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もめん随筆20

时间: 2020-03-31    进入日语论坛
核心提示:我儘散題   一寒中に、苺をたべたいと思ひついた事があつた。二十年ほど以前の話である。いま時ならば寒中に苺をたべたいとい
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我儘散題
   一

寒中に、苺をたべたいと思ひついた事があつた。二十年ほど以前の話である。いま時ならば寒中に苺をたべたいといつたところで、珍しい話でもなければ別段贅沢な事でもないのだが、しかしその頃は、寒中の苺は二十四孝の筍とそれ程大差のない時代であつた。苺はない事はない、土橋の和泉屋へ行けば必ずあるのだつたけれど、ただその値段が——、たぶん一粒四五十銭位にはついたかと思ふ。二十粒で十円……そして私はその時それだけの金子は持つてゐたのである。
だが、私のまはりの人は私がそれをたべるといひ出した時、途方もない事を思ひつく人間だといつて驚愕した。勿論とめられて、その上ながながとお説教までされてそれは実現しないでしまつた。まはりの人は云ふ。——それにもう十円足せば西陣お召の上等が一反買へるではないか。いやそれだけの金額でも買へぬ事はない。片側帯や小粋な机や本箱や、それから又それだけの金子があればちよつとした旅行も出来る。それをたつた二十粒の苺、つぶしてミルクをかけてみたところでたつた一皿の苺、そんなものに費してしまふとはあまりに勿体なさ過ぎるではないか。
しかし私は云ふ。私がいま欲しいのは反物でもない、帯でもない、机も本箱も、まして旅行なぞ思ひもよらぬ事である。私はただ苺がたべたいのだ、そして苺は和泉屋へ行けばあるのだ、食べる人があればこそ売つてもゐる、そして私はそれだけのお金子は持つてゐるのだ、その私がなぜいま苺をたべてはいけないのです。
まはりの人はいふ。百万長者なら知らぬこと、身分がちがふよ。
身分とはどんな身分? と私は問ひ返す。私はいま自分の好きに使へる十円を持つてゐる、何につかはうとそれは勝手で、誰に迷惑のかかる金子でもない、十円で二十粒の苺をあがなふ事が百万長者の身分なら、私自身がいま現在その百万長者ではないか。
無茶な事をいつては困る。世の中には三度の食事さへ満足には出来ぬ人もあるのだ、その人人の事を考へてみたら、……
それはたしかにさうであつた。だがそれを考へ出したなら、私は毎日の三度の食事さへ何か済まぬ心地で摂れなくなつてしまふではないか。毎日の事だからこの方はかまはぬといふのか、私は反対であつた。毎日の事なれば心にかかりもしよう。時たま自分の自由になる金子を得て、それで一番欲しいと思ふものをあがなはうとするのに、それさへはばからねばならぬ世の中なら、それ程きゆうくつな世の中なら、私は生きてゐたいとは思はない。苺が買へぬといふのならこの十円も自分にとつては最早や何のねうちもない不用のものとなつてしまふ。何のために持つてゐるのやらわからない。捨ててしまひませう。
ますます勿体ない事をいふ人だと、まはりの者は驚くのである。捨てるなどとはもつての外である。しまつておけば又何か欲しいものも見つかるだらう、さうだ、芝居を見に行つてもよいではないか、旅行はいやでも芝居なれば面白からう。
いや、いや、もう何もかもいやです。芝居に行くのも自分の慰み、旅行をするのも自分の慰み、着物を買ふのも自分の慰み、そして苺を買ふのも自分の慰みではないか。それなのに他の慰みはみなよくて、苺をたべる事だけがいけないとは、そんなわからない話があるものか。
そんな事をいふ本人こそわからないのだ。われわれのまはりを見るがよい、十円で旅行や芝居を見に行く人はあるけれど、十円で苺をたべてしまはうといふ人は見た事も聞いた事もないではないか。
ほかの人はほかの人、わたしはわたし。ほかの人はほかの人の楽しみをとればよいし、わたしはわたしの楽しみをとればよい。お互に迷惑のかかる話でもないのに、なぜ私も他の人とおなじ楽しみをとらねばならぬといふのであらう。私はそれではすこしも慰められはしないものを。……
さういふのを我儘といふのだ。相手の人は即座に私を、我ままの一句で片づけてしまつた。
私とまはりの人との問答は、どこまで行つても平行線であつた。決してお互にゆづりあふ事がなく、お互に相手をわからなかつた。私は相手を気の小さいけちん坊と思つたし、相手は私を我儘な途方もない人間だと考へたのである。この考へは両方ながらあたつてゐる。相手はいつもきちんとこの世の中の軌道にはまり、私はいつも軌道の外へはみだす人間であるらしい。だがこの世の中には軌道の外へはみだす人間の、生きてゆく道もない事はないと思ふのである。
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