何かスポーツをやっていましたか、ときかれると、私は思わずたじろいでしまう。
「ううう……」
としばしうなってから、度胸をきめて、
「中学時代、卓球をやってました」
と告白すると、大抵の人は、
「へーえ、ずいぶん暗いことやってたんですね」
という。私は卓球は暗いスポーツだとは全然思っていなかったのだが、ネアカ、ネクラブームのとき、スポーツの中で何が暗いかというアンケートの結果、水球と肩を並べて卓球という文字を見たとき愕然とした。おまけに私は卓球部の部長であった。ネクラの頂点に立つ人だったわけである。
そもそも卓球を始めた理由というのは、だんだん交通事故が増加してきたという新聞記事を読んだ父親が、
「卓球をやると動作が敏捷《びんしよう》になって、車に轢《ひ》かれない!」
ときっぱりといい切ったので、まだ純真だった私はおとなしくそれに従ったのである。
当時私はダイコン足と呼ぶにはあまりに股下《またした》が短いカブ足に紺色の短パンをはき、頭にはハチ巻き、短パンと同色の紺色の体操着を着て、ラケットを握って素振りを繰り返していた。
外にはサンサンと太陽が輝いているのに、わざわざ体育館の窓を暗幕で被い、真夏でも猫背になって汗をダラダラ流しながら必死にピンポン玉を追っている短躯《たんく》な私の姿は、今から思えばやはりネクラという言葉以外の何物でもないような気がする。練習を一回休むと校庭三周、二回目は体育館をウサギ跳びで五周、三回目は退部という規則があったり、監督の教師からは、
「お前らは根性がないから試合に負けるんだ」
とののしられて、よくガマンしたもんだと思う。根性だの練習だのといわれ続けて、現在の私が人様から喜ばれるような人間になっているかというと、温泉場にいったときの�浴衣姿のピンポン大会�で、全くのド素人の中で少しでも卓球をやった者がいると場が盛り上がるといった、その程度のものなのだ。
テレビでスポーツを放送すると、涙、汗、根性、努力といったことばかりが強調されて、
「いいかげんにしてくれ」
といいたくなるが、そんな中でテレビ朝日系で火曜日夜八時から放送されている「ビートたけしのスポーツ大将」はマジメにスポーツをやりつつも、ゲラゲラ楽しく笑えるのがとてもいい。たけし軍団の若い男の子たちや素人の参加者が、陸上、水泳、野球、バスケット、バドミントン、バレーボールなどをやるのだが、男子百メートルでも本当にみんなマジメに走っているのがよろしい。マジメな実況放送も入る、ちゃんとした競技会なのである。