夫が妻に向かって、
「誰に養ってもらっているんだ!」
と言ったとき、わたしは、
「その夫婦は、オシマイだ」
と思っている。そのとき、夫は夫であることをみずから放棄したのである。
夫が働いているのは、なにも妻子を養うためではない。言っちゃナンだが、自分自身を養うために働いている。そのおかげで、妻子も食べることができたところで、それだって自分自身を養うために働いているのである。
それをエラそうに「誰に養ってもらっているんだ!」ナンテ言ってはいけない。子供はともかく、妻が家事をやっている以上、妻は夫に養ってもらっているわけじゃない。
——といったことは、このわたしにも、わかりすぎるほどわかっている。が、ときに、
「誰に養ってもらっているんだ!」
と言いたくなるような場合が、夫にはある。
たとえば、明らかに妻が夫のことを疎《うと》んじているような場合だ。腹に仕舞っておいて口に出さないんならまだしも、妻ってやつは、そういうことを平気で口にするから、
「こいつ、ホントにオレの妻なんだろうか?」
と、バカな夫は思っちゃう。
このあいだ、日本リクルートセンターが調べたところによると、
「もし夏休みが一ヵ月とれたら、サラリーマンの三人に一人は戸惑い、妻の半数は喜ばない」
という結果が出たそうな。そうして、妻が喜ばない理由の大半は「夫の相手をするのがわずらわしいから」ということだったそうな。
失礼ながら、夫の相手をするのがわずらわしくて、何が妻だろう? そんなふうに妻が妻であることを放棄し、夫に対して出て行けがしに扱うかぎり、夫が妻に「誰に養ってもらっているんだ!」と言うのも無理はない。ふたりは、とっくの昔に夫婦ではないのである。