一
六蔵は、朝、目を醒ますと、まず深呼吸を一つしてから、自分の細君に、
「お早うす。」
と大きな声で挨拶する。
細君の方は、大抵の朝は彼より早く目を醒ましていて、まだ隣の寝床のなかにいることもあれば、もう台所に立って|朝餉《あさげ》の仕度に取り掛っていることもある。隣の寝床に細君の姿がみえなければ、彼は起きていって、深呼吸を一つしてから台所の戸を開ける。
「お早うす。」
「お早うす。」と細君も彼の口真似をしてそういって、「はい、よくできました。」
細君がまだ隣の寝床にいるときでも、彼は必要以上に大きな声で、
「お早うす。」
と挨拶する。そんなときは、細君のむこう側のちいさな布団で眠っている生後八カ月の長男が、びっくりして、きっと両手をぱたぱたさせるが、細君は、「|厭《いや》ねえ、坊やが目を醒ますじゃないの。もっとちいさな声でいえないの?」などとはいわない。相変らず、ふっと笑って、「お早うす。はい、よくできました。」
彼は、細君にそういわれると、ほっとする。この、朝の『お早うす』さえうまくいえれば、もう、しめたものなのだ。彼はしばしば調子に乗って、まだ眠っている子供の頬を、「お早うす、坊ちゃん。」と指でちょっと突っついたりする。
六蔵は、菜穂里の魚市場の事務所に勤めてもう七年になるが、事務所の連中は、彼が子供のころからどもりでひそかに悩みつづけていることなど、誰も知らない。平常から口数がすくなくて、なにか話すときは忘れずに深呼吸を一つする。それで会話が間延びしてしまうから、『ろくろ首の六さん』などと陰口をいう者もいたが、まさかそれが|吃《ども》らぬための用心だとは誰も思わなかった。
|尤《もつと》も、六蔵のどもりは、子供のころから今日まで切れ目なしにずっとつづいていたわけではなくて、直そうと思って努力すればいつしか直ってしまうのだから、重症とはいえなかったが、その代わり、やっと直ったものが、ほんの|些細《ささい》なことがきっかけになって、実に|呆気《あつけ》なく元の|木阿弥《もくあみ》になってしまうところが厄介であった。
いまも、何度目かのぶり返しで、六蔵は朝から舌の回転の調整を余儀なくされている。彼は、魚市場に勤めるようになってから、普段でもア行とマ行ではじまる言葉をいうのが苦手だが、これは多分、なにかにつけて、「魚市場の村井です。」といわねばならない場合が多く、それさえうまくいえたらという自意識から、逆に口籠もる結果になるのだろうと彼は思っている。
『お早う』という朝の挨拶にしても、ア行ではじまる言葉だが、どもりがぶり返すと、これがいえなくなってしまって、往生する。朝、出勤して、『お早う』がいえないようではサラリーマン失格だから、彼は毎朝、目が醒めるとまず深呼吸を一つしてから、
「お早うす。」
と自分の細君に大声で挨拶するのだ。
「お早うす。はい、よくできました。」
彼は、やれやれと思う。何事も最初が肝腎で、この『お早う』さえすらりといえるようなら、まず安心だが、それにしても、きょうもまた一日、ア行とマ行で苦労しなければならぬのかと思うと、やはりうんざりして気が滅入ってくることもある。
|尤《もつと》も、六蔵のどもりは、子供のころから今日まで切れ目なしにずっとつづいていたわけではなくて、直そうと思って努力すればいつしか直ってしまうのだから、重症とはいえなかったが、その代わり、やっと直ったものが、ほんの|些細《ささい》なことがきっかけになって、実に|呆気《あつけ》なく元の|木阿弥《もくあみ》になってしまうところが厄介であった。
いまも、何度目かのぶり返しで、六蔵は朝から舌の回転の調整を余儀なくされている。彼は、魚市場に勤めるようになってから、普段でもア行とマ行ではじまる言葉をいうのが苦手だが、これは多分、なにかにつけて、「魚市場の村井です。」といわねばならない場合が多く、それさえうまくいえたらという自意識から、逆に口籠もる結果になるのだろうと彼は思っている。
『お早う』という朝の挨拶にしても、ア行ではじまる言葉だが、どもりがぶり返すと、これがいえなくなってしまって、往生する。朝、出勤して、『お早う』がいえないようではサラリーマン失格だから、彼は毎朝、目が醒めるとまず深呼吸を一つしてから、
「お早うす。」
と自分の細君に大声で挨拶するのだ。
「お早うす。はい、よくできました。」
彼は、やれやれと思う。何事も最初が肝腎で、この『お早う』さえすらりといえるようなら、まず安心だが、それにしても、きょうもまた一日、ア行とマ行で苦労しなければならぬのかと思うと、やはりうんざりして気が滅入ってくることもある。