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真夜中のサーカス36

时间: 2020-03-21    进入日语论坛
核心提示:ジンタの嘆き二六蔵がどもりになったのは、小学校の五年生のときからで、春木という遊び仲間のせいである。春木というのは、その
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ジンタの嘆き

六蔵がどもりになったのは、小学校の五年生のときからで、春木という遊び仲間のせいである。
春木というのは、その年の春、水上警察署に転勤してきた警部の息子で、教室では六蔵と机を並べることになったが、話してみると、これがひどいどもりであった。
春木が転校してきた日の放課後、六蔵が生徒玄関で靴を履いていると、春木が廊下を駈けてきて、
「む、む、む、む、村井君。」
といった。なんの用かと思うと、
「ぼ、ぼ、ぼくんちは、き、き、きみんちの近所だよ。」
という。
「そうかい。そんなら一緒に帰ろうや。」
と六蔵はいって、それからは学校の行き帰りは勿論、学校の休憩時間も、下校後の遊びも、二人は一緒におなじことをして過ごすようになったのだが、そのうちに、いつのまにか六蔵の方も、すっかりどもりになってしまった。
六蔵としては、べつに春木のどもりに興味をおぼえて、ちょっと真似してみようかという気を起こしたわけではなかった。気の毒だなと思いながら、ごく普通に付き合っていただけである。ところが、子供は、遊びでもなんでも、リズムをなによりも大切にする。リズムが合わなければ、することなすこと、面白くない。
たとえば、春木が、
「な、な、な、な、なにして遊ぶ?」
といったら、こちらも、
「そ、そ、そ、そ、そうだなあ。」
というのでなければ面白くない。
「き、き、き、きーめたっ。」
と春木がいって手を|敲《たた》いたら、こちらも、
「き、き、き、きーめたっ。」
といって手を敲くのでなければ、遊びの調子というものが出てこない。
そんなふうにして、六蔵の方から無意識に調子を合わせているうちに、いつのまにか六蔵は相手が春木でなくても吃るようになってしまった。
六蔵は、これはおかしなことになったと思ったが、自分ではもうどうにもならなくなっていた。両親も心配して、もう春木とは遊んではならぬといったが、よその仲間と遊ぶとどもりを笑われるものだから、ついまた春木のそばへ戻っていって、
「や、や、やっぱし、き、き、き、きみがいいや。」
ということになる。
結局、小学校を卒業するまで二人はどもりの仲間だったが、中学校へ進むとき、春木は父親がまた転勤で、一家でよその港へ移っていった。六蔵はひとりになって、随分淋しく、辛い思いもしたが、どもりを直すためには仲間がいなくなったのはなによりのことで、気をつけているとだんだん吃らずに物がいえるようになってきた。中学を出るころには、すっかり直って、元通りになった。
もし、そのまま身近にどもりが現われなかったら、六蔵は生涯どもりとは無縁に過せたかもわからない。ところが、そうはいかなかった。世の中のことは万事こちらの思う通りにはいかない。
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