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男の日曜日69

时间: 2020-02-07    进入日语论坛
核心提示:ギャンブラー無残さて、世の中、フシギである。ギャンブルなんて、「勝ったり、負けたりするもの」と思っていたが、当節のサラリ
(单词翻译:双击或拖选)
ギャンブラー無残

さて、世の中、フシギである。ギャンブルなんて、
「勝ったり、負けたりするもの」
と思っていたが、当節のサラリーマンは、アタマッから、
「勝つもの」
とキメているみたいだ。
負ける奴がいるから勝つ奴がいるのに、勝つ奴ばかりがいた日にゃ、どうなっちゃうんだろう? あいつら、ホントにギャンブルをやっているんだろうか?
それというのも、このあいだ、国民生活センターが首都圏の公団賃貸住宅に住むサラリーマン約三百人を対象に、
「亭主のこづかい調査」
というのをやらかしたら、
「アルバイトやギャンブル収入も含めて月四万九千三百円のこづかいを確保したが、ゴルフなどレジャー費を減らしても五万一千四百円の支出」
といった数字が出たのである。差し引き二千百円の赤字——。
調査に応じたサラリーマンの平均年齢は三十七歳、家族は三・八人で、月収は二十四万五千円ナリ。いかにも典型的なサラリーマンではないか。
調査によると、
「こづかい総額の約八〇パーセントは家計から出ているが、それだけではとても足りないので、一〇パーセントにあたる約四千七百円をマージャン、競馬などのギャンブルで稼《かせ》いでいる」
というのだが、バカなわたしにゃ、この調査結果の、
「約四千七百円をマージャン、競馬などのギャンブルで稼いでいる」
というところがわからない。ここに詳しいデータがないので何とも言えないが、かりにマージャンや競馬など四千七百円なら四千七百円を稼ぐには、いったい、いくらぐらいかかるのだろうか?
どうも、そのへんがハッキリしないので、この調査、俄《にわ》かには信じがたい。サラリーマン時代、わたし自身がそうだったから言うわけではないが、ギャンブルによる収入をこづかいに見込むようじゃ、このひとたち、たいした人間ではない。
これでも、わたくし、ギャンブルは強かった。マージャンでも、コイコイでも、ジョウダンに、
「警視庁管下、三本の指に入る腕前」
と自負していたことがある。
なにしろ、やるたんびに勝つのである。俗に、
「出ると負け」
というが、わたしの場合は「やると勝ち」だった。
サラリーマンだから、支払いは月給日だ。月給日になると、帳面をひろげて、その月の勝ち負けを清算する。
いまにして思えば、これが、まずかった。清算するたびに、
「イタダキッ!」
ということになる。気がついたら、みんなに嫌われていた。
くり返すようだが、ギャンブルなんて、勝ったり負けたりするから、ギャンブルなのである。それが、
「いつも勝っている奴がいる」
ということは、
「いつも負けている奴がいる」
ということだ。
その場その場の清算なら、
「誰が勝って、誰が負けた」
といったことなど、三日もすれば忘れてしまうだろう。それを、わざわざ帳面に残したから、イヤでも忘れてもらうわけにはいかなくなった。
そんなわけで、わたしはマージャンをやめてしまったのである。みんなから反感を買ってナニガシかのこづかいを稼いだところで、ちっとも面白くない。
わたしにとって、
「ギャンブル」
というのは、
「負けることができる」
ということだった。負けることができる人間は仕事のうえでも手柄を誰かに譲ることができる。
それなのに、わたしは負けなくなってしまったのである。同僚たちに勝ちを譲ることさえできなくなった。
正直な話、こういう人間は、サラリーマンには向いてない。いつのまにか仲間からツマはじきされてしまうのが、オチだ。
だから、こんどの調査で、多くのサラリーマンたちが、
「こづかいの不足分をマージャンや競馬などのギャンブルで稼いでいる」
と言うのを聞いて、驚いている。ひょっとしたら、サラリーマンに向いてない人間が増えているのではないだろうか?
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