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「まさか」の人に起こる異常心理86

时间: 2020-01-31    进入日语论坛
核心提示:地下鉄サリン事件の後遺症 一九九五年(平成七年)の地下鉄サリン事件から五年たっても、なお心身への後遺症に苦しむ深刻な実態
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地下鉄サリン事件の後遺症

 一九九五年(平成七年)の地下鉄サリン事件から五年たっても、なお心身への後遺症に苦しむ深刻な実態が、警察庁の二〇〇〇年三月の被害調査で明らかになった。
一四七七人を対象にした調査で、八三七人から回答があった。身体症状については、三分の一の人が前回の九八年の調査から「改善した」と答えたが、九・六パーセントが「悪化した」と訴え、「入院を経験した」人も二・七パーセントいる。被害直後と類似した症状で多かったのは「目が疲れやすい」「視力の低下」で、「肩こり」「疲労」「急に心臓がドキドキする」と訴える人も少なくない。
また、PTSDなどの精神的後遺症にいまだに悩む人は多く、四三パーセントが「突然に事件の光景がよみがえる」経験をしたという。その他、二〇パーセントが「電車に乗るのがこわい」、一〇パーセントが「事件に関連した報道にふれたくない」などと答えた。
読売新聞社と日本医師会が行っている「心に残る医療」をテーマにした作文の審査に、私がかかわってから、はや二十年がたった。二千編余りの応募作品(十一歳から九十五歳まで)の中に、上位入賞はしなかったが佳作として私も推した作品があった。その女性がサリン事件の被害者だったからだ。絶対に事件を風化させてはいけない、社会にアピールするためにこの作品を残したいと考えたからである。作者は当時中学二年生だった。その文章を抜粋してみる。
 ……地下鉄日比谷線に乗り、眠い目をこすっていた。……急に自分の周囲の人たちが倒れだした。まるで映画の中のようだった。……「どこが痛い」とか、「息苦しい」という具体的な症状を自分自身理解できず、とにかく「体がおかしい」とだけ感じた。そこからの意識がほとんどない。気付いた時は車道の上に、青いシートをしいて寝かされていた。コンクリートのごつごつした感覚を苦痛に思い、起き上がった。いつの間にか、腕には注射の跡がある。……隣の中年女性が、私の肩を抱き、「この子を早く救急車に乗せてあげて下さい!」と叫んだ。「早く早く!」と、他人の私のことを一生懸命助けようとしている。……話そうとしても声が出なかった。今となっては、その女性の顔さえ覚えていない。名前も分からない。しかし私は、この女性のことを決して忘れない。忘れることはできない。もし今、会うことができたなら、感謝の気持ちを心から伝えたい。
 当時、中学生だった彼女は、救急車で病院に収容され、生命を救われた。はっきり意識をとり戻したのは翌朝だった。
——救急車の中では病院の医師が私の持ち物から私の名前を知り、一生懸命名前を呼んでくれた。「大丈夫だからね!」と何度も叫ぶ声で、私の恐怖心は取り除かれていった、と彼女は書いている。
PTSDといえば、阪神大震災のあとでも同様の障害が多数発生したことはよく知られている。その中にはうつ状態も当然含まれるであろう。
うつの場合、周囲の者が「がんばれ!」といった激励の言葉を吐くことは禁物であるが、大震災被害者の場合も同様である。やはり被災した作家、藤本義一さんは「がんばれ!」と激励した相手をなぐりつけたい気持ちに襲われた、と告白している。また、二〇〇一年(平成十三年)の一月十七日は阪神大震災から丸六年の日である。六年たった今も、PTSDから脱け出せない人もいる。しかし、多くは時間が解決するのである。解決方法としては、体験を紙に書き残したり、人にしゃべったりすることもいいといわれている。
二〇〇〇年五月に起きた、十七歳の少年によるバス・ハイジャック事件から一年以上たった今もなお、PTSDで苦しんでいる人が数多くいる。佐賀県の国立病院に入院中の少年が外泊を許された直後にバスを乗っとり、約十五時間半にわたって乗客を人質にし、一人の乗客が殺され、多数の乗客が緊張と恐怖にさらされた衝撃的な事件であった。
国立病院側は守秘義務のため、病名は公表していないが、医療少年院送りとなったことを見ても、これが病的な所業であったことがわかる。日本精神病院協会は緊急声明を発して学術的な思春期危機対策計画を立てることを提唱している。
阪神大震災の震源地といわれる淡路島の北《ほく》淡《だん》町には、悲しい体験を観光客に語って聞かせる現代の語り部が何人かいる。これは、ご本人にとっても救いになっているに違いない。
また、二〇〇一年九月、ニューヨークやワシントンDCなどで起こった同時多発テロの被害者にPTSDが多く発生するであろうことは、まずまちがいないであろう。
私は母の輝子からずいぶん無理難題を言われ、家内との間にはさまってつらい思いをしたが、いつのころからか、その心の内をメモ用紙に書くことを始めた。だれにも見せるつもりはないから、心に去来する感情も遠慮なく書きつけた。いつか役に立つと考えたからである。不思議なことに、これによって心のわだかまりが軽くなったことを自覚した。
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