二
苺で思ひ出す事のひとつに、昔、季節になるといつも苺の箱を提げてきてくれる人があつた。いふまでもなく私はよろこんで感謝の意を表し、すぐにそれを洗つて新しい牛乳とまつ白な砂糖をそへて客間へ持ちだした。当然の権利として、それを提げてきた人が一番多量に摂つた事はもちろんの話である。
私はよろこんだ。しかしさういふ事が二度三度とかさなり、やがて何回となく繰返される頃になると、私は苺を貰ふ事によろこびよりもむしろ迷惑を感じ始めた。さうして、苺を提げてくる人が彼自身を気前のいい親切なお客と思ひこんでゐる事を知るに及んで、私の迷惑は憎悪にさへ変らうとしたのである。女といふものは元来が、食べる事や着る事に対して何となくその根性がケチくさく出来てゐるのかもしれないが、或ひは又私がさうしたケチくさい女のひとりなのかもしれないが、私は苺は季節でいくらでも安価に手に入る事を思ひ、べつにそのお客を煩はさずとも苺を買ふには事かかず、却つて新鮮な牛乳やクリイムや白砂糖の価格を考へて、さういふ事を考へる自分の量見をさもしく思ひ、自分にそのやうな事を考へさせた相手を憎むほどの気持になつたのである。私は苺を貰つてもそれを食卓へ持出さねばよいのであるが、書生づきあひの間柄でそんな水臭い事はできぬと思ひ、いつまでもおなじ事を繰返す自分の弱気が、だんだんと自分に腹立しくなつてゆくのであつた。