中学時代からの友人に、
「近く結婚したいが、披露宴の司会をやってくれないか」
と頼まれた。五十歳を過ぎて、
「いまさら披露宴でもあるまい」
と、いったんは断ったのだが、友人は細君を失って再婚でも、八つも若い相手の女性は初婚だそうで、
「できれば型通りのことはしてやりたい」
という友人の言葉にほだされ、つい引き受けた。
それにしても、市販されている冠婚葬祭の心得を述べた本には、若い人が結婚するときのことばかり書いてあって、友人のように中年で結婚する場合のことについては、ほとんど触れてない。まして披露宴の司会の口上や進行上の注意点などについては、アタマッから、
「司会は、若者がやるもの」
とキメてかかっているみたいで、なんの参考にもならぬ。
だいたいが、そういった本によると、開宴の際の自己紹介からして、
「私は、新郎の中学時代からの友人で××××と申しますが、本日、司会という大役を仰せつかりました。何分にも未熟で、不行き届きの点も多々あろうか、と存じますが」
というふうに言うことになっているけれど、いくらナンでも、このわたしが、
「何分にも未熟で」
とやったら、座がシラけてしまうだろう。わたし自身は、たしかに未熟にはちがいないが、あれは年齢的に未熟な人間が言うから愛嬌なのであって、五十ヅラさげた人間が結婚披露宴で言うことじゃない。
そこで、わたしは、
「当たって砕けろ!」
といった調子で、
「正直な話、仲人ならともかく、このトシになって結婚披露宴の司会をやるなんて夢にも思っていませんでしたので、不行き届きの点も多かろうと存じますが」
と、ぶつけてみたのである。とたんに、友人夫婦の旧知・恩師でもある媒酌人が、
「正直な話、私もこのトシになって結婚の媒酌人をやるなんて夢にも思っていませんでした」
とウケたから、楽しかった。
言っちゃナンだが、媒酌人としても、挨拶のなかに、
「どうぞ皆さまも、この若い二人を暖かく見守って、ご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます」
といった文句を入れるべきかどうか、悩んでいたのではなかろうか。
それこそ正直な話、すでに二人は若くないし、それに、あらためてご指導、ご鞭撻願わなければならないほどチャチなキャリアではない。
そんなわけで、友人の結婚披露宴は無事にお開きになったが、帰りぎわに列席者の中から声あり。
「こんど、きみが再婚するときは、オレが司会をやってやるからな」
冗談じゃない! 女房は、残念ながら元気です。