このあいだ、毎日新聞家庭面の投書欄「女の気持ち」で、
「夫婦ってなんだろう」
というステキな文章をみつけた。書いたのは、東京・保谷の松橋るみ子さんといって、二十一歳の会社員である。
ちょっと長いが、引用させてもらう。あんまりステキなので、端折《はしよ》るわけにはいかないのだ。
町の自治会の新年会があった日、母が出られなかったので、代わりに出席した。大部分は四十歳前後のオバサンたちだったので、家事に支障があってはとの配慮から、昼の三時から始まった。けれど、酔いが回り、六時になってもだれも帰ろうとしなかった。と言うより、帰ろうとすると「なんだい。おまえ、亭主が怖いのか」と、だれかが男の口調でものすごい。そのうえ、無理やり酒を飲ませ合う。相手が「いやだ」と言っても、だれも承知しなかった。帰り際に「お嬢さんは独りでいいね」と、オバサンたちが言った。
数日後、会社の新年会があった。今度はほとんどが中年の男ばかり。けれど、そこでも同じような現象が起こっていた。宴会が終わって、帰ろうとする人が出ると「なんだ。おまえ、女房が怖いのか」と、いやでも二次会につき合わされる。さらに、断っても無理やり飲ませるのだ。
新人類としては「夫婦ってなんだろう」と考えさせられる。「だんななんてなんだい」「女房なんてなんだい」と、両方で犬の遠ぼえをし合っているところをみると、よほど互いに煙たく思っているに違いない。ということは互いに相手を抑えようとする、いわば�抑圧族�同士の結婚とでも言えそうである。もっとお互いの立場を認め合えば、個人と個人も、家庭と外も、スキッと切れ目がきれいにいくとも思うのだが……新人類の軽薄短小の考えだろうか。
数日後、会社の新年会があった。今度はほとんどが中年の男ばかり。けれど、そこでも同じような現象が起こっていた。宴会が終わって、帰ろうとする人が出ると「なんだ。おまえ、女房が怖いのか」と、いやでも二次会につき合わされる。さらに、断っても無理やり飲ませるのだ。
新人類としては「夫婦ってなんだろう」と考えさせられる。「だんななんてなんだい」「女房なんてなんだい」と、両方で犬の遠ぼえをし合っているところをみると、よほど互いに煙たく思っているに違いない。ということは互いに相手を抑えようとする、いわば�抑圧族�同士の結婚とでも言えそうである。もっとお互いの立場を認め合えば、個人と個人も、家庭と外も、スキッと切れ目がきれいにいくとも思うのだが……新人類の軽薄短小の考えだろうか。
これを読んで「ステキだなあ」と、このわたしが思ったのは、ほかでもない。げんに、わたしが似たような経験をしたばかりだからだ。
一次会が終わって、席を外そうとしたら、
「おや、もう帰るんですか?」
顔見知りの男に呼び止められた。
「まあ、ね」
言葉を濁したのが、いけなかったのかも知れぬ。彼は、わたしを引き止め、
「どうです? もう一軒、いきましょう」
と放さない。やむをえず、
「女房が……」
と、女房の体の具合が悪いことを告げようとすると、
「なんですか。先輩は、そんなに奥さんが怖いんですか?」
と、まさに投書の通りである。
そこで、わたしは言った。いまさら、女房の体の具合が悪いことを告げるのもナンなので、うんとキザッたらしく、
「もし、きみが少しでもボクに好意をもっているんなら、ボクを愛する妻のもとへ帰してくれないか」
と、そう言ってやったのだ。そうしたら、奴《やつこ》さん、ハトが豆鉄砲でも喰《く》らったみたいに目をパチクリさせ、
「や、これはこれは、ゴチソウサマ」
とかナンとか、わけのわからないことを口走って、ようやく退散した。
偶々《たまたま》これを目撃していた悪友がいて、以来、わたしたちのあいだでは、自慢じゃないけれど、二次会、三次会のつきあいを断るときは、マジメな顔して、
「もし、きみが少しでもボクに好意をもっているんなら、ボクを愛する妻のもとへ帰してくれないか」
とやるようになったのである。まあ、一種の流行というか、遊びですね。遊びだから、マジメな顔をしてやればやるほど効果がある。
言っちゃナンだが、これもまた、わたしたちの、妻に対する思いやりではなかろうか? 夫婦のあいだで、直接交わされる情愛ではないけれど、二次会、三次会のつきあいを断って、珍しく早く帰宅した夫は、こんなセリフを吐いて、悪友たちの誘いを振り切っているのである。
そんな夫に対して、
「あら、きょうは早いのね」
という、妻の一言が皮肉に聞こえるか、聞こえないか。彼女が子供たちと一緒に、あるいは独りで眺めていたテレビから目を離して言えば皮肉には聞こえないだろうし、テレビから目を離さずに言えば、これは皮肉に聞こえるかも……。人生って、いや、夫婦の間って、ホントに微妙なもんである。
それにしても、人生を長くやっていると、少しずつ体のリズムが狂ってくる。早い話が、だらしなくなる。
たとえば、酔って帰ると、こぼした酒でネクタイが汚れていたりする。いつかも、ある会合で席を同じゅうした紳士が、
「なにが辛《つら》いって、それを女房に�トシをとったせいか、ちかごろ、ホントにだらしがないんだから�と指摘されるのが、いちばん辛いですな」
とボヤかれたのには、心から同情した。
「そんなときは、こっちから�オレ、トシをとったせいか、ちかごろ、ホントにだらしがなくなった�と、先に言っちゃったら、どうですか?」
と、わたしは慰めたが、果たして、こっちが先に言ったら、
「あら、そんなこと、ないわ。あなたは若いわよ」
という女房の声が返ってくるかどうか?
わたしの場合は、まだ試してないので、わからない。
一次会が終わって、席を外そうとしたら、
「おや、もう帰るんですか?」
顔見知りの男に呼び止められた。
「まあ、ね」
言葉を濁したのが、いけなかったのかも知れぬ。彼は、わたしを引き止め、
「どうです? もう一軒、いきましょう」
と放さない。やむをえず、
「女房が……」
と、女房の体の具合が悪いことを告げようとすると、
「なんですか。先輩は、そんなに奥さんが怖いんですか?」
と、まさに投書の通りである。
そこで、わたしは言った。いまさら、女房の体の具合が悪いことを告げるのもナンなので、うんとキザッたらしく、
「もし、きみが少しでもボクに好意をもっているんなら、ボクを愛する妻のもとへ帰してくれないか」
と、そう言ってやったのだ。そうしたら、奴《やつこ》さん、ハトが豆鉄砲でも喰《く》らったみたいに目をパチクリさせ、
「や、これはこれは、ゴチソウサマ」
とかナンとか、わけのわからないことを口走って、ようやく退散した。
偶々《たまたま》これを目撃していた悪友がいて、以来、わたしたちのあいだでは、自慢じゃないけれど、二次会、三次会のつきあいを断るときは、マジメな顔して、
「もし、きみが少しでもボクに好意をもっているんなら、ボクを愛する妻のもとへ帰してくれないか」
とやるようになったのである。まあ、一種の流行というか、遊びですね。遊びだから、マジメな顔をしてやればやるほど効果がある。
言っちゃナンだが、これもまた、わたしたちの、妻に対する思いやりではなかろうか? 夫婦のあいだで、直接交わされる情愛ではないけれど、二次会、三次会のつきあいを断って、珍しく早く帰宅した夫は、こんなセリフを吐いて、悪友たちの誘いを振り切っているのである。
そんな夫に対して、
「あら、きょうは早いのね」
という、妻の一言が皮肉に聞こえるか、聞こえないか。彼女が子供たちと一緒に、あるいは独りで眺めていたテレビから目を離して言えば皮肉には聞こえないだろうし、テレビから目を離さずに言えば、これは皮肉に聞こえるかも……。人生って、いや、夫婦の間って、ホントに微妙なもんである。
それにしても、人生を長くやっていると、少しずつ体のリズムが狂ってくる。早い話が、だらしなくなる。
たとえば、酔って帰ると、こぼした酒でネクタイが汚れていたりする。いつかも、ある会合で席を同じゅうした紳士が、
「なにが辛《つら》いって、それを女房に�トシをとったせいか、ちかごろ、ホントにだらしがないんだから�と指摘されるのが、いちばん辛いですな」
とボヤかれたのには、心から同情した。
「そんなときは、こっちから�オレ、トシをとったせいか、ちかごろ、ホントにだらしがなくなった�と、先に言っちゃったら、どうですか?」
と、わたしは慰めたが、果たして、こっちが先に言ったら、
「あら、そんなこと、ないわ。あなたは若いわよ」
という女房の声が返ってくるかどうか?
わたしの場合は、まだ試してないので、わからない。