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「まさか」の人に起こる異常心理15

时间: 2020-01-31    进入日语论坛
核心提示:紙絵の世界にこもった精神分裂病の 一九二七年(昭和二年)、高村光太郎をして「あなたはだんだんきれいになる」という詩を書か
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紙絵の世界にこもった精神分裂病の
 
 一九二七年(昭和二年)、高村光太郎をして「あなたはだんだんきれいになる」という詩を書かせた高村智恵子に、精神分裂病の徴候があらわれたのは三一年のことだ。アダリン服用による自殺未遂で千葉県九十九里浜への転地の末、症状がさらに悪化して南品川のゼームス坂病院に入院したのは、三五年の二月であった。
病院は海の見える高台にあり、今もゼームス坂という地名が残っている。院長は茂吉より東大四年先輩の斎藤玉男先生であった。院長が斎藤というので、よく茂吉とまちがえられるが、実は別の斎藤なのである。
智恵子の分裂病は、破《は》瓜《か》型という病型に属する。この病型の特徴は、症状の進行が緩慢、症状の中心は内閉性、感情鈍麻、生気がなくなり、独語、空笑(多くは幻聴に起因する)などだが、わき目も振らず、一つの事象に熱中することもある。
私は、ある分裂病者を「鳥博士」と名づけた。飛んでくる鳥の名を図鑑も見ずに当てるのだ。何月何日、何という鳥が飛来し、何という木に止まったなどと書いた大学ノートがぎっしり積まれている。その病人にとって、世界は鳥のみで、他の世界は全く関心のない存在なのだ。一種の天才といってもいい人間だ。
智恵子は肺結核が悪化して、三八年十月、この病院で生涯が終わるまで、実に千数百点の紙絵を作った。智恵子は自分だけの城に閉じこもって、斎藤院長ともついに最後まで口をきかなかったそうである。先のそったマニキュア用のはさみ一丁とのりだけが彼女の友だった。
山形市在住の茂吉研究家・故真壁仁氏は戦時中、智恵子の紙絵を数百点預かっていた。そして戦後、全国に先がけて山形美術館で智恵子の紙絵展を開き、私も真壁氏の案内で初めて見た。症状の進行にくらべて、技巧の進みぐあいが不思議だった。
詩人の故草野心平は「智恵子さんの狂気がなかったならば、現在私たちが知っているような詩集『智恵子抄』が編まれなかったことは確かである。また一方、智恵子さん自身もゼームス坂病院での生活がなかったならば、紙絵による造形美を創ったかどうか、それも疑問である」と言っている。
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