一
菜穂里の駅前広場の片隅に、昔風な|縄暖簾《なわのれん》を出している|鯨《くじら》屋という大衆食堂がある。駅の線路工夫や、運送屋のトラック運転手、それにバスで町の裏山を越えて魚の買出しにやってくる行商人たちが常連の、居酒屋まがいの食堂である。
この鯨屋のおやじ——といってもまだ四十そこそこの、小肥りで|赭《あか》ら顔の兵助という男だが、これが|吃《ども》りで、通称ドモ兵、|界隈《かいわい》では無類のお人好しで通っている。人にものを頼まれて、断わったためしがないということになっている。
けれども、このお人好しは眉唾で、断わろうにも、口が手間取っているうちに、いつのまにやら押しつけられているというのが実情である。これで、口さえ達者だったら、案外けんもほろろの兵助などといわれていたかもしれないのだ。
というのも、兵助自身、人にそういわれるから自分も自分のことをお人好しだと思うことにしているが、実際のところ、自分がどんな|質《たち》の人間なのか、正直いって自分でも測り兼ねているからである。
確かにお人好しなところもあるにはあるが、時として、われながら野太い奴だと思うこともある。お人好しなら、大概のことには|鷹揚《おうよう》なのかと思えば、妙にしっかり者の面もあって、転んでもただでは起きないようなところがある。要するに、自分でもどれが本性なのかわからない。
ところで、このたび兵助は、珍しく首にネクタイというものを結んで、はるばる東京までいってきた。若いころから東京に出て玩具問屋をしていた|従兄《いとこ》が、脳卒中で死んだからである。東京へ出るのは十何年ぶりのことだったが、不祝儀の用で出ていって、それにちいさいながらも店を持つ身では、ついでに東京見物というわけにもいかない。彼は、夜行で発って、朝、上野に着き、その日のうちにまた夜行に乗って、三日目の午前にはもう菜穂里の町へ帰ってきた。
随分あわただしい旅だったが、もともと旅なんかはいくらでも無駄を惜しんでするものだと思っているから、なんともない。その上、彼はどんなあわただしい旅でも、それこそ手ぶらで帰ってきたためしがなくて、このたびも、義理の妹にいい土産話を持ち帰った。
この義理の妹というのは、名をリセといって兵助の女房の妹である。兵助は最初の女房に死なれて、四年前にいまの女房を後妻に貰った。その後妻のヨシの妹である。
菜穂里の港から、浜伝いに南へ三里ほどくだったところに|藻鳴《もなき》という半農半漁の村がある。リセは、そこのちょっとした山持ちの三男坊に嫁いでいるが、亭主が農協へ勤めに出たあとの留守が退屈だからといって、毎日バスで兵助の店へ手伝いに通ってきている。二十で嫁いで、いまはもう二十五になるが、子供はいない。そのせいか、齢より三つは若くみえるし、もともと顔も姿も、姉のヨシとは違ってこのあたりではまず見られる女だから、通いの手伝いとはいえ、兵助としても助かっている。人当りが柔かで、誰にでも愛想がいいから、客の受けもいい。リセは、鯨屋の客たちに〈世話女房〉といわれている。
実際、リセの行き届いた立居振舞をみていると、誰でも、家ではどんなにいい世話女房かと思うだろう。けれども、兵助のお人好し同様、人が|貼《は》ってくれたレッテルなどあまり当てにはならないもので、リセにも、虫も殺さぬような顔をしていてひそかに自分の本性を測り兼ねているようなところがあるのだ。
リセはいま、子供が欲しいと思っている。自分で生みたいと思っている。これまで子供がなかったのは、出来ないからではなくて、生みたくなかったからであった。リセは、自分の夫のことを、心の底では嫌っている。夫の子供は、生みたくない。その気持は、いまでも変っていない。その気になりさえすれば、いつでも夫の子供は生めるのだが、どうしてもその気になれないのだ。夫の子供は、生みたくない。
それでも、子供は欲しいのである。どういうものか、このところ子供欲しさは日増しに募るばかりなのだ。
リセはもう、夫ではない人に生ませて貰うより仕方がないと思っている。どこかに、素性のいい人で、こっそり子供を生ませてやってもいいという人は、いないだろうか。
そこへ、兵助が東京から、いい土産話を持ってきた。