肉漿《にくしよう》が真赤なので、正雪の怨霊だとウワサが立ち、気味わるがって食べなかったといわれます。その後も、すいかは低級なものとされ、場末で売られていた模様で、古川柳にも、「神鳴に西瓜の売れる宿はずれ」と、詠まれています。
見ただけで、味のよしあしを見分けるのは困難ですが、蔓《つる》の切り口のみずみずしいもので、ヘソ(花落ち)の周りが黄色く熟れ、皮肌が光沢のある緑色をしていて、たたいて澄んだ音のするものなら、まず間違いありません。たたいて、ボコボコした音のするものは、熟しすぎたものです。
板の間に児の這ひかかる西瓜哉 使帆