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なつかしい芸人たち01

时间: 2020-04-08    进入日语论坛
核心提示:化け猫《ねこ》と丹下左膳《たんげさぜん》小さいころの私の夢は、映画のフィルムが家にたくさんあって、好きなときに自分も見、
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化け猫《ねこ》と丹下左膳《たんげさぜん》

小さいころの私の夢は、映画のフィルムが家にたくさんあって、好きなときに自分も見、他人にも見せられたらいいなァ、ということだった。今、ヴィデオが出廻《でまわ》って、その夢がわりにたやすく実現できる。十六ミリや八ミリが買えるようになったころ、関心は非常にあったが、私は数が欲しいから、経済的にむずかしい。しかしコレクターとしての本筋は、やはりテープでなくフィルムを集めることであろう。それで、そろそろ十六ミリのほうにも手を出そうかと思っている。ヴィデオになっていない十六ミリのフィルムはまだたくさんあって、コレクターにとってはこれらを手中にしないではおちつかない。
しかし、ダビングが簡単にできるようになって、コレクターいずれもが手持ちのフィルムを隠すようになった。どのコレクターも、どこそこの誰が、なにを持っているかという情報は非常にくわしい。
「○○○? あ、それは誰某《たれがし》さんのところにある」
それで誰某さんのところへ行って、○○○を見せて貰《もら》おうとすると、
「私のところにはありませんよ。私が永年探してるくらいだから」
話をしているうち、×××という映画の話になる。
「それなら関西のYさんが持ってるなァ」
他人の持ち物にはすごくくわしいが、自分のところにはなんにもない。
もっともね、コレクターの気持もわかるのである。苦心して集めたものが、簡単にダビングされて流通してしまっては、腹立たしくなるだろう。コレクターの楽しみは自分一人で独占して持っているという部分にあるので、そのうえに流通すれば、そのものの値段もおちてしまう。今、ほとんど売買されないが、値段としては三百万、五百万というフィルムがざらにあるのだ。もちろん十六ミリの値段だが。
だから情報はたくさんある。けれどもそれが事実かどうか、そのご本人以外にはわからない。
九州の富士興業(不二興業かな)の倉庫には、鈴木|澄子《すみこ》の化け猫物を含めた新興映画のフィルムが二、三十本、ゴロゴロしているそうだ。
戦後の映画ファンは、化け猫というと入江たか子主演と思うだろう。戦争中までは化け物の大スターは鈴木澄子だった。今、公《おおやけ》に残存している彼女の映画は、�有馬猫��狂恋の女師匠�ぐらいだろうが、コレクターの間では、初期の�佐賀|怪猫伝《かいびようでん》�や�怪猫五十三次��暴れ出した孫悟空《そんごくう》�などもあるとされている。
しかし私の子供のころの鈴木澄子の人気、というか知名度というものは凄《すご》かった。子供なら誰でも知っている。化け猫は他の女優もやらないではなかったが、化け猫というと鈴木澄子が代名詞だった。特に�狂恋の女師匠�というのは怖かったな。これは|真景累ケ淵《しんけいかさねふち》、例の豊志賀《とよしが》の話だが、今でもちょっと見てみたいほどなつかしい。
しかし化け猫のほうは、こけおどかしなだけであまり怖くなかった。なにを演《や》っても怖かったのは、おそらく、戦後の入江たか子のほうであろう。
入江たか子は、私の子供のころの美人大スターで、美人という点では日本の映画女優の中でもNo.1といってもいいのではあるまいか。怖いような美人、というけれども、あまり美人すぎて、悪夢の中に出てきそうで、どうも私は苦手だった。ああいう細面《ほそおもて》で、背が高くて、魔女的なタイプが小学校の女教師などによく居る(こちらは美人ではないが)。
それで私は子供のころから、入江たか子の映画というと、なんとなく観《み》に行かない。今、私の家に長谷川一夫東宝入社第一回の�藤十郎の恋�とか、日活時代の�栗山大膳《くりやまたいぜん》��大菩薩峠《だいぼさつとうげ》�などあるけれど、いずれも怖いから観ない。
戦争中に、�白鷺《しらさぎ》�という映画があった。泉鏡花原作、たしか島津保次郎《しまづやすじろう》監督だったと思う。入江たか子の女主人公《ヒロイン》が、幽霊になって現れるところがある。当時のキネマ旬報にその写真が出て、もうそれだけで夢に出てきそうで、とても映画を観にいくどころではなかった。
戦後、トウがたってから、化け猫をやったとき、世間は、あの大スターが、といったが、私はうまい企画だと思う。彼女が演れば怖さはまちがいない。
鈴木澄子には、そういう美しすぎる怖さはない。もっと泥臭《どろくさ》い妖婦《ヴアンプ》型で、しかしどことなく不吉な顔をしていた。私が観ていたころ、すでに年増《としま》で、戦後もしばらく化け猫を持って一座を作って廻っていたから、不吉でもなんでもない息の長いタレントだったのだろう。名古屋でアパートをやっていたはずだが、ついこの間|亡《な》くなった。
 ヴィデオの話から化け猫になってしまったが、まァどこへ流れたって不都合がおきるわけじゃない。
邦画にかぎっていうと、時代物がわりにたくさん残っている。残存していない、という定説があるものでも、時代物だと、いや、あれはどこの誰某さんの所にある、と噂《うわさ》されるものがすくなくない。
敗戦直後にアメリカ軍(GHQ)の検閲があり、各映画会社が既存のフィルムを提出した。日本人の復讐《ふくしゆう》をおそれたGHQが、チャンバラの場面、特に仇討《あだう》ちなど復讐の場面をズタズタに切ってしまった。忠臣蔵なんてのは戦後しばらくはタブーだったわけだ。
今、市販されているヴィデオでも、このときの洗礼を受けているフィルムがたくさんあって、話がつながりにくくなっている。たとえば�エノケンのどんぐり頓兵衛《とんべえ》�のごとき、おしまいの乱闘のところがそっくりないために、敵のはずの人物たちが、ひょいと皆|仲好《なかよ》くなってしまう。
市販はされていないが、山中|貞雄《さだお》の丹下左膳余話�百萬両の壺《つぼ》�でも、終幕近く、左膳とごろつきたちの乱闘場面がない。大《おお》河内伝次郎《こうちでんじろう》の魅力は立廻りのときの動きの迫力であり、特に丹下左膳は、白い着物の裾《すそ》を蹴《け》って何者にも突進していくアナーキイな動きが魅力的なのだが、これが削りとられているのである。大体、山中の丹下左膳はシナリオ構成は実にうまいが、ホームドラマ調で、左膳の鬼気のようなものが淡く、欲求不満になっているところに、立廻りがないのだから困る。私などは、無性にその以前の伊藤大輔《いとうだいすけ》監督の丹下左膳がなつかしい。これを映画館で観たのは小学校の低学年のころだが、今もって、丹下左膳の立廻りはよく覚えている。なにしろ、櫛巻《くしまき》お藤《ふじ》とチョビ安の二人をのぞいて、世間の誰からも嫌《いや》がられているヤケクソじみたアウトサイダーで、なにかというと走り廻って斬《き》りまくる。捕方《とりかた》だろうとなんだろうと相手かまわずである。
実にどうも、これが私みたいな劣等少年のカタルシスを慰めてくれる。丹下左膳とターザンは、洋の東西で期せずして現れた似たような存在であった。
しかし、伊藤大輔の丹下左膳は、いくら探しても残っていないようだ。戦後に再製作された(気の抜けたような)左膳物は残っているのだが。
さて、そのGHQの検閲が噂されているときに、どうせ切られちまうのなら、と撮影所の関係者が倉庫の古いフィルムを持ち帰って隠してしまったらしい。現在、コレクターの間で珍重されているのは、それが方々を流れたもので、だから日活時代劇に関してはわりにたくさん残存している。
同じような理由で新興や大都、その前の帝キネや東亜などの二流会社の作品も残っているかというと、これは極端にすくない。これらの会社では、時代物の映画は、映画館をひととおり廻ると、フィルムを一こまずつチョン切って、子供の玩具《おもちや》として駄菓子《だがし》屋に売られてしまうのである。新聞紙の袋に入れられて、一銭ぐらいで売る。子供たちは新聞の袋を破いて、中のフィルムの切れ端を陽《ひ》にすかして、あ、バンツマだ、アラカンだ、といって喜んでいたのである。その年齢のお方は覚えがあるだろう。
あれになってしまうのだから、残っているわけがない。つい最近も、堺《さかい》市の(多分昔の駄菓子屋さんであろう)ある家で、祖父が亡くなったので押入れを整理したら、十センチぐらいに切られたそういうフィルムが、たくさん出てきた。
大阪のコレクターが喜んで買付けに行ったそうだが、もう今はないとされた帝キネや東亜、全勝、極東というような小さな会社のフィルムがたくさん出てきた。それにしてもわずか十センチずつでは、幻燈《げんとう》が出てきたようなものだ。
それでも関西には撮影所が多くあったせいで、時代物のコレクターは多い。今、市販されてない物で、�牢獄《ろうごく》の花嫁��恋山彦《こいやまびこ》��まぼろし城��隠密《おんみつ》三国志��雄呂血《おろち》��沓掛時次郎《くつかけときじろう》�まだ書き切れないほどある。
昔の映画を観ていちばん感じるのは、セットが優れていることだ。カメラ、録音、音楽、いずれも現今のほうが格段の進歩だが、セットだけは昔のほうが丁寧だ。
そういえば、ふと思い出したが�神変|麝香猫《じやこうねこ》�の昭和十五、六年製作のものは、前篇が片岡千恵蔵《かたおかちえぞう》主演。ところが千恵蔵が肺結核かなにかで倒れてしまって(轟夕起子《とどろきゆきこ》にフられたせいだという説もある)、次の週に封切られた後篇は中田耕二主演だった。同じ主人公が前篇と後篇でちがう顔になっていて、私の近所の子供たちは、実に納得のいかない顔をしていた。ああいうことは他に例を知らない。まだどこか暢気《のんき》な時代だったのだろう。
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