三木露風作詞・山田耕筰作曲『赤蜻蛉』の、
※[#歌記号、unicode303d]負われて見たのは
というところを、
※[#歌記号、unicode303d]追われて見たのは
と覚えていた。負うたことも、負われたことも、とっくの昔に忘れてしまったのだろう。
「負うた子に浅瀬を教えられる」
ということわざは、
「負うた子に教えられて浅瀬を渡る」
とも言い、
「背中におんぶした子に浅いところを教えられ、向こう岸に渡る」
といった意味だ。いつもはまるっきり相手にもしていないような年少者などから、ふとした機会に思いがけない知恵を授けられ、それが大いに役立ったりすることがある。
負うた子で思い出すのは、どうしたって板割の浅太郎だ。講談や浪曲でおなじみの侠客・国定忠治の子分である。
捕り手に追われた忠治は、目明かしの勘助に助けられたのを恩に着て、勘助の身内の浅太郎の縁を切り、堅気にしようとするが、なにをカンちがいしたか、浅太郎は勘助を斬り、その子の勘太郎を負うて忠治のもとに戻る。
それこそ「親の心子知らず」ならぬ「親分の心子分知らず」だろう。
忠治に諭された浅太郎の背中で頑是ない勘太郎が何を教えたか? その場にいなかったので、このわたしにはわからない。