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なつかしい芸人たち02

时间: 2020-04-08    进入日语论坛
核心提示:馬鹿殿《ばかとの》さま専門役者    小笠原章二郎《おがさわらしようじろう》のこと私は今でこそ幸運に恵まれてなんとか生き
(单词翻译:双击或拖选)
馬鹿殿《ばかとの》さま専門役者
    —小笠原章二郎《おがさわらしようじろう》のこと—

私は今でこそ幸運に恵まれてなんとか生きつないでいるけれども、子供のころはまったく世間とかみあわないで、自分の未来の姿というものがどうしてもつかめなかった。どういう生き方もできないで、どこかで行きづまって窮死するのだろうと思っていた。
それで世間のほうを見渡して、自分と同じように、社会から落ちこぼれて窮々としている人は居ないものかと思う。それらしき人間がみつかると、同胞をみつけたように安心してその人の行末を眺《なが》めていた。落ちこぼれといってもいろいろなタイプがある。中学に受験の手前のころだったと思うが、さすがに不安でそれと思える人たちの名前をノートに書き並べて番付を作ったことがある。自分一人で、それを駄目《だめ》番付と称していたが、むろん、私自身がその中の大きな位置を占めていたのである。
子供のことだから、映画や新聞に名が出てくる人たちから選ぶのだが、個人的に知っているわけではない。あくまでも私の視線だけのことで、この小文に次々に登場する名前の関係者の方、どうぞ気をわるくしないでいただきたい。
どうしても目立つのは、タレント勢であるが、この中には実に不思議な、子供の私には理解がいきかねる役者が居る。戦争前のことだから役者などは河原乞食《かわらこじき》という意識が残っており、私は乞食でもなんでも生きていければ他意はないので、なんだってかまわないが、他人の生き方となると、当時の上流階級から役者になるというのはどうしてなんだろう、とまず思う。
前回に記した入江たか子は、東坊城《ひがしぼうじよう》という子爵《ししやく》の娘で、姉は大正天皇の女官を務めていたという。それでものすごい美貌《びぼう》で、当時、特に女優というと圧倒的に下層庶民の出が多かったから、それだけでも不気味であった。
その入江たか子と対照的に、こちらは大スターにはならなかったが、小笠原章二郎という人が居た。父親は小笠原|長生《ながなり》という子爵で、あの行儀作法の小笠原流の家だろうか。学習院から陸軍幼年学校に入り、病気で中退したという。この病気というのが、なんだか意味ありげだが、彼の兄が小笠原|明峰《めいほう》といって映画監督だった。
活動屋など、当時は道楽商売で、規格はずれの人間のいくところに兄弟二人とも足を突っこんだとなると、父親は頭を抱えたろう。もっとも貴族というものは、庶民などよりずっと不健全なものらしいから、できそこないが産まれるとそのスケールも大きいということになるのか。いってみれば落ちこぼれのできそこないそれ自体が貴族的といえるのかもしれない。
小笠原章二郎は、女優の入江たか子に匹敵するほどの、ぞっとするような美男だった。特に素顔を見ると、病的で、人間の生活意識などまるで見当たらない、頽廃《たいはい》を絵にかいたような美男なのである。美男スターというものは、並の美男ではいけない。抜きん出た美男である必要があるけれども、美男もここまで到達すると、なんだかとまどってしまって、庶民の讃美《さんび》の対象になりにくいのであろう。
まずこれが私の関心を呼んだ。学習院はともかく、幼年学校というコースが実に似合わない。それで道楽息子で堅気の生活にはまらず、映画俳優になる経緯はなんとか想像がつくが、その役者生活がまた不思議である。
貴族の出で話題にもなるし、ともかく美男スターへの道を歩もうとしたかというと、これがまったく正反対で、ボケ役の三枚目になってしまったのだ。
まだ無声映画の時分で、私は初期の彼の映画を見ていない。ひょっとしたら二枚目の線で入ったのかもしれないが、誰しもがなんとなく違和感を感じたのかもしれない。あるいは美男スターの型にも人となりがはまらなかったのか。
白塗りは白塗りだが、彼の役は、馬鹿殿さまか道楽|若旦那《わかだんな》の役ばかりだった。果物の皮をむいたようにテラテラとしていて、おっとりと若い女のことばかり考えている、申し分のないノウ天気な役で、そうしてまったくの無表情、笑いもしない。
バスター・キートンも、無表情を売り物にしていたが、とにかく彼は痴呆者《ちほうしや》ばかりでまともな男の役は皆無だったのではないか。今作品目録を見ても、「ひやめしお旦那」「殿様やくざ」「お旦那|変化《へんげ》」「三ン下お旦那」というのばかりで、ただ一本「実録・小笠原騒動」どんな映画かしらないが、なるほどと思うだけだ。
思うに、役者としての習練ができておらず、無表情を売り物にするほかなかったのではないか。
そのせいかどうか、トーキーになっても、彼のセリフはいつも極端にすくなかった。声柄《こえがら》も、女々しいようなキーキー声で、美男スターには似合わない。なんという題名だか忘れたが、眼《め》ばかりぱっちりさせたまま、無表情で、
「よきにはからえ——」
それだけをくりかえしていただけの映画があった。しかし客はなんとなく笑いこける。それで一時期、添物映画だが小笠原章二郎主演の馬鹿殿シリーズが作られたこともある。
松竹下加茂で林長二郎(長谷川一夫)や坂東好太郎などの脇《わき》のコメディリリーフをやり、京都のJOトーキーに移った。いずれも準スターくらいの格か。JOが東宝に合併されたあと、アノネオッサンの高勢実乗《たかせみのる》とコンビを組んでいたこともある。けれども、だんだん戦時体制になってきて、出る幕がすくなくなった。とにかく、このくらい戦時体制と合わない役者も珍しい。大概の人は兵隊の役ぐらいできるのだけれど、小笠原章二郎では兵隊の役も駄目なのである。
それで、時代物映画に、徳川将軍とか、有名な大名の役で一カットくらい出る。ところが彼が澄ましているとドッと笑声がおきて、権威を傷つけているように見える。戦争中はそれもよくない。
私が中学生で浅草をうろついていたころ、つまり太平洋戦争のころは、浅草のアチャラカ芝居に、客演の形で出ていた。つまり、非国民で中学を無期停学になっていた私と、どう見ても非国民としか見えない彼が、はからずも同じような場所に流れこんできたのである。
なんといったらいいのか、私のほうは、実にそれが頷《うなず》けるのである。当時の状勢では、浅草はまさにそんなところだった。もっともその浅草でも、彼は戦時体制劇には出る役がない。あいかわらず馬鹿殿さま一本槍《いつぽんやり》で、愛妾《あいしよう》といちゃつきながら、
「よきにはからえ——」
式のセリフばかりいっているのだから、同一劇団では毎公演は役がないのである。したがってそういう役があるときだけ、特別参加の恰好《かつこう》で出る。客がゲートルに防空|頭巾《ずきん》などかぶって見に来ているときに、のん気至極だけれど、見ようによっては、そののん気さが行きづまった異様な見世物にもなっていた。
一度、川田義雄《かわだよしお》(晴久《はるひさ》)が病気欠場のために、彼が代役で出てきて、遠山の金さんを演じたことがある。桜の彫物をした金さんは、実に美々しかったけれど、セリフが女々しい声で、おまけに馬鹿殿さまのメエキャップそのままなので、なんだか珍な金さんだった。
もうそのころは、浅草では一応の格はあったけれど、客のほうは彼の名前を憶《おぼ》えていなかったろう。だからなんとなくちぐはぐで、珍なところが馴染《なじ》めなくて、受けてもいなかった。
その後だったか、戦争末期は、噂《うわさ》によれば精神病院に入っていたとか。ハハァ、私の行き場も、まだ精神病院という所が残っていたな、と思った記憶がある。
戦後、私のほうもあわただしい日常になっていて、忘れるともなく彼のことも忘れていたが、いつのまにか映画にチョイ役で復帰していた。といっても、往年のような馬鹿殿ではない。すっかり老《ふ》けて、禿頭《はげあたま》の爺《じい》さんになっており、病後らしいやつれも見えた。
もっともスクリーンで発見したときには、顔は往年のツルツルした美男のままのようにも思えたせいで、頭だけがツルツルに変わった不気味な老人だった。
ほとんどセリフのない通行人だとか、葬式の会葬者の中などにチョクチョク見かけて、それでも私は小笠原章二郎健在なり、と一人で喜んでいたが、そのうち、特に(これも意外だが)進歩的な独立プロの作品「蟹工船《かにこうせん》」「真昼の暗黒」などでユニークな存在を評価されはじめてきた。
おそらく、小笠原章二郎について、まっとうな評価がされたのは、このころがはじめてだったのではなかろうか。それまでは、準スター格のころも、世の識者からは、クソミソにいわれ続けているばかりだった。もっとも、誰が見てもまっとうな評価はつけにくい。せいぜい、珍優とか、奇優とかいわれるのが関の山だったろう。
もっとも、あくまで泥臭《どろくさ》い流れというものもあるもので、馬鹿殿も小笠原章二郎で一つのパターンになり、小芝居ではずいぶん彼の亜流のコメディアンが居たものだ。
老人になってからの彼は、いわゆる三枚目ではなかった。ちょっとエキセントリックなところのある老人役で、不気味な感じもするなかなかおもしろい存在だった。もう少し長生きしたら、と思うのは欲で、とにかく自分流に独走した一生だったのだろう。十年ほど前に亡《な》くなったが、折があったら一度、その心のうちをきいてみたかった気がする。
現在市販されているヴィデオでは、エノケン物の「法界坊」「爆弾児」などに三枚目時代の姿を偲《しの》べるし、前記「蟹工船」「真昼の暗黒」などもまだ見られるはずだ。小津安二郎《おづやすじろう》の「東京物語」でも、東京駅の待合室の中の客として、後景に居る。ただ居るだけでやはり一種の存在感がある。
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