神の啓示にとりつかれたパラノイアの
今から三十年ほど前に某女子大学の料理学の女性教授が、学校当局から休講の処置をとられているのにもかかわらず、七年間も実習室を占拠した。聖室と称して奇妙に飾り立てた中に籠居して学校当局の立ちのき要求を頑として受けつけず、ときには包丁を振り回すなどの行為があったので、実弟の許可を得て入院の措置をとった。そのことがジャーナリズムにとり上げられ、人権問題化して国会法務委員会にまで持ち出されて天下を騒がせた。
その教授は知的能力も衰えず、創作意欲も旺盛で、七年間の籠居中に実に七冊もの著書を上梓している。同僚や学校に対する排他的な態度にもかかわらず、学生には人気があった。その精神内界の異常さは外部からはうかがい知ることはできず、「まあ、あのりっぱな先生を精神科病院に」といった素朴な抗議が目立ったのである。ある新聞は「料理の大家を精神科病院へ」と書いたが、そういうロジックでいけば、ゴッホやユトリロの場合、「大画家を精神科病院へ」入れるのはけしからんということになる。
入院中の主治医は私の友人だったが、彼女の籠居は神の啓示で、「神の為に作られたる此の聖室に独り居て、終日神との会話にのみ生き、神意の伝達者としての使命にのみ生きよ」とか、「聖徳太子、弘法大師の後継者である」とか、きわめて誇大観念、妄想性啓示、宗教的な幻視、幻聴などが見られたのである。
近代精神医学体系をつくったエミール・クレペリンの弟子筋にあたるE・ブロイラーは、「生来、持っている病的素質の上に、ある体験が加わり、それに対する感情的な観察と下界の影響が総合的に作用して、偏った心的傾向が増大発展したもの」をパラノイアと称した。この教授もそれに該当するものと考えられるが、このパラノイアや、それに似たパラフレニーほどわれわれ精神科医を悩ます病気はないのである。
同じ種類の病気に私の父も悩まされ、そしてこの私も悩まされたのである。
その教授は知的能力も衰えず、創作意欲も旺盛で、七年間の籠居中に実に七冊もの著書を上梓している。同僚や学校に対する排他的な態度にもかかわらず、学生には人気があった。その精神内界の異常さは外部からはうかがい知ることはできず、「まあ、あのりっぱな先生を精神科病院に」といった素朴な抗議が目立ったのである。ある新聞は「料理の大家を精神科病院へ」と書いたが、そういうロジックでいけば、ゴッホやユトリロの場合、「大画家を精神科病院へ」入れるのはけしからんということになる。
入院中の主治医は私の友人だったが、彼女の籠居は神の啓示で、「神の為に作られたる此の聖室に独り居て、終日神との会話にのみ生き、神意の伝達者としての使命にのみ生きよ」とか、「聖徳太子、弘法大師の後継者である」とか、きわめて誇大観念、妄想性啓示、宗教的な幻視、幻聴などが見られたのである。
近代精神医学体系をつくったエミール・クレペリンの弟子筋にあたるE・ブロイラーは、「生来、持っている病的素質の上に、ある体験が加わり、それに対する感情的な観察と下界の影響が総合的に作用して、偏った心的傾向が増大発展したもの」をパラノイアと称した。この教授もそれに該当するものと考えられるが、このパラノイアや、それに似たパラフレニーほどわれわれ精神科医を悩ます病気はないのである。
同じ種類の病気に私の父も悩まされ、そしてこの私も悩まされたのである。