返回首页
当前位置: 首页 »日语阅读 » 日本名家名篇 » 作品合集 » 正文

「まさか」の人に起こる異常心理65

时间: 2020-01-31    进入日语论坛
核心提示:強迫神経症 強迫観念が中心になっている神経症である。強迫はしばしば脅迫とまちがえられるが、それは違う。けっして脅かされる
(单词翻译:双击或拖选)
強迫神経症

 強迫観念が中心になっている神経症である。強迫はしばしば脅迫とまちがえられるが、それは違う。けっして脅かされるのではない。強迫は強く迫るのである。
モリエールの書いた『病は気から』が心気症の典型であるが、この強迫神経症という病名をはっきり用いたのはフロイトである。それ以前にもフランスのエスキロールが「強迫」という言葉を登場させている。
逃れよう、逃れようと努力しても、いつまでも、どこまでも、ある考えが追いかけてきて逃れられないのが強迫観念である。
主婦がコンセントからプラグを抜く、アイロンのスイッチを切ったことを自覚していても、ひょっとすると切っていないという考えがわき上がってきて、外出先から消防署に電話をかけてしまう人、ポストに手紙を投函して帰ってきて、ひょっとすると手紙がすべってポストの下に落ちているのではないかという思いが襲ってきて、再びポストの場所に出かけなければ気がすまない人がいる。
詩人の萩原朔太郎は、『僕の孤独癖について』という作品の中に、「門を出る時、いつも左の足からでないと踏み出さなかった。四ツ角を曲る時は、いつも三遍宛ぐるぐる廻った。そんな馬鹿馬鹿しい詰らぬことが、僕には強迫的の絶対命令だった」と書いている。
一九七〇年度の芥川賞を受賞した古井由吉氏の『杳子』の中に、こんなくだりがある。
「……電車に乗ってどこそこまで、とただそれだけ言えば済むのに、彼女は途中の駅を数えはじめる。……」
「……階段の上の暗がりでひと休みして、もう一度数えると、……」
「……きまった順序を踏まなくては終えられないの。……まるではじめての衣裳をつける時みたいに、ひとつひとつ確めてやって行かなくては気が済まないの。ボタンをはめる時にすこしでもチグハグな気持になったらもう大変、肌着からやりなおしよ。階段を降りるにも、かならず右足から踏み出して、一段ずつていねいに、不安そうに踏んで降りてくる。……それからいちばん上の段まで引きかえして、またやりなおし。……」
 これが強迫観念である。一見、妄想に似ているが、妄想は「根拠のない主観的な信念」と定義がつけられているのに反して、強迫観念のほうは、その考え方の不合理さに本人が気づいているところに根本的な違いがあるのである。自分で気づいているが、それから逃れることができない。妄想より自覚的にはるかに苦しいに違いない。この強迫観念が中心となっている強迫神経症の内容は大きく二つのタイプ、すなわち疑惑症と恐怖症とに分類される。
轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(0)
0%
踩一下
(0)
0%

[查看全部]  相关评论