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「まさか」の人に起こる異常心理41

时间: 2020-01-31    进入日语论坛
核心提示:満州で死の恐怖におののいたEさん 二〇〇一年六月、ユーゴスラビアのミロシェビッチ前大統領が、セルビア南部のコソボ自治州の
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満州で死の恐怖におののいたEさん

 二〇〇一年六月、ユーゴスラビアのミロシェビッチ前大統領が、セルビア南部のコソボ自治州のアルバニア系住民の迫害や殺人の罪で、旧ユーゴ国際戦犯法廷に収監され、国連の法廷で被告として裁かれることになった。
バルカン半島の紛争で多数の難民が生まれ、彼らは状況の赴くままあちらこちらに移動せざるをえなかった。ユーゴ、マケドニア、アルバニアの国境が開かれたり、閉鎖されたり、ユーゴ軍、セルビア治安隊、民兵が住民に十分以内の退去を命じたりした。さらに貴重品を奪い、家々に放火したり、あげくの果ては住民を虐殺までした。九九年三月、その対抗措置としてNATO軍はユーゴを空爆。ついに首都のベオグラードまでミサイルの標的とするに至った。
私はかつてドナウ河を船で下り、ベオグラードに上陸したこともあり、ドナウ河にかかる橋梁も破壊されたと聞いて、人ごとではいられない気持ちであった。
その当時、コソボの村人たちはあっちへ逃れ、こっちへ移動し、教会の中にひっそりと隠れ、野宿をし、缶詰めや干物で飢えをしのぐというありさまだった。
私の頭に浮かんだのは、満州での悲劇である。
日本が敗戦してソ連軍の進駐。国民党軍と八路軍(共産党軍)の戦闘。逃げまどう在満日本人。そこにはパニックのため、うつ状態から記憶喪失まで、高度のノイローゼが発生したのも当然の成り行きであったろう。たぶんコソボ、マケドニア方面においても、その種の疾病が多数発生したことは十分想像がつく。
一九四五年(昭和二十年)八月十五日。日本敗戦の日、四歳八カ月の女の子だったEさんは満州国の首都、新京(現長春)で製薬会社を営む父親のもとにいた。
敗戦後の無秩序状態が過ぎたあと、長春に進駐してきたのはソ連だったが、彼らは略奪をほしいままにし、暴虐の限りを尽くした。コレラや発疹チフスが猛威をふるい、多くの人が命を失った。四六年、ソ連軍が撤退すると同時に、八路軍が長春を攻撃し、国民党軍との内戦が始まった。
Eさんは流れ弾に当たって、右ひじの骨まで届く傷を負った。
長春はやがて八路軍に占領された。しかし、それもつかの間、勢いを盛り返した国民党軍が再び長春を占領する。一方の八路軍は長春を包囲し、長春への物資の補給路を遮断したので、住民は食糧難と生活苦にあえぐ。これという物はすべて奪われて、Eさんの家には財産らしき物は何一つ残っていなかった。やがて、水道、ガス、電気などの補給が断たれ、住民の生活はパニック状態に陥った。
Eさんは結核菌におかされ、負傷のあとは結核性の骨髄炎にまで進行した。餓死者も出始めた。消耗率の関係から、まず男性が多く死んだ。町では犬が死んだばかりの赤ん坊を食べる姿が見られた。野性化した犬が飼い主の子どもをかみ殺すシーンも見られた。
敗戦後三年が経過した。八路軍は長春を包囲したまま入城せず、住民を生殺しにする態勢のようだった。Eさんの父親も極端に衰弱して歩行も困難なほどになった。
ついに父親は決心した。
「長春を脱出しよう。解放区へ行こう」
一九四八年九月、長春脱出の前夜、Eさんのいちばん下の弟が消え入るように短い一生を終えた。
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