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男の日曜日68

时间: 2020-02-07    进入日语论坛
核心提示:女の靴音「人は歩くとき手を前後に振る。その振り幅は概して男より女の方が大きいことにふと気付いたのは十数年前である。とくに
(单词翻译:双击或拖选)
女の靴音

「人は歩くとき手を前後に振る。その振り幅は概して男より女の方が大きいことにふと気付いたのは十数年前である。とくに、通勤の途上などで、人びとが一団となって歩いているときなどに、それをよく観察することができる」
と言ったひとがいる。前にも登場していただいたが、日本リクルートセンターの専務・森村稔さんだ。
いかにも森村さんらしい指摘である。森村さんは、恥ずかしがって、
「しかし、これまでこのことを人と話題にしたことはないし、人が話題にしているのを聞いたことはなかった」
と言っているが、そういえば、このわたしにも、ある男女差について、これまでひとと話題にしたことはないし、ひとが話題にしているのを聞いたこともない一つの発見(?)がある。
それを森村さんふうに書くと、
「人は歩くとき、足音を立てる。その足音は概して男より女の方が大きいことにふと気づいたのは、十数年前である。とくに、通勤の途上などで、人びとが一団となって駅の階段を降りるときなどに、それをよく観察することができる」
といったことになるのだが、さて、どんなものだろう? 読者の中にも、駅の階段などで女の靴音に耳をそばだてたひとがいるのではないだろうか。
カッ
カッ
カッ
と、それは、地響きを伴うようでもある。ときに、
「靴の踵《かかと》が折れやしないだろうか?」
と、よけいな心配をしている。森村さんに倣《なら》って、
「なぜ、女性の方が大きな靴音を立てて歩くのか」
ということを、改めて考察してみたい。
㈰ウェート説——体型的に、女性のウェートは下半身にかかっている。それが、階段を降りるときなどはいっそう加味され、大きな音を立てる……ウーン、そうだろうか。
㈪サイレン説——混《こ》んでいる階段を、男女入り乱れて、みんなほぼ同じ勢いで降りる。そんなとき、身体《からだ》が小さく肩幅もせまい女性は、どうしても不利である。そこで、靴音を大きくして、周囲の人間に威嚇《いかく》を与えようとする。いうなれば、
雀の子 そこのけそこのけ お馬が通る
といった感じでもあろうか……ウーン、なるほど、そういうこともあるかも知れん。
——と、ここで、森村さんなら、映画の西部劇の場面のかずかずを思い出し、
「いままさに撃ちあいをしようとする男と男が互いに歩み寄る。手はぜったいに振らない。むしろ、だらんと垂らした感じであり、腰の拳銃近くで手の指が小刻みにふるえている」
と書いてから、
「眼前に敵を予想するとき、それほどではなくても何かの理由で心身が緊張感に貫かれているとき、人は大手を振らずに歩く」
と分析するところだ。そうして、
「会社へ、あるいは自宅へ急ぐとき、男は女よりもいささか緊張しているのだ」
と呟《つぶや》いてみせるのである。
トーゼンのことながら、こちらも昔よく見た時代劇かなんかを思い出し、
「いままさに敵陣に乗り込もうとするサムライたちは、黙々と歩く。足音なんか、ぜったいに立てない。むしろ、うなだれた感じであり、腰の刀にあてた手はギュッと握りしめられている」
と書いてから、
「目前に敵を予想するとき、それほどではなくても何かの理由で心身が緊張感に貫かれているとき、人はめったに足音は立てない」
と苦しまぎれに分析するよりほかに方法はなかろう。そうして、
「会社へ、あるいは自宅へ急ぐとき、男は女よりもいささか緊張しているのだ」
と、同じ結論を引き出してみたが、どうだろう?
会社にせよ、自宅にせよ、男にとって、そこは戦場なのである。女みたいに、嬉々として、あるいは、肩で風を切るようにして、その場に臨むわけにはいかない。
俗に、
「死地に赴く」
というが、あれである。すでに死ぬ覚悟はできている。
冗談じゃなしに、
「矢でも、鉄砲でも持ってこい!」
といった心境である。しかし、矢なり、鉄砲なりを向けてくるのが、
「なぜか同僚であり、女房である」
というのは、いかにも辛いね。
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