二時間ほどの結婚披露宴に、新婦が顔をみせていたのは、結局一時間足らずだったのではあるまいか? お色直し、お色直しの連続で、化粧室に引っ込んでいる時間のほうが長かったような気がする。
そんなわけで、来賓のテーブルスピーチも、新婦が席を外しているあいだに行なわれ、わたしの友人は「ホントはヨメさんに聴いてもらいたかったのに……」と不満をぶちまけた。司会者が慌てて「スピーチはヴィデオにとってありますから」と弁解していたが、テーブルスピーチは、じかに聴いてこそテーブルスピーチだろう。
当節の結婚披露宴は、新婦のお色直しばかり盛んで、新婦は着せ替え人形さながらである。アホらしいことに、最近は新郎までがつきあって、お色直しをやる。いずれは、来賓もお色直しをやるようになるのではなかろうか?
それにつけても思い出すのは、故・高木健夫先生のお嬢さんの結婚披露宴だ。お嬢さんの邦子さんは、純白のウェディング・ドレスを自分の手で縫い、結婚への思いを花嫁衣装に託した。
披露宴は信州のちいさなレストランを借りて、ささやかに開かれた。ホテルや結婚式場の演出過剰な披露宴だったら、
「自分の手で縫ったウェディング・ドレスを着たい」
といったことが許されるか、どうか。
「結婚披露宴は、人生のショーなのだから」
という考え方に、あえて異を立てるつもりはない。ショーだからこそ、徒《いたず》らに派手な構成に終始せず、心に残る進行をみせてもらいたいのだ。