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撫で肩ときどき怒り肩88

时间: 2020-02-09    进入日语论坛
核心提示:離婚の母も大笑い 私はニコニコ笑いながら弟に、「今日、面白い看板をみたぞ」といった。すると彼は「ふーん」といったきり、自
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離婚の母も大笑い

 私はニコニコ笑いながら弟に、「今日、面白い看板をみたぞ」といった。すると彼は「ふーん」といったきり、自分の部屋に入ってしまった。私はムッとして部屋のフスマを叩き、もう一度、「あのなあ」とトライしてみた。ところが「うるさいなあ。ボク、勉強しなきゃならないんだから、ほっといてよ」と冷たい。「よーし、わかった。聞きたくないヤツには話さない」と、私は母親の帰りを待った。
しばらくすると、髪の毛を振り乱して母親が帰ってきた。私はすぐさま彼女の手をとって、にじり寄り、「ねえねえ、面白い話があるんだけどさあ。聞きたい?」といった。予想どおり母親は「うん! 聞きたい」というので、「ミル69……」の話をしてやった。すると、これが想像以上に受け、あんなに邪険にした脚気の弟までが、フスマのむこうで「ひゃっひゃっひゃ」と笑っているのである。
それからは、テレビでベレンコ中尉の名前を耳にするたびに、私たちは、「ベレンコ中尉もこれみてデレンコー!!」とわめき、わっはっはと笑った。彼の名前のおかげで、離婚直後の母子家庭に明るい笑い声がよみがえったのである。
もちろん当のベレンコ中尉はそんなことを知るよしもなく、アメリカで宇宙航空産業の仕事に就いて、元気に暮らしていた。おぼろげな記憶では、当時のベレンコ中尉は、やせて神経質そうな感じがしたが、インタビューに答えている彼は、丸々とした柔和な顔をした人で、坊っちゃん刈りのジャック・ニクラウスといった容貌であった。暗さなどみじんもない、明るいおじさんだった。新しい名前を使って、世界中を旅行しているといっていたから、今回は特別、「ビクトル・イワノビッチ・ベレンコ」という昔の名前で、出ていたわけである。
この亡命事件が起こったとき、私は母親や弟と「こんなことしたって、KGBにつかまって、連れ戻されるか、ヘタすれば殺されちゃうよ」などといっていたのだ。しかし、ハンバーガー太りした典型的アメリカ人といった姿になり、結婚もして子供も二人いる、などときくと、「この人、本当に本人かしら」と、そこまで疑りたくなってしまう。しかし彼が「私がベレンコです」といっているのだから、本人なのだろう。
ソ連という国もよくわからないし、アメリカもどうでもいい情報だけ流して、肝心のことはしっかり隠しているはずだ。両方とも一筋縄ではいかない国である。その間をブーンと飛んでしまった彼は、「アメリカには無事到着したが、その後行方不明になった」といわれたほうが納得できるのである。ソ連の元空軍中尉が、今まで無事に暮らしていることのほうが、不思議だった。
彼は「アメリカでは有名人ではなく、普通の人でいい」と話し、「ソ連は、まるで強制収容所のようだった」などとソ連の批判はするが、「アメリカでの生活は安全で、夢のようだ」という。彼がそういうたびに、誰かに「そう言え」と、指示されているのではないか、と勘繰りたくなってしまうのだ。
結局は、具体的な彼の生活については明らかにされず、アメリカにいって、デレンコしている姿だけが映しだされていたのであった。
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