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撫で肩ときどき怒り肩123

时间: 2020-02-13    进入日语论坛
核心提示:「毎日を精一杯に」殊勝な決意も長くはもたずここのところ昼間テレビをつけていると、ほとんど毎日有名人の訃報《ふほう》ばっか
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「毎日を精一杯に」殊勝な決意も長くはもたず

ここのところ昼間テレビをつけていると、ほとんど毎日有名人の訃報《ふほう》ばっかり流れていた。私は石原裕次郎のファン層からは少し年齢がずれているから、中年の人たちとは違って彼の死に際してはそんなに悲しくはなかった。それよりもトニー谷が亡くなったことのほうにジーンとした。もちろんテレビに出ている彼しか知らないのだが、「アベック歌合戦」で、
「あなたのお名前なんてえの」
といって拍子木を叩いてツイストを踊っている姿を見て、子供心にとてもビックリしてしまってすぐ真似した。使わなくなった直方体の積み木を押し入れの奥から引っ張り出してきて、キッキッキッと叩きながら弟と「アベック歌合戦」ごっこをやった。同じ頃に裕ちゃんが死んでしまったので扱いもとっても簡単で、パンダとたまたま同じ日になくなったために、パンダよりもちっちゃい死亡記事だった三遊亭円生の事を思い出したりした。
ETV8では再々発のガンを抱えた体で仕事をしていた、ジャーナリストの故千葉敦子さんの特集をしていた。私は彼女の「乳ガンなんかに敗けられない」を読んで、何て嫌な女なんだろうと思ったことがある。ガンにかかったのはお気の毒だが、それ以上に読後感が不愉快だった。
「そんなに外国人がいいのなら日本になんか住んでいないで、さっさと外国で生活すればいいのに」と思ったが、そのとおりニューヨークで亡くなられてしまった。
この番組で初めて彼女の生前の声を聞いたが、死に直面した人の声を聞くのは何ともいえず痛ましいものである。しかし彼女の場合は死に直面しながら非常に口調も明快で力強かった。このあとすぐ声を失ったということだったが、それを聞いて病気の進行の早さに脅威を感じてしまった。
彼女はとくに死を意識してから、一日一日をムダに過ごさないようにしていたそうである。自分の命が限られているとして、私が彼女のように一日を精一杯生きていくかといったら、やっぱり今みたいにでれーっとしているのではないかと思う。四十代五十代の働き盛りの人の訃報をきくたびに、
「自分もいつそうなるかわからないから、一日をムダに過ごすことはやめよう」とその時は殊勝にも思ったりするのだが、それが持続するのはいいとこ一日か二日で、あとはいつものようにムダだらけの毎日を送っている。一日を精一杯生きようとしたら、やらなきゃならないことがたくさんあり過ぎて、それをこなすだけでもストレスがたまりそうなのだ。
いくら永遠のスター石原裕次郎が亡くなろうが、子供の頃に見た面白いおじさんトニー谷が亡くなろうが、千葉敦子さんが亡くなろうが、訃報に接したときはそれなりにショックを受けるが、生活態度は全く変わらない。夏バテもせずにパクパク御飯を食べ、グーグー寝て、ぼけーっと自堕落な日々をこれからも送り続けるのである。もしかしたら自分の身近な人間が亡くなったとしても、私は結局は死を他人事としかとらえられない性格のような気がしている。
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