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真夜中のサーカス02

时间: 2020-03-21    进入日语论坛
核心提示:木戸が開く前に二女が持ってきてくれた浴衣は、まるで四角な一枚の板のようであった。それを、ぱりぱりと音をさせながら拡げてい
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木戸が開く前に

女が持ってきてくれた浴衣は、まるで四角な一枚の板のようであった。それを、ぱりぱりと音をさせながら拡げていると、ふと鼻先に妻の匂いがした。
けれども、こんなところに妻がいるわけがない。妻は東京の団地の家にいて、彼の方はもう一週間もシナリオ・ハンティングの旅を続けている。
どうして、突然妻の匂いがしたのだろう。彼は、浴衣を拡げる手を止めて、そっとあたりを嗅いでみた。目にみえない粉になって飛び散った|糊《のり》の匂いがする。|廉《やす》い|石鹸《せつけん》の匂いに似ている。けれども、妻がいつも使っている石鹸とは、違う匂いだ。
意識して嗅いでみると、どこにも妻の匂いなんかしなかった。どうしてさっきは、あ、妻の匂いがする、と思ったのだろう。
糊がきついだけで、拡げてみると洗いざらしの浴衣であった。縦に横に斜めに散らしてあるホテル・ハーバーという片仮名文字も、すっかり|藍《あい》が|褪《あ》せている。
ホテル・ハーバーというから、すこしは洒落た宿かと思うと、ただの木造建築に空色のペンキを塗りたくっただけの宿屋であった。けれども、東京にだって随分怪しげなホテルがあることだし、ここは|菜穂里《なほり》という港町には違いないのだから、ホテル・ハーバーでも一概に看板に偽りありとはいえない。
浴衣に丹前を重ねて、それをシャツの上から着込んでいると、女が食事を運んできた。女が——といっても、ここは〈女の家〉なのではない。ごく普通の宿屋なのだが、その女が女中なのか、それともこの家の娘なのか、それとも手伝いの女なのか、彼には見当がつかなかったのだ。
齢は|二十《はたち》ぐらいだろうか。色白の、大柄で肉づきのいい女である。髪は女学生のように三つ編みにしていて、頬っぺたが赤い。それでも、ミニスカートを|穿《は》いていた。ミニスカートにセーターで、その上に|割烹着《かつぽうぎ》をかけている。
「風呂は、沸いてないのかい。」
彼は、当然食事の前に、風呂にはいれるものだと思っていたのだが、風呂はかまが|毀《こわ》れていて、目下修理中だということであった。銭湯なら近くにあるがと女がいったが、いや、いいんだ、すぐ飯にしようと彼はいった。
どうせ晩飯は軽く済ませて、町へ飲みに出ようと思っている。こんな旅では、それも仕事のうちということになる。外は冷え込んでいるから、風呂には入らない方がいいかもしれない。湯冷めして風邪でも引いたら、事である。
彼はすぐ食べはじめた。
 暗い港の波止場に近い運河のちいさなコンクリート橋の上で、綿入れのねんねこで赤ん坊をおんぶした女がひとり、なにか小声で歌いながら、ちびた下駄でルンバのステップを踏んでいた。
ねんねこの奥の方から赤ん坊のむずかるような泣き声がきこえているが、女は、赤ん坊を眠らせようというよりも、その泣き声を聞くまいとするかのように歌っている。
「ちょっと伺いますが。」
彼は、橋のなかほどにいる女に近づいて声をかけた。
「この辺に、酒を飲ませる店はないでしょうかね。」
「ありますよ、その橋の|袂《たもと》を左へ曲る曲り角に。」
女はすらすらと答えた。
「どうもありがとう。」
橋を渡り切って、橋の袂の小路を左へ折れると、なるほど角に、普通の二階屋の下だけを改造した酒場があった。|廂《ひさし》の上で、いまどき珍しいくねくねとした細字の〈クインビー〉という青いネオンが、じいじいと音を立てて|顫《ふる》えていた。
彼は、扉を押して入っていった。
低い天井に、赤茶けた電燈がともっている薄暗い酒場で、ぷんと防腐塗料の匂いがした。店のなかはひっそりしていて、いらっしゃいという声もかからなかった。けれども、店には誰もいなかったわけではない。客はひとりもいなかったが、店の女たちが五人いた。左手のカウンターに二人。それから右手の壁際の、背の高い椅子席に三人。
驚いたのは、さっきコンクリート橋の上にいたねんねこの女が、さっきからずっとここにいるのだという顔をしてカウンターのなかにいたことであった。いつのまに、どこから入ってきたのだろう。勿論、まだねんねこを着たままで、けれども背中の赤ん坊はもうおとなしくなっていた。
「さっきはどうも。あんたの店だったんですね。」
彼は、ねんねこの女の前へいって、高い木の椅子に腰をのせながらいった。女は、彼をみずにちょっと笑って、
「なんにする?」
といった。
彼は、その酒場に入って、初めて人の声を聞いた。
「そうだな、ビールにしようか。」
「ビール? ビールは冷えてないんだけど。」
彼は、ちょっと考えてからいった。
「いいよ。やっぱりビールにしよう。」
東京にだって、ビールが一番無難なような酒場がある。
女は、カウンターの下からビールを出したが、それからが意外に手間取った。あちこちの棚、あちこちの引出しを、女はごそごそ探している。
「……どうしたの?」
彼は、かなり辛抱してから、そう尋ねた。
「栓抜きが、ない。」
女はいった。それから、急に|諦《あきら》めたように舌うちして、
「よっちゃん。」
カウンターの隅の電話で、さっきからずっと小声で話しつづけていた痩せた女が振り向いた。ねんねこの女は、なにもいわずにビール瓶をちょっと持ち上げてみせて、その女に手渡した。痩せた女は、受話器を耳に当てたまま、いきなりビール瓶の王冠に歯を当てたかと思うと、頭を一と振りしただけで、苦もなく開けた。
ねんねこのなかで、また赤ん坊が泣き出した。女は、ビール瓶の口をほんの申しわけに手のひらで拭いて、コップと一緒に彼の前に出すと、カウンターの奥へいって|蹲《うずくま》った。すると、そこに外へ出られるくぐり戸でもあるのだろうか、不意に赤ん坊の泣き声が遠退いた。
彼は、手酌でぬるいビールを飲んだ。残った四人の女たちは、最初から彼にはなんの反応も示さなかった。歯でビールの王冠を開けた女は、相変らず受話器を耳に当てたままである。壁際の女の一人は、歯でも痛いのか、タオルに包んだ|氷嚢《ひようのう》らしいものを頬に押し当てたまま、眉根を寄せてじっと目をつむっている。あとの二人は、隣のテーブルの上に額を寄せて、なにやらひそひそ声で話し込んでいる。しきりに鼻をすすり上げるので、風邪でも引いているのかと思っていたら、片方は泣いているのであった。
時折、店の奥の窓の方から、ぽんぽん蒸気の音と赤ん坊の泣き声がきこえてくる。ビールは、なかなかなくならない……。
 ホテル・ハーバーの玄関には|鍵《かぎ》がかかっていたが、|敲《たた》くと、女が開けにきてくれた。出かけるときと、どこか様子が違うと思ったら、女は編んでいた髪をほどいて背中に長く垂らしている。銭湯で洗ってきたのだろう、その髪が匂った。
「寒かったでしょう。」
|躯《からだ》に似合わぬちいさな声で、女はいった。
彼は、|年甲斐《としがい》もなく、不意に生酔いの目頭が熱くなった。
「寒かった。酒をすこし、貰えないだろうか。」
そういってから、彼は、自分はこれまで妻にさえ、こんなにしみじみとした気持で物をいったことがなかったのではないかと思った。
女は、コップ酒と漬物を盆にのせて運んできた。彼は、すぐ目の前に二つ並んだ女の|膝《ひざ》小僧に、目を奪われた。大きくて、すべすべして、|綺麗《きれい》な桜色をした膝小僧であった。彼は、こんな美しい膝はみたことがないと思った。
「……あったかそうだな。」
彼は、思わず、そういった。
女は、彼の視線に気がつかないはずはなかったが、そのまま立とうともしなかった。ただ、ちょっと膝をこすり合せるようにしただけであった。
「まるで、熱を出した子供の顔みたいだ。」
彼は、今度ははっきり冗談のつもりでそういったが、女はうつむいて、くすりと笑っただけだった。彼は、なにか|堪《たま》らない気持になって、コップ酒を半分ほど、一と口に飲んだ。それから、漬物をこりこりと|噛《か》んだ。
女は、それでもまだ立って帰ろうとはしなかった。綺麗な桜色の、暖かそうでたっぷりとした膝小僧が、依然として手を伸ばせば届くところにある。
彼は、コップ酒の残りを飲み干すと、女に、「もういいんだよ。」という代りに、
「どれ、熱を計ってあげよう。」
といって、膝小僧の方へ手を伸ばした。
そうすればさすがに逃げるだろうと思った女は、案に相違して、逃げなかった。逃げないばかりか、手を払い退けようともしなかった。彼の手は、なんの苦もなく女に触れた。女は首をうなだれた。
女の膝は、思ったほど暖かくはなかったが、そのまま女の出方を待とうという気でいるうちに、彼は、手を離すきっかけを失ってしまった。
彼は、自分の手のひらの下で女の薄い肌が汗ばんでくるのを感じながら、
「俺は、酔った。」
と独り言を|呟《つぶや》いた。
女は、だんだん深くうなだれた。
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