捜査資料にもとづき、もう少し話を続ける。
H君を殺害した少年Aは、胴体から切り離した頭部を池のほとりの木の根元に隠す前に二、三分ばかり「鑑賞していた」が、「思ったより感動はなかった」と言っている。
Aが小学校三年生のとき、ノイローゼになりかけていると医師に言われ、母の過干渉が原因だと注意されたことがある。母親になぐられた彼は泣きじゃくりながら、「(以前住んでいた)社宅の台所が見える」「お母さんが見えなくなった」と口走り、ケイレンを起こし、目がうつろになった。そんなことがあって医師の診察を受けさせたのだが、このことからも彼が敏感体質であったことがわかるし、直感像素質者であることもわかるのである。
また、彼の受け持ちだったある教師は、「協調性の全くない、自分の感情だけで生きていく、異質な生徒だった」と感想を述べている。学校の授業も、前に述べたように、美術や国語以外には全く関心を示さず、自宅に戻れば宿題もほったらかして自室に閉じこもり、ノートにはお化けや意味不明のイラストなどを描いていた。
彼が好んだサルバドール・ダリもまた、直感像素質者であった。Aは徹夜で一晩のうちに百人一首のうち八十首の上の句、下の句を記憶したと親は語っている。たぶんAは記憶力のよさ、というよりも映像として覚えていったのではあるまいか。
服装にも全く関心がなく、流行にも若者らしい関心を示さず、一度着た服はよごれていても着替えようとしなかったそうである。感情の鈍麻がうかがえる。
少年は次のように書いている。
H君を殺害した少年Aは、胴体から切り離した頭部を池のほとりの木の根元に隠す前に二、三分ばかり「鑑賞していた」が、「思ったより感動はなかった」と言っている。
Aが小学校三年生のとき、ノイローゼになりかけていると医師に言われ、母の過干渉が原因だと注意されたことがある。母親になぐられた彼は泣きじゃくりながら、「(以前住んでいた)社宅の台所が見える」「お母さんが見えなくなった」と口走り、ケイレンを起こし、目がうつろになった。そんなことがあって医師の診察を受けさせたのだが、このことからも彼が敏感体質であったことがわかるし、直感像素質者であることもわかるのである。
また、彼の受け持ちだったある教師は、「協調性の全くない、自分の感情だけで生きていく、異質な生徒だった」と感想を述べている。学校の授業も、前に述べたように、美術や国語以外には全く関心を示さず、自宅に戻れば宿題もほったらかして自室に閉じこもり、ノートにはお化けや意味不明のイラストなどを描いていた。
彼が好んだサルバドール・ダリもまた、直感像素質者であった。Aは徹夜で一晩のうちに百人一首のうち八十首の上の句、下の句を記憶したと親は語っている。たぶんAは記憶力のよさ、というよりも映像として覚えていったのではあるまいか。
服装にも全く関心がなく、流行にも若者らしい関心を示さず、一度着た服はよごれていても着替えようとしなかったそうである。感情の鈍麻がうかがえる。
少年は次のように書いている。
仮定された「脳内宇宙」の理想郷で、
無限に暗く、そして深い防臭漂う心の独房の中……
死霊の如く立ちつくし、虚空を見つめる魔物の目にはいったい、
“何”が見えているのであろうか。
俺には、おおよそ予測することすらままならない。
「理解」に苦しまざるをえないのである。
無限に暗く、そして深い防臭漂う心の独房の中……
死霊の如く立ちつくし、虚空を見つめる魔物の目にはいったい、
“何”が見えているのであろうか。
俺には、おおよそ予測することすらままならない。
「理解」に苦しまざるをえないのである。
了解不能な内容の詩のような文章であるが、普通の十四歳の少年にはなかなか、こうは書けないだろう。直感像素質者は天才に多いという。ダリを天才とすれば、Aも天才の範疇に入るかもしれない。芥川龍之介を天才とすれば、Aもまた天才かもしれない。ただ一方は芸術面の大仕事を後世に残し、Aは負の面でその存在を後世に残すことになった。
鑑定書に書かれているように、「衝動がついに内面の葛藤に打ち勝って自己貫徹した」のがAの犯行だったのである。
精神分裂病という病は二十世紀初めにその名が登場し、そして今日に至るまで難解な病気であるが、刑法犯総数に対する分裂病者の比率は〇・一パーセントで、そう高くはない。だが、殺人や放火など重要な犯罪に限ってみると、一般よりも高くなる。そのきっかけは、分裂病的思考、妄想、幻覚に左右されて犯罪に及ぶことが多いのである。
やはり私は、Aと分裂病の相関関係にこだわりを持つ。鑑定に当たった精神科医もおそらく、内心はそういう思いにこだわり続けたのであろう。しかし、諸般の事情から隔靴掻痒的な鑑定書になったのだと思うのだ。
彼が医療少年院送りになり、治療と教育を受けるという処理を、私はいい決定だったと思っている。放置すれば症状の悪化は避けられないと思うからである。
鑑定書に書かれているように、「衝動がついに内面の葛藤に打ち勝って自己貫徹した」のがAの犯行だったのである。
精神分裂病という病は二十世紀初めにその名が登場し、そして今日に至るまで難解な病気であるが、刑法犯総数に対する分裂病者の比率は〇・一パーセントで、そう高くはない。だが、殺人や放火など重要な犯罪に限ってみると、一般よりも高くなる。そのきっかけは、分裂病的思考、妄想、幻覚に左右されて犯罪に及ぶことが多いのである。
やはり私は、Aと分裂病の相関関係にこだわりを持つ。鑑定に当たった精神科医もおそらく、内心はそういう思いにこだわり続けたのであろう。しかし、諸般の事情から隔靴掻痒的な鑑定書になったのだと思うのだ。
彼が医療少年院送りになり、治療と教育を受けるという処理を、私はいい決定だったと思っている。放置すれば症状の悪化は避けられないと思うからである。