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世界昔ばなし110

时间: 2020-02-18    进入日语论坛
核心提示:石狩の少年と悪おじ   どういうわけかは知らないが、私には父親がなく、にいさんとふたり母親に育てられて暮らしていた。私の
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 石狩の少年と悪おじ
                                                                           
どういうわけかは知らないが、私には父親がなく、にいさんとふたり母親に育てられて暮らしていた。私の家は大きな家で、父親はたいそう狩りのうまい人だったのだろう。裕福だったらしくて、家財道具も山のようにある。そんなところに私たちは暮らしていた。
いつもかあさんは、
「誰かがきて、何か食べ物をくれるといっても、絶対に相手をするんじゃないよ。食べるんじゃないよ」
といっていた。
ある日のことにいさんと遊んでいると、人の声がする。見ると、黒髪と白髪が同じくらい混じった男の人が小さな鹿の片足を一本持って入ってくると、
「もうこんなに大きくなったんだから、明日は海の漁を見せてあげよう。沖漁に連れていってあげよう。夜があけたら、おかあさんにこれを煮てもらって、それを食べたら一緒にいこう」
といって、その肉を置いた。それから、ゆでた肉をふた切れ出して、
「さあ、これを食べてごらん」
といったけれど、かあさんのいいつけだからと思って、ふたりとも食べなかった。
「さあ、さあ、なんで食べないんだ」
といわれても黙っていると、
「明日の朝早く、おかあさんにご飯を作って食べさせてもらうんだぞ」
といって、出ていってしまった。しばらくすると、かあさんが帰ってきたので、その話をすると、
「親戚といったって、私がこうやって泣きながら子どもたちを育てているのに、いままで食べるものなど何ひとつ持ってきたことがなかったのだもの、よい了見のはずがないわ。うちの亭主をあれほど嫌って、亭主がなくなったら村を丸ごとよそへ移してしまった人間のいうことだもの」
といって、ひどく腹を立てた。
かあさんは夕食の支度をしたけれど、男の人のくれたゆで肉を見ると、
「食べてもいいよ」
といってくれた。口にしてみると、よい肉というものなど食べたことがなかったものだから、そのおいしいこと。
かあさんは食事の支度はしたものの、鹿の足は煮ようともせずに寝てしまった。するとまだ夜も明けないうちに、例の男がやってきて、
「なんてねぼすけな女なんだ。あれほどいっておいたのに。息子たちに漁の仕方を見せてやろうと思っていっておいたのに、起きてきもしないなんて」
とかあさんにさんざん悪口を浴びせたけれど、かあさんも黙ってはいない。
「親戚の者だからといって、いままでそれらしいことをしてくれたこともないじゃないか。うちの息子たちに何かよからぬことを考えているんじゃないのかい」
というと、おじととっくみあいをはじめた。そして私とにいさんの手をふたりで引っ張りあったあげく、おじは私たちの手を引っ張って船着場まで走っていき、船の中へと引きずり込んだ。
「おかあさん、おかあさん」
と私たちは泣き叫んだ。かあさんは船のへさきをつかんだけれど、おじがさおで手を殴りつけたので、船着場の砂の上に倒れ込み、わあわあと泣き叫んだ。船はどこへとも知れず私たちを乗せて出ていってしまった。私たちが泣いて泣いて泣きつかれる様子もないので、おじは背負ってきた食べ物をくれた。それを食べていると、何というものなのだろう。何という魚なのだろう。大きな魚が何匹も波の上に頭を出したり沈めたりしている。
「ほら、あそこあそこ」
というと、
「近くの海にいる魚は、土の匂い、草の匂いがしてまずいものだ。遠くにいかなくてはだめだ」
とおじはいい、どこへとも知れず船をこいでいく。どのくらいこいだかわからないほど、海の上をこいでこいでこぎ続けると、見知らぬ土地にやってきた。ちょうどいいところがあったので船をつけると、若者がふたりやってきて船を陸の上に引き上げてくれた。
「息子たちを連れてきたぞ」
とおじがいうと、若者たちはとても喜んで私たちの手をとった。おじも船から降りたので、一緒にくるのだと思って振り向くと、船は遠く沖へとこぎ出ていく。
「おじさん、忘れていっちゃいやだよォ。忘れていかないでよォ」
と泣きわめいたけれど、
「おまえたちのためを思って連れてきてやったんだぞ」
といって、おじは行ってしまった。そこで泣くのをやめて、若者たちについて行った。浜を上がると大きな村があり、村のまん中に島のように大きな家がある。そこに連れられてはいると、年輩の男の人と女の人がいた。
「子供たちにおいしいごちそうを作って、たくさんくわせるんだぞ。さもないとやせちまって、えさにならないからな。たくさんおいしいごちそうを作ってくわせるんだぞ」
とその家の主人がいう。おじが私たちをここに売りとばしたらしい話がきこえてくる。そのうちにおいしい料理が出てきた。
そこには若い女の人がひとりいて、そのふところに抱かれて、やさしくなでられながら眠りについた。その女の人は私のことを「弟」と呼んでくれ、私はその家の人たちを「小さいにいさん、大きいにいさん、おじさん」と呼んで暮らしていた。
「ねえさんは弟ばかり抱いて寝ているな」
と小さいにいさんはいう。その小さいにいさんは、本当のにいさんと一緒に外で遊んで暮らしていた。でも、おじが私たちを船で連れてきて、ここに売りとばしたのだというような話はきこえてくるし、
「子供たちにたくさんくわせないと、えさにできなくなるぞ」
とその家のあるじがいっているので、私たちは殺されることになっているのだな、と思って暮らしていた。
それからだいぶたったある日のこと、この家の兄たちが、本当のにいさんを連れて外へ出て行った。夕方になるとこの家の兄たちだけが戻ってきて、にいさんの姿が見あたらない。そこでみんなが寝静まるのを待って、船着場におりていき、この家の兄たちの船の中に乗り込んだ。ゴザが掛けてあるので、それをめくってみると、にいさんは骨だけになっていた。ところが、そんな風に死骸になっているのに、にいさんは口を開いてこういった。
「弟よ、よくきいてくれ。おまえだけでもなんとかして生きのびてくれ。おれたちの悪いおじは、まだとうさんが生きていたときにいそうろうしていた人間なのだが、とうさんの羽振りのよいのを憎んでいた。それで、おれたちがこのまま生きていると、自分の子供たちが肩身の狭い思いをするだろうと、レプンクルのところにおれたちを売りとばして、ここまで船で連れてきたんだ。死んでから初めてそのことがわかったんだ。おれは生きているわけではなくて、死んでいるのだけれど、おまえがきたらこのことを話そうと思っていたんだ。そこにおまえがうまいこときてくれた。ねえさんはよい心の持ち主なので、おまえを逃がしてくれるだろうから、なんとかして生きておれたちの村に戻って、人間らしい生活をしてくれ。
おれは生きながらにして骨だけにされたんだ。肉をむしりとられてそれを釣りのえさにされたんだ。人間の肉ほど釣りのえさによいものはないというので、買い取られて、えさにされたのだけれど、おまえだけでも何とか逃げてくれ。おまえはまだ幼いので、ねえさんが逃がしてくれるだろうから、死ぬんじゃないぞ」
とにいさんはいった。
私は泣きながら骨だけになったにいさんの上にゴザをかけて家に戻り、ねえさんのふところに潜り込むと、ねえさんは私をなでながらいった。
「泣くんじゃないのよ。逃がしてあげるからね。まだ子どもだけれど、男の子というのは頭のよいものなのだから、逃げられるでしょう。おまえのにいさんは釣りのえさにされてしまった。おまえのおじさんがおまえたちを売りとばしたから、にいさんはえさにされてしまったけれど、おまえはえさにされる前に、何とか逃がして生きのびさせてあげるからね。二度と会えないだろうけれど、逃がしてあげるから泣くんじゃないのよ」
とねえさんはいってくれた。
ねえさんはそれから、小さくてきれいな着物や、身のまわりの物を作っては着せてくれていたが、ある夜横になっていると、兄たちが疲れたものだからいびきをかいて寝てしまった。そこで、ねえさんはいった。
「今夜、おまえを逃がしてあげるわ。私たちは『遠くのレプンクル』というもので、空の星にも化けられ、海の泡にも化けられるものなのよ。『近くのレプンクル』には、ふたりの息子とふたりの娘がいて、心のよい人たちだと思うから、そこへおまえを逃がしてあげるわ。なんとかして逃げのびて、人間らしい生活をするのよ。そして仕返しをしておやり」
とねえさんはいって、私を立ち上がらせ、身支度をさせた。
外に出ると、ねえさんは歩きながらでも食べられるように、火を通した食べ物を袋にいれて背負い、その上に私を乗せると、どこへとも知れず歩き始めた。浜づたいに歩いて、ある時は沢を渡り、ある時は山の尾根を越えて、おぼろな月の光の中をどこへとも知れず歩いていった。連れてこられたときよりもずっと長いことかかって、もう夜明けも近くなってきたころ、
「私はここで引き返すからね。なんとか生きのびて、じぶんの村に帰るのよ」
とねえさんは涙をぽろぽろこぼしながらいった。
「ねえさん!」
といって抱きつくと、ねえさんはまた泣きながら私の背をなでてくれていたが、そのうちに心をきめて、こういいのこして去っていった。
「沢や川端で水を汲むときには、悪い虫がいておそろしいから、よい沢をえらんで野宿しなさい。野宿するときには持ってきた食べ物をすこしずつでもおそなえして、沢の神様にお守りくださるようにいうのよ。山菜があるようなところで二、三日過ごすときには、何とかして人を見つけるようにしなさい。そして、誰か人に出会うまで間に合うように食べ物を集めるのよ。沢を渡るときにも、よい沢筋で野宿するときにも、時間が早かろうと遅かろうと、食べるものをおそなえするのを忘れてはいけません。山菜のあるようなところを歩くときにもそうするのよ」
ねえさんがそういったので、その日はねえさんが私を置いていったところに野宿した。
「この沢はよい沢なので、ここで野宿して水を飲んでもいいのよ」
とねえさんがいったので、夜が明けると水を飲み、ご飯を食べて出発した。あるときにはよつんばいになりながら山の尾根を越え、よい沢を見つけると、
「沢の神様、水の神様、これこれこういうわけで、ぼくは北海道からレプンクルの国へ連れてこられ、こうしてここまできたのです」
とねえさんに教わったとおりとなえて食べ物を捧げて、何事もおこらずにすんでいたが、そのうちに食べるものがなくなってきた。
そうやって野宿しながら歩いていると、にぎやかな村、大きな村の前に出た。村のまん中には島ほどもある大きな家がある。その家の前に立つと、年輩の女の人が出てきて、
「どこからきた男の子だろう。かわいらしい子がいるよ。どこからきたんだか、家の前に立っているよ」
といって、私を家の中に上げてくれた。手を引かれて家の中に入ると、年輩の男の人がいて、
「これは神様のお引き合わせだ」
ととても喜んでくれた。女の人はご飯を作って食べさせてくれた。するとそこへ、二人の娘がたきぎをしょって帰ってきた。
「どこからきた子なの?」
とおねえさんのほうがきくと、
「表に出たらいたんだよ」
とそのふたりの母親である女の人が答えた。ふたりの娘はそれこそなんともいいようのないほど、私をかわいがってくれた。夕方になると、今度はふたりの若者が鹿を背負って帰ってきた。ふたりは、
「これは神様のおはからいで、神様の兄弟をさずけられたんだ」
といって、「神様の弟、神様の弟」と私を呼んでくれる。そして自分たちを「小さいにいさん、大きいにいさん」、娘たちを「大きいねえさん、小さいねえさん」、親たちを「とうさん、かあさん」と呼びなさいといってくれた。
私はみんなにたいそうかわいがられて過ごし、そのうち少し大きくなってくると、にいさんたちと一緒に狩りにいくようになった。にいさんたちの狩りのじょうずなことといったら、たとえようもない。私はただ獲物の皮をはぐだけでいいからついてくるようにいわれていたのだが、にいさんたちは私をとてもだいじに扱ってくれる。そうこうしているうちに大きくなると、父親がこういった。
「神様の息子殿をいつまでもわしたちと同居させておくのも恐れ多いから、下の娘と夫婦にして、別棟を立てて住んでもらい、わしらは息子殿の捕ってきた獲物を食べさせてもらおうじゃないか」
そこで、にいさんたちが立派な家を作ってくれ、小さいねえさんと一緒に暮らすことになった。かあさんも私を下にも置かぬ扱いぶりで暮らしていたが、ある日家に戻ってみると、妻が泣いている。
「何を泣いているんだい?」
ときくと
「あなたの評判があまりによいので、『息子たちの影が薄くなってしまったから、板を割って割木で家を建て、そこに押し込めて殺してしまおう』と悪い父がいうのです。にいさんも反対し、かあさんもねえさんも反対したのですが、きき入れようとせず、『それなら、おまえたちも一緒に殺してしまうぞ』というので、泣いているのです」
という。
「ぼくは死ぬことなどなんでもない。死ぬのなら死んでもかまわないのだから、泣くことなんてないよ」
といってやると、妻がいった。
「小さい頃から、『女というものは朝早くから起きて、いろりのまわりをそうじして、庭をはいて、水汲みにいって、川で顔を洗うものだ。そうすると神様が目を掛けてくださる』と母にいわれて育ったものですから、私のほうが妹なのですけれど、朝早く起きて家のまわりをはき、いろりのまわりもそうじして、川へ水汲みにいって顔を洗っていました。すると、何かピカピカ光るものがお盆に乗って流れてきます。そばに引き寄せて見てみると、鋼鉄(か ね)の肌着でしたので、喜んで引き上げて着てみると、肌の中に沈んで見えなくなってしまいました。ところが、今になってそれが肌の中から浮かび上がってきたのです。あなたに着てもらうために神様が肌の中から浮かび上がらせたのだと思いますので、この鋼鉄の肌着を着て下さい」
といって渡してくれた。そこで、それを着てみると肌の中に沈んで見えなくなってしまった。妻はそのころお腹に子供を宿していた。
翌日、食事を終えると迎えがきたので、その割木で作った家に連れられていった。村の人たちも反対したのだろうけれど、話にきいたとおりのありさまで、よくもまあ木を割って割木などで家を作ったものだと思うが、私はそこに押し込められた。すると、ぶどうづるで戸がしばりつけられ、槍を持ったものは槍で、刀を持ったものは刀で、割木の間から次々に突いたり切ったりしてきた。それを片っ端から倒しているうち、大きいにいさんまで一番あとから姿を現わしたので、にいさんも殺してしまった。すると、小さいにいさんは逃げていってしまった。
割木の間から突かれたり切られたりしたのでとても苦しく、戸をしばっているつるを切りはずして外に出、浜づたいに歩いていった。あるときは尾根に沿って海を越え、どこやら場所もわからぬところに野宿を続けながら、腹も減り、傷も苦しく、あてもなく歩いていった。野宿を続けながらそうやってどこへともなく歩いていると、家があった。細々と煙が上がっている。もう日も暮れてきたので、傷のせいでていねいに腰をかがめることもできなくて、頭を下げもせずに家に入り、
「これこれこういうわけで、なんぎをしております。誰かいらっしゃるのでしたら、哀れに思って、私を泊めてください」
というと、いろりの左、火のそばに女の人らしい姿が横になっている。けれど、頭から夜具の着物をかぶって、何も返事をしない。そこで、苦しい思いをしながらそこにいると、夜明けごろ誰かが走って家に入ってきた。私の姿を見ると、
「まったくこういう始末だから、おちおち寝てもいられない。妹の馬鹿め。こんな神様みたいな若者が苦しんでいるというのに、火もたかない、火にあたらせもしないで、こういうざまだ」
というと、私の体を起こし、肩にかついで表に出ていった。
すぐ近くに大きな家があり、そこに入ると、その若者は上座の火のそばに高いまくらを置いてくれ、気の毒にといいながら私を寝かせてくれた。大きな鍋を掛けてお湯をわかし、私の着ているものをお湯で柔らかくして裂いている様子だけれど、そうしてもらうとなおさら苦しく感じられた。若者は着物を裂いて脱がせると、浅い傷、深い傷を洗ってくれた。苦しくて、心の端で泣いたりよじれたりするような思いでいるうちに、傷口を洗い終わると、今度は自分の着物を出して着せてくれ、食事を作って食べさせてくれた。お腹が空いていたので食べることは食べたけれど、手を持ち上げることもできないので、口に入れてもらった。それからわけをたずねられたので、これこれこういうわけでなんぎしてここまできたのだと話すと、
「それはお気の毒に。じつは私たちも人にうとまれて、妹とふたりここにやってきて、別々に家を建てて暮らしていたのですが、妹の夫もけんかして出ていってしまい、ろくでなしの妹はひとり者になって、ふてくされて夜具を引きかぶって寝ていたのです。それで、あなたが困っているというのに、起きて火をたきもせず、何も食べさせもしなかったというわけです」
とその若者はいった。
日が暮れるたび、夜が明けるたびに、若者は私の傷口を洗い、食事を作って食べさせてくれる。そのうち自分で食べられるようになり、起きあがって座っていると、にいさん(若者)は山にいって鹿だの熊だのをとって、妹のところにも持っていってやっている様子だ。
二月(ふたつき)か三月(みつき)か、そうやって「にいさん、にいさん」と呼んで暮らしていたが、そのうち歩くことができるようになると山へ狩りにいくようになった。私は狩りが上手なものだから、鹿でも熊でもとると、にいさんがついてきて皮をはぎ、家に運ぶ。ついでに妹の家にも持っていってやっているらしい。そうやってにいさんと食事をし、何不自由ない暮らしを続けていた。
ある日のこと山にいくと、狩りじょうずの私でもいままで見たことのないような、それこそ熊の中の熊というような体つきの熊神に出会ったので、矢を射ると、すぐに獲物となってくれた。そこで皮をはいでいると、顔の半分が黒く、顔の半分が白い男がどこからかやってきて、私をののしった。
「どこのどいつだ。おれが追っかけていた熊を先に殺して、皮をはいでいやがる」
といって、私をののしったが、きこえないふりをして皮をはぎ、荷を作っていると、革紐を持ってそばへやってくるので、その革紐をひっつかんだ。根の短い木に縛りつけるとよくない、ヤチダモや桂の木であれば根が遠くまで張っていてよいのだがと思うと、ちょうどヤチダモがあったので、その木にぐるぐる巻きにしてしばりつけ、熊神の頭と毛皮を背負って家に戻った。そして、にいさんを連れて残りの肉をとりに戻ってみると、例のヤチダモは根っこごと引き抜かれて、男は木をしょったままいなくなっていた。
私は、しとめた熊神の肉を全部にいさんの家に運ぶと、イナウ(柳などの木でこしらえた神様への捧げもの)にする木を自分で切り、にいさんに手伝ってもらいもせず、熊の神様の魂を神の国に丁重に送り返した。その晩夢の中に、黒い着物をうち羽織った見るからに神様という風貌の人物が現れ、こういった。
「若者よ、よくききなさい。私は山の神の中でも、一番奥に住んでいる神で、今は石狩川中流の村長に祭られる神なのだが、その村の村長が狩りにいったとき、キムンアイヌという化物に出くわして、殺されてしまった。そしてそのキムンアイヌが今度は山をおりて、ふたりの息子を持つ、その石狩川中流の村長の奥さんと一緒に暮らしている。そして、毎年熊の子供を養っては、雄の仔熊を育てると人間の女と一緒に神の国に送り、雌の仔熊を育てると人間の男と一緒に神の国に送るので、それで村が滅びかかっている。
その村に妹と二人で暮らしている若者がいるのだが、またキムンアイヌが雄の仔熊を育てて、その妹が一緒に送られることになり、村ではその準備で酒を作ったり米をついたりしている様子だ。
そこで私は、頼りになる若者を捜していたのだが、見つからないでいた。だが、おまえなら頼りになると思ったので、おまえの前に姿を見せて獲物になり、おまえに力を貸してキムンアイヌを木に縛りつけてやったのだが、悪い神なので、木を根元からひっこ抜いて、今、村に向かっておりているところだ。明日になったらおまえの兄と一緒にいって村に泊まり、私も手を貸すから、キムンアイヌをうんとこらしめてやってくれ」
私はおどろいて、何もいわずににいさんを連れてその村にいくことにした。
食べ物を背負って出かけたところ、夢でみたとおり、キムンアイヌがあのとても大きなヤチダモの木をひっこ抜いて、背中に背負ったままぴょんぴょん跳ねていった跡があった。その跡を追っていくうちに、魔物の近くまで追いついたので、他の路を通って村にいくと、村のまん中で米をつくものは米をつき、酒を絞るものは酒を絞っているところに出た。そして、例の仔熊を見つけたのでこっそりささやいた。
「偉大なる神よ、あなたは父神様の力で何事もなく神の国までいけるのですから、明日になったら、私がやって来て神の国に送ってあげますので、誰にも縄をつけさせるんじゃありませんよ。私は一晩泊まって朝になったら来ますから、神様、よくご承知置きください」
と仔熊の神様に耳打ちした。檻のそばで、静かに、誰にもきかれぬようにひそひそ声で仔熊にそういうと、私はそこを離れた。
例の兄妹の家は村の下のはずれだときいていたので、村の下手にいくと、小さな家ではあるけれど、本当にこぢんまりとしたきれいな家があった。家の前にいって咳払いをするととても美しい娘が出てきたが、何か泣いてでもいた様子で、表に出て私たちを見ると、
「表に若い立派な方ばかり、ふたりいらっしゃいました」
と告げた。
「どなたであろうと、はいりたくてきた人はお入れしたらどうだ」
家の中から声がすると、娘は敷きゴザを敷き、床をはいて私たちを入れてくれたので、ひざずりをしながら奥に進んだ。にいさんに先にあがるようにいったが、もじもじしているので、先に私があがり、いろりのそばに座った。にいさんはいろりの右に座り、上座にその家の若者が座った。若く立派なその人物が挨拶し、私たちも挨拶に答えた。
「何かお困りのことがあるのではありませんか」
とたずねると、
「何も困ったことといってないのですが、昔この村にはそれこそ心のよい、人望のある村長がいたのです。それが山にいったきり戻ってくる様子がありません。代わりに顔の半分が黒く、顔の半分が白い男がどこからかやってきて、村長の奥さんと夫婦になっています。その男が毎年仔熊を育てて、雌の仔熊を育てては人間の男と一緒に送り、雄の仔熊を育てては人間の女と一緒に送るので、それで村がさびれ、働きざかりのものはいなくなってしまったのです。私にはたったひとりの妹がいるのですが、その妹が明日、仔熊と一緒に送られるという話なので、泣いているところなのです」
とその若者がいうので、
「泣かなくても大丈夫です。恐れなくても大丈夫です」
と私はいった。そんなことをしていて、しばらくして家の外に立っていると、例のキムンアイヌが木を背負ったまま跳ねてきて、
「村のものどもォ、助けてくれえ」
といっているので、走っていって目の前に立ち、
「どっからかきたへんなやつがいったとおり、大神様が木にしばりつけられているぞ」
といったが、私のことを覚えていない様子なので、その革紐を山刀で切ってほどいてやった。家の中にはいるのを見とどけて、若者の家に戻り、一夜をそこで過ごした。翌日、その家の娘がおいしい料理を作って食べさせてくれた。
「何も泣くことはありませんよ」
といいおいて外に出て、村長の家までやってくると、例の仔熊に縄をつけようとして檻のところにみんな集まっているが、仔熊は縄をつけられるのをいやがってうなり声をあげている。みんなで仔熊を見守っている神様にお祈りをあげていると、顔半分が黒く、顔半分が白い男が大きな窓から、仔熊を殴り殺すための棍棒を手に持って外に出てきたので、
「大神様、どうやってあの仔熊に縄をつけるおつもりですか? あんなに嫌がっている様子ですが、私が縄をつけにいってはいけませんか?」
というと、夢に現われた熊の神様に術をかけられているので、男は、
「よろしい」
と返事をした。そこで仔熊のところにいって縄を掛けると、声もあげずに縄をつけさせたので、檻の柵を外してそこから外に出した。祭場の柱には笹の葉がたばになってくくりつけられている。その柱に仔熊を結びつけると、顔の半分黒い男のところにいって、
「私が棍棒で殺してもいいですか? どうでしょう?」
ときくと、
「おれはとどめの矢を射る役でもいい」
というので、棍棒を貸してくれるようにいった。握り心地のよさそうな、血が一面についてかわいている、そんな棍棒を持っていたので、
「その棍棒を貸してください」
といって受け取ると、その半分黒い男の顔をそれで殴りつけた。男が倒れたのでその首を切り落とすと、そこにあの村長の奥さんが出てきて、
「どこかの馬の骨が、私の夫を殺してしまった」
といって、私をなじった。
「どこの馬の骨だかわからない悪神を夫にしていたのはあんただ。これが昔のままの夫だと思っているのか」
といってどなりつけると、そこで初めて術が解けて気がついたらしく、わあわあと泣きながら家の中にはいってしまった。それから今度は、
「さあ早く、村の衆。腐った木だのゴミだのを女便所の前に集めて、私に手を貸してくれ」
といった。キムンアイヌが首だけになっても私を追いかけてくるので、刀を抜いてさんざんに切りつけ、細かく刻むと女便所の前に運んでいって、ゴミだの腐った木だのと一緒に燃やした。燃えつきるとその白い灰は、西の空へと舞いあがって飛んでいってしまった。
私は顔を洗い、手を洗って仔熊神を矢で射とめた。そして、
「村の衆も手を洗い、顔を洗いなさい」
というと、自分でイナウを削り、仔熊神を神の国に送った。父神の力で無事に父親たち母親たちのもとへいくことができるよう、お祈りして送ったあと、仔熊神が気の毒なものだから、お酒があったのでそれで酒宴を催し、女たちが輪になって踊ったり、ハララキという踊りをしたりした。女たちも男たちも泣きながら私を伏し拝んだ。そのうち、例の仔熊と一緒に送られることになっていた娘が引っ張ってこられたので、
「何だってつれてくるんだ。みんな家に戻りなさい」
といい、私も悪神を倒したことを報告しに、あの若者たちのところに向かった。
「あなた様のおかげで妹の命は助かりました。さあ、貧乏人は貧乏なように、裕福なものは裕福なように、この方にお礼を差し上げなさい」
と若者がいうので、
「いま何をいただいても、持っていくこともできません。来年になったらまた船できますので、その時まで待っていてください」
と私はいって、その日はそこに泊まり、ふた晩をその村で過ごしてにいさんの家に戻った。にいさんはおどろきあきれて、
「いやあ、弟殿はなんとまあたいしたもんだ」
といった。
それからしばらくして、ある日のこと山に狩りにもいかず家の外で仕事をしていると、後ろから「あなた」と呼んで抱きついてきたものがある。振り向くと、「近くのレプンクル」の村に残してきた妻が子供をおぶって私に抱きついてきたのだった。私はびっくりして家に入れ、息子をおろして腕の中に抱きかかえた。そしてその子をなでさすった。にいさんもその子をとてもかわいがってくれた。それから妻の料理をみんなで味わった。
そして海を渡ろうということになり、丸木船をほることになった。すばらしく大きな桂の木、村の守り神の大きな木を背負ってきて船を作った。にいさんが船作りの道具を何でも持っていたので、それで丸木船をほり、その船にたくさんの食料を積み込んだ。にいさんは自分の妹を置いていくわけにもいかないので船に乗せ、出発した。船は誰かがあやつっているかのように、水面の上をすべっていく。
私のふるさと、石狩川の河口の見おぼえのあるところに船は着いた。幼い頃のことではあるが、わが家の水汲み道には覚えがあったので、そこに船をあげると、
「まず先に、かあさんが生きてるかどうか確かめにいくから、にいさんたち荷物を持ってあとからきてくれないか」
といって、私は妻を連れ、息子もかあさんにみせて慰めてやりたいので一緒に連れていった。わが家にはいると、いろりには燃えさしがうずたかく積みあがり、ほんのわずか火が起こっているだけで、かあさんはいろりの左に夜具の着物を頭から引きかぶって寝ていた。
「かあさん、かあさん。帰ってきたよ。帰ってきたよ」
と呼びかけても、かあさんは、
「昼間っから毎日毎日、魔物たちがうるさいなあ」
と答えるので、私は頭からかぶっている夜具をはいだ。するとかあさんは、
「息子よ!」
と叫び、私に抱きつこうとしたが、食べるものも食べずにふせっていたので、頭をあげることもできない。かあさんを起こして座らせ、ことの次第を話すと、かあさんは、
「息子よ」
といいながら、ぽろぽろ涙をこぼした。そのあいだに妻が息子を背中からおろして私に渡したので、かあさんの腕の中に抱かせてやると、泣きながら息子の体をなでていた。そのうち、にいさんが妹を連れ、大きな荷物をしょってやってきた。
わが家いっぱいにあった品物は何もなくなって、床の土がむき出しになっている。かあさんの持ち物が大きなゴザにくるまれて棚の上にあったはずなのに、何も見あたらない。ただ、地面の上のかあさんが寝ているところ、座っているところだけ、ゴザが切りとられないままになっていた。いったいどうしたのかと尋ねると、
「おまえたちが連れていかれたあとであの男がやってきて、私を妾に欲しいという。いやだというと、家の中にあったものを表に運び出して、床の敷物まで切りとって持っていってしまったんだよ。もともとうちのいそうろうだったものが、そんなまねをしたんだけれど、神様の心にかなわないことだったから、おまえがこうして生きて戻ってきてくれたんだろう。だから今度はあの男が並の死に方ではない死に方をすることになるだろうよ」
とかあさんはいう。
それからにいさんと妻が料理をして、食事をすることになった。おいしい食べ物を運んできたのでそれを煮て、家中に敷物を敷き、木の皮でもなんでもかまわず集めては敷物にして、そこに船で運んできたものを運び込んだ。それこそ山のように食べ物を運んできたので、それを運び入れ、その晩を過ごした。翌朝になって、でかけるというと、
「どういうわけかわからないのだけど、槍一本、刀一本の刃が私の寝ている下にあったんだよ」
とかあさんがいう。それを受け取って、槍の柄を作り、刀の柄を作ると、
「にいさん、一緒にきてぼくのやることを見てくれ」
とにいさんにいって、連れだって出かけた。そしておじの家の入口に掛けてあるゴザをまん中からばっさり切り落とすと、中にとび込んでいった。悪いおじには六人の娘六人の息子がいるとかあさんがいっていたが、なるほどそれがずらりとそろっている。悪おじは上座に立て膝して座り、おばは下座に立て膝して座っていた。そこに私がとび込んだものだからみんなびっくりしてこちらをふり向いた。私が髪の毛をつかむと、悪おじは、
「甥っこ殿よ、わしが悪かった。あんたのものは何ひとつ無くしていない。全部とっておいてあるから、どうかひとつ助けてくれないか」
などといったが、そんな言葉をきくつもりもない。その髪の毛をひっつかみ、おばの髪の毛をもひっつかむと頭を打ち合わせて殺してしまった。いとこの兄たちもみんな殺してしまった。いとこの兄たち、姉たちは、
「くされ親父の悪い根性、悪い性根のおかげでとんでもない死に方をすることになった。くされ親父、くされおっかあのせいで、悪い心根、悪い根性に育てられたので、死んでもおれたちは魂のないものになっちまう」
といって泣きわめいたが、きく耳を持たず、みなごろしにして表に出た。すると、村人たちがわんわん泣きながらこっちに走ってきて、
「こいつらには泣かされていたんです。何も仕事もしないで、私たちが何か作るというと半分取りあげてしまうので、食べるにもことかいていたのです。坊ちゃんのおかげでこれからは暮らしに困ることもなくなります。それこそ神様のお心にかなわなかったので、坊ちゃんが復讐をとげられたのでしょう」
というので、
「ぼくの家はわかっているはずだから、ここにいる人たちの半分はぼくの家に家財道具を運んでくれ。それからここで死んでいる連中は、村の上のはずれに運んで、ゴミだの腐った木だのを集めて燃やしてくれ」
というと、みんなは私が恐ろしいものだから、いいつけどおり私の家にあったかあさんの宝物やら、敷物やら、いろいろな着物やら、もともとかあさんのだったものをすべて運んでいった。悪おじの持ち物もたいしたものではないがいくつかあったのを、村人たちでひとつずつ分けるように命じ、
「ぼくの家の中も昔どおりに、家のまわりも雑草など生えていない、かあさんが元気だったころのようにしなさい」
というと、みんなは私が恐ろしいものだから、家の中も昔どおりに、家のまわりもきれいにしてくれた。それから、村人たちに家に集まってもらった。
「奥様のことはお気の毒に思っていたのですが、お助けする事もできなくて」
といいながら、みんなは涙をぽろぽろこぼして、かあさんと抱き合っている。両親は、鍋にしても、それこそ大きな鍋をたくさん持っていた。それを運んできたので、すぐに料理を作り、私たちが船で運んできた食べ物を村人たちに食べさせた。かあさんは、
「弟息子だけでも戻ってきてくれてよかった」
と泣きながらいう。そのあと、私の家にあるものをひとつずつ、村人たちに分け与えた。
さてそれから、今度は石狩川中流の村に船でいくことにした。私もにいさんもめいめいに船をしたてて、石狩川中流の、あの若者たちのところまでいくと、若者たちはたいそう喜んでくれ、翌日になると、ゆとりのあるものはそれなりに、ゆとりのないものはそれなりに、
「あなた様のおかげで、私たちの命は助かりました」
といって、お礼をしてくれた。
村長の家にいくと、村長の息子たちも、
「あなた様のおかげで命が助かりました。父の家財道具がたくさんありますので、お礼にこれをさしあげます」
といって私たちにくれたので、それぞれの船に運びこんだ。それこそ私のおかげで命が助かったということで、お礼をくれるというのだから、置いていくのもつまらないので船に積み込むと、例の若者とその妹が一緒についていきたいという。
「ついてきてもいいよ」
というと、若者はわずかばかりの自分の持ち物をにいさんの船に運び込んだ。
「船でくるにせよ、歩いてくるにせよ、私は村をちょくちょく訪ねにくるから、安心して暮らしなさい」
と村人たちにいうと、村人は、
「あなた様のおかげです」
と私に拝礼をした。村長の奥さんは泣きながら夜具を引きかぶって寝ているという話だったが、けっきょく会いもせずに帰ることになった。
村に戻ると、村人たちの家が何軒も建てられた。にいさんはあの石狩川中流からきた若者の妹と夫婦になり、にいさんの妹は石狩川中流の若者と夫婦になって、それぞれに家を建て、私の家にあるものを分かちあった。私が一番年下なので、「大きいにいさん、小さいにいさん」と呼ぶことにした。
海の向こうからきた私の妻は、私をとてもうやまい、口答えひとつしない。石狩川中流から連れてきた娘は、
「旦那様のおかげで命が助かり、こんな立派な方と夫婦になれました」
といって、とても私をうやまってくれる。私のところにはまた子供ができたので、かあさんはその子をとてもかわいがる。妻もかあさんをとてもだいじにしてくれ、髪の手入れをしてくれたり、顔の手入れをしてくれたりする。
「近くのレプンクル」の義父たちには、あれ以来あったこともないが、妻がいうには、
「大きいにいさんが殺されたので、みんなで父をなじり、父を追い出して、かあさんとねえさんと小さいにいさんと一緒にくらしていたのですが、ねえさんがどうにか嫁にいっていたならば、かあさんとにいさんが家を守って暮らしていると思います」
ということだ。あんなに私のことを思ってくれた義母だったけれど、レプンクルの村にはいくこともない。再び会うこともない。妻も故郷に帰りもしないでいるうちに子供がたくさんできたので、かあさんはその世話にいそがしい。そのうち、泣いてばかりいたあの日々のせいで寿命が縮んだために、かあさんは早くにこの世を去った。
あのレプンクルのところから一緒にきたにいさんにも子供がたくさんでき、石狩川中流から一緒にきたにいさんにも子供がたくさんできた。妻は私をうやまい、よそへ泊まろうなどという気も起こさせない。口答えもしない。あまり私におしゃべりをすることもなかった。石狩川中流のにいさんも私をうやまい、女たちも私をうやまった。村人たちもふたり三人と私の村に移り、みんな私をひじょうにあがめたてまつった。その様子を大きいにいさんが見て、ふるえあがり、私に敬意を払ってくれるようになった。
かあさんが亡くなったあと、息子たちも大きくなり、何を食べたいとも欲しいとも思わぬ暮らしをしていた。浜に住んでいたので海漁をし、海の獲物の脂身だのをたくさんとってきて干物にし、どんなときにも食料に困ることなく暮らしているうちに、海の向こうから連れてきたにいさんは、年長であったので先にこの世を去った。そのあと、石狩川中流からきたにいさんも先に亡くなって、私がひとり残った。ねえさんたち、妻たちはとても仲がよく、なにをするのも三人で、それこそたきぎとりでも縫いものでも一緒にやって暮らしていた。
そのうち、私も年をとり、妻は私より年上だったので先にこの世を去り、それから何年か過ぎて私ももう年老いたのだが、レプンクルの村にはとうとういかなかった。私を逃がしてくれたねえさんもどうなったものやらわからない。石狩川の中流にはたびたび訪れ、村人たちにたいそう歓迎された。むこうで酒宴があるというと、遠く離れた地ではあるが、招かれていって酒をくみかわし、こちらで酒宴を開けば招待して酒をくみかわして、われわれ石狩河口の民と石狩中流の民が、同じ一族、同じ親戚のようにして、暮らしているうちに、もはや私もこのように年老いてこの世を去るときがきた。それで、この話をしておくのだ。
と、本当の長者が語った。
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