少年Aの事件に次いで思い出すのが宮崎勤事件である。これは一九八八年(昭和六十三年)の事件だから、すでに十三年も経過していて、今なお控訴審が続いているので、軽々しく批判することは避けたい。
埼玉、東京で八八年から八九年にかけ、四歳女児二人、五歳女児一人、七歳女児一人を次々と殺害し、誘拐、殺人、死体損壊・遺棄などの罪に問われ、一審で死刑が言い渡された宮崎勤被告(三十八歳)に対する控訴審の第一回公判が、九九年(平成十一年)十二月二十一日に開かれた。
一審判決に対し、弁護側は「犯行時、被告は心神喪失または心神耗《こう》弱《じやく》の状態だった」として、死刑判決を破棄するよう主張した。これに対して検察側は被告側の控訴棄却を求めた。
ご存じのように、一審の東京地裁は「人格障害は存在したが、精神病的状態ではなかった」とする鑑定を採用した。その他、二つの精神鑑定が行われ、「多重人格(解離性同一性障害)などヒステリー性症状を主体とする精神病」と「犯行時は、精神病に罹患していた」などとする鑑定を退けていた。
一審は被告に責任能力ありとの判断であったが、控訴審でも刑事責任能力の有無が最大の争点になると予想される。同時に弁護側は新たな再鑑定を行うべきだとして再鑑定を要求している。
控訴審の当日の状況について、新聞はこう報道する。
埼玉、東京で八八年から八九年にかけ、四歳女児二人、五歳女児一人、七歳女児一人を次々と殺害し、誘拐、殺人、死体損壊・遺棄などの罪に問われ、一審で死刑が言い渡された宮崎勤被告(三十八歳)に対する控訴審の第一回公判が、九九年(平成十一年)十二月二十一日に開かれた。
一審判決に対し、弁護側は「犯行時、被告は心神喪失または心神耗《こう》弱《じやく》の状態だった」として、死刑判決を破棄するよう主張した。これに対して検察側は被告側の控訴棄却を求めた。
ご存じのように、一審の東京地裁は「人格障害は存在したが、精神病的状態ではなかった」とする鑑定を採用した。その他、二つの精神鑑定が行われ、「多重人格(解離性同一性障害)などヒステリー性症状を主体とする精神病」と「犯行時は、精神病に罹患していた」などとする鑑定を退けていた。
一審は被告に責任能力ありとの判断であったが、控訴審でも刑事責任能力の有無が最大の争点になると予想される。同時に弁護側は新たな再鑑定を行うべきだとして再鑑定を要求している。
控訴審の当日の状況について、新聞はこう報道する。
裁判長の人定質問にボソボソと答える宮崎被告。舞台が東京高裁に変わっても「被告不在」の法廷は変わらなかった。相変わらず無表情で、ただ目の前の便箋に何かを書く被告。裁判長に本籍や住所を尋ねられても「意味がわからない」「もう一回言って」などと言うだけ。弁護側が控訴趣意書を朗読する間も気にする様子もなく、ほおづえをついて、まるで寝入っているようだった。
拘置所の独房で自分の周りを囲むように本を積み上げ、その中で生活しているという宮崎被告。自宅でビデオとマンガに囲まれて生活していたときの様子と変わりないようだ。
拘置所の独房で自分の周りを囲むように本を積み上げ、その中で生活しているという宮崎被告。自宅でビデオとマンガに囲まれて生活していたときの様子と変わりないようだ。