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大都会30

时间: 2020-04-13    进入日语论坛
核心提示:虚《うつろ》な花嫁岩村元信は盛川達之介の帰りを待ちかねていた。午前中に菱井銀行本店へ出かけたまま帰社予定時間が過ぎても一
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虚《うつろ》な花嫁

岩村元信は盛川達之介の帰りを待ちかねていた。午前中に菱井銀行本店へ出かけたまま帰社予定時間が過ぎても一向に帰って来た気配がなかった。
彼が帰社すると同時に、秘書の竹内悦代が連絡してくれる手はずになっている。彼は自分を名指しの顧客筋の来客にも居留守を使ってデスクに居続けた。
しかし、一向に悦代からの連絡は入らない。
岩村が次第に苛立ってきた。今日は何がなんでも達之介に会わなければならない。会って例の噂の真偽のほどを確かめてやるのだ。
自分が命を賭けての�破壊工作�に首尾よく成功してから、�恩償の沙汰�を今日か明日かと首を長くして待っているにもかかわらず、何の音沙汰もないばかりか、二、三日前、盛川美奈子がグループ内の菱井自動車の重役の息子と婚約したという噂が、岩村の耳に入ったのである。
そんな馬鹿なはずはない。美奈子は自分への恩償として達之介が確約したのだ。とにかく、達之介に会って確かめるのが一番手取早いと思って、再三社長室の様子をうかがっているのだが、ここ二、三日、達之介はことのほか忙しく外出がちで、なかなか、会見のチャンスをつかめない。
遂に今日、午後三時から在室という情報を悦代から掴んで、朝からじりじりしながら待っていたのである。
悦代から連絡が入ったのはそろそろ退社時間の近い四時半頃であった。オペレーターに盗聴されるのを惧《おそ》れて、彼らは常に直通電話を使って連絡し合う。
ようやく鳴ったデスクの上の課長代理専用の黒塗りの直通を取った岩村の耳に、圧し殺した悦代の声が、
「帰って来たわよ、大分低気圧らしいから今日は見合わせた方がいいんじゃないかしら?」
と言った。
「低気圧? どうしてだ?」
周囲の耳を惧れて同じように声を殺した岩村に、
「知らないわ、そんなこと。何か菱銀であったらしいわ。とにかく、気をつけなさいね」
と電話は一方的に切られた。
どうやら、コンディションは良くなさそうである。岩村は送受器を握りしめたまま、どうしたものかしばらく迷っていたが、やがて思い切り良く席を立ち上がった。
低気圧だろうが、高気圧だろうが、こんな生殺しの状態のまま放置されるのは耐えられない。
会って達之介の口からはっきりと決着をつけられるまでは夜も眠れない。宙ぶらりんの状態より、|すべてか《オール・》、|または無《オア・ナツシング》の方がおよそ、さっぱりするというものである。
秘書室を通すと、今、会えないというニベもない返事だった。
岩村は無断で強引に入った。達之介はマホガニーデスクに頬づえを突いて放心したようにしていた。岩村が入って行っても気がつかない様子である。精力的な達之介を見慣れていた岩村はかえってとまどった。
「社長!」
三回声をかけて達之介はやっと気がついたように、岩村に視線を向けた。
「何だ、お前か」
「どうなさったのですか? ひどくお顔色がすぐれないようですが」
「いや、別に何でもない、少し疲れただけだ。それよりお前、誰の許しを受けて入って来た?」
達之介は目を光らせた。誰にも見せてはならないはずの自分の無防備の姿を、岩村に見られたのが癪に障ってきたのである。
「ちょっとおうかがいしたいことがございまして」
「後にしろ、儂は今、忙しいのだ」
「お手間は取らせませんから」
「後にしろと言っておる」
「実はお嬢さんのことですが、菱井自動車の重役の令息と婚約整ったという噂を聞いたのですが」
岩村は強引に質《たず》ねた。この機を逃してはチャンスはない。破壊工作作戦でここ数回、達之介と直接の接触を持ったが、本来ならば二人の間には幾重もの職階が横たわり、岩村如きは達之介の顔も拝めぬ存在となる。
まがりなりにも、こうして直接会えるのも渋谷抹殺という非常事態が起きたからだ。平常に戻れば、また、雲の上と下との無数の職階に隔てられた二人となる。まして、異常時は今、平常に復しつつある。
岩村は必死にならざるを得なかった。
彼にとって達之介のいう�後�はないかもしれなかったのである。
「そんなこと何処から聞いてきたのだ?」
達之介はようやく向き直った。
「もっぱらの噂なのです」
「噂か、ふうむ」
「社長、お聞かせ下さい。それは本当なんでしょうか? それとも根も葉もないことと聞き流していてよろしいのでしょうか? 社長!」
「うるさいな。儂は今、それどころではないのだ」
達之介は本当に苛立ってきた。実際、それどころではなかった。後継者が誰であるにせよ、二月末までに引き継ぎ事務を完了せねばならない。個人的にもやりかけの仕事が大分あった。後継者には知られたくない、引き継ぎ前に是が非でも片付けておかねばならない業務もある。
しかも、期限はあますところ、二十日間足らず、それは相当な重労働になるはずであった。渋谷抹殺のために投げた一つの餌ではあっても、よりによってこの最悪の時期にその履行を迫ってくる岩村に、盛川は憎悪すら覚えるのであった。
まして、今の盛川にとって岩村の働きなど何の役にもたっていない。菱電を追われた身に、MLT—3破壊工作が何になろう。
「帰ってくれ、帰れ」
盛川は遂に怒鳴りだした。
「社長、教えて下さい、事実を。私は渋谷抹殺に命を張りました。それぐらい知る権利はあります」
「そんなに知りたいか?」
盛川は面倒くさくなった。もう、どうなってもかまわんではないか、どうせ、俺は権力の座を追われた哀れな飼い犬なのだ。
「本当だよ、噂は事実だ。結納も滞りなくすみ、式の日取りまで決まっている」
惧れていたことを何のまやかしもなく、本人から聞いて、岩村はカーペットの上に坐りこんでしまった。
「社長、あ、あ」
あんまりだと言おうとしているのだが、声にならない。
岩村のようにさして取柄もなく、けなみも良くない人間が権力を得るためには、純血《サラブレツド》と結合する以外にない。盛川美奈子は岩村に権力と栄光の甘き汁をもたらすべき�銀の匙�であった。
それ故にこそ、自分は美奈子を得るために悪魔に魂を売ったのだ。
青春の友を裏切り、精神の最も貴重な部分までをも売り渡したのも、この報酬があったればこそである。それがこうもはっきりと、かくも無惨にただ一言で反古にされようとは。
それでは自分の今までの人生は一体何のためにあったのか?
岩村はピラミッドの頂を眼前にしながら、ステップを誤り、蒼い奈落へ向かって際限もなく落ちていく自分を感じた。
「岩村さん、何ということを! 社長がお怒りです。さ、早く出ていって下さい」
気がついた時、岩村はボディガード兼用秘書に社長室から小突き出されていた。
(ちくしょう!)
という心の底からの罵言も、長年のサラリーマンの哀しい習性でのどの奥に呑みこまなければならなかった。
 翌日、盛川達之介は菱井自動車の重役から電話で一方的に縁談の解消を申し入れられた。達之介は一言も抗弁しなかった。
「理由は申し上げずともお分りでしょう」
と先方は言った。
もともと、政略の結婚が達之介の失脚によって、政略の意味がなくなれば破れるのがむしろ当然の成り行きであった。
電話が切られてからしばらく考えこんでいた達之介は、ブザーを押して秘書に岩村を呼べと命じた。
昨日の今日なので、何事かと表情をこわばらせてやって来た岩村は、達之介から思いもかけぬことを告げられて、しばらくは自分の耳を信じられぬ様子であった。
達之介は美奈子を岩村にくれるというのだ。
「お嬢さんを私に! また、どうして急に?」
岩村は吃り吃り言った。あまりの喜悦で言葉がうまく出てこない。
「考えが変ったのさ。愛し合っている者同士を一緒にさせるのが本人を最も幸福にする道であるし、また、それが親の義務だと気がついたのだよ」
達之介は久しぶりに好々爺の笑いを見せた。もはや自分は陽の当たる場所に返り咲くことはないだろう。ならば、これほど欲しがっている岩村に美奈子を与えるべきではあるまいか。
こうなった以上、誰にやっても同じことだ。まして岩村には美奈子も好意以上のものを示している。
「もらってくれるな」
「は、はい、喜んで」
「よし、決まった以上は早い方がよい。式は今週中だ」
「今週中!」
いくら何でも早過ぎるのではないか。岩村にしても故郷《くに》の両親や縁者を呼び寄せる都合がある。
「善は急げだ。準備など三日もあれば充分にできる」
岩村が美奈子自身に大分熱を上げているのは分るが、その中には多分に自分とのコネを狙うサラリーマン的打算が含まれている。
自分がもはや何の権力も持たぬことを知ったら、やはり、かなりの衝撃を与えられるであろう。そのために、美奈子への愛がまったく冷えるということはなかろうが、なるべくならそれを知らせぬうちに一緒にさせてやりたい。
グループの大幹部連を除いては、自分の失脚はまだ当分、秘密に付されているであろう。
せめて、その間に菱電社長令嬢として華々しく嫁がせてやるのだ。
自分が権力を保持している間ならば、岩村などごみ[#「ごみ」に傍点]だが、今となってみれば決して美奈子の相手として悪い相手ではない。特にあのあくの強さは若い頃の自分にそっくりだ。うまくいけば自分が極めた地位とまではいかなくとも、それに準ずる所あたりまでは登るかもしれない。
これだけの計算を心の中で素早くすると、達之介は岩村に口をはさむ隙を与えぬまま、一方的に段取りを決めてしまった。
岩村自身も喜びのあまり、達之介の性急さをただ厚意の現われとして受け取り、疑うことをしなかった。
 たそがれの赤い残光がダイヤモンドヘッドの頂をいつまでも赫々と染めていた。
ちょっと視線をめぐらせば、太平洋がウルトラマリンの絨毯を敷きつめたように視野のかぎりに広がっている。海にはまだ波乗りを楽しんでいる人々の姿も見える。
さすが展望が自慢のホテルだけあって、このワイキキの浜辺のホテルからの展望は素晴しかった。
赤坂のホテルニューオータニの芙蓉の間全室を開放しての結婚披露宴は豪奢をきわめた。
しかし、それが沈みいく落日の余光を結集しての最後の輝きにも似た、盛川達之介の権力の名残りであることを知る者は少なかった。
岩村はあいつぐ知名人の自分達新夫妻を祝福する辞に酔っているだけでよかった。彼は頭上に煌めく大シャンデリアに、自分が近い将来に確実に手に入れるであろう栄光を見た。
列席を許された直近上司にあたる課長や、同僚達も、燃えるような羨望と、どうすることもできないコンプレックスに複雑な表情をしている。
(羨め、羨め、そして嫉《そね》め! お前らが規則とタイムレコーダーに縛られて気の遠くなるほど長い階段をこつこつ登って行くのを、俺は栄光に輝く雲の上からじっくりと見守っていてやる。単純な愛社精神とクソまじめだけが取柄の貴様らは、最初からビルの片隅をゴキブリのように這い廻るべく生まれついているのだ。哀れな奴ら、馬鹿な連中め! 俺は今日からお前らとは別の人種に属する)
岩村は特に直近上司として彼の異数の抜擢を心よく思わず、とかく彼に辛くあたった課長の痩せた逆三角形の顔が、敗北感に歪むのを敏感に読み取って痛快だった。
新婦も申し分なく美しかった。披露宴会場から羽田に直行して、大勢の見送りの中を晴れがましく翔びたったのが、まだほんの十時間ほど前であるのがどうしても信じられない夢見心地が続いている。
「お疲れになったでしょう?」
岩村は今宵妻になるべき美奈子に他人行儀の口をきいた。サラリーマンの習性で美奈子に対して、今から十数時間前に結婚式をすませたばかりの自分の妻としてよりは、社長令嬢としての意識が先に立ってしまうのだ。
「ううん、ちっとも」
美奈子は悪びれずに答えた。彼女は彼女で生来の社長令嬢が板につき、岩村に�かしずかれる�のを当然のように心得ている。かといって決して驕慢なわけではなく、箱入娘の天真爛漫がそうさせるのである。
完全冷房であったが窓を開けば、いくらか暑いが、からりと乾いた空気が入って来た。
「ハワイって、空気まで花の香りがするみたいだわ」
美奈子は深々と息を吸いこんだ。形の良い乳房が岩村を挑発するように彼の目の前で震えた。もう誰に遠慮することもなく、彼はそれに触れられる身分であったが、それができなかった。
岩村はそんな自分を情けないと思いながらも、おそらくベッドに入るまでは自分が美奈子に対して何もできないであろうことを知っていた。
人間は長い間渇望していたものをさて与えられてみると、容易に手が出せないものなのだ。
岩村はこれからベッドに入るまでの長い時間をどう過ごすべきか、実は途方に暮れていた。
ダイヤモンドヘッドの残光はようやく薄れたが、洋上にはまだ明るく華やかな常夏の光がかがよっている。
「ホールへフラダンスを踊りにいきませんか?」
窓から流れ入るダンスミュージックに、ふとホテル内にダンスホールがあることを思い出した岩村は美奈子を誘った。
「ふふ、私、ここの方がいいわ」
美奈子は含み笑いをすると、悪戯っぽい口調で、
「あなただって、そうでしょ?」
と言うと、何げない素振りで岩村のそばに歩み寄りざま、いきなり、その熱くふくよかな躰を岩村に投げかけてきた。そして、
「好きだったのよ、好きなのよ」
と喘《あえ》ぎながら白桃のような唇を岩村のそれに捺しつけたのである。岩村は驚きながらも逞しくそれを受けた。
処女のぎこちない唇は、岩村にリードされて舌をからめたねばっこい接吻に移行した。たがいに熱い息を吐きながら、二人は犬のようになめ合った。
思いもかけず、女の方から仕掛けられて、岩村はベッドに入るまでの時間をもてあます必要がなくなった。
蒼茫たる暮色が遠い洋上から忍び寄る頃、二人は完全な夫婦になっていた。ベッドカバーも剥がないベッドに腹這いになった二人は、たがいの身体にからめた手足を外しもせずに語り合った。
「私、嬉しいわ」
「僕もだ」
「本当いうと私、岩村さんが、あ、いけない、もうあなたって呼んでいいのね。あなたが好きで好きでたまらなかったの。結婚できて本当に嬉しいわ。それなのにあなたったらまったく他人行儀で、私、待ち切れなかったのよ。こんな私、いやになった? でも、初めてだったのよ」
「僕だって美奈子さんを、いや君を早く抱きたかった。でも何だか恥ずかしくてね、僕も嬉しい。今から僕らは本当の夫婦だ。一生仲良くやっていこうね」
「よろしく」
美奈子は小指をさし出した。小指と小指をからめての子供っぽい誓いが、今の二人に最もふさわしいように思われた。
ようやくたそがれかけた窓外から悩ましいダンス音楽に乗って、ハイビスカスの強烈な香りが漂ってきた。
その香りに二人はふたたび情欲を呼び起こされたと見えて、逞しくからみ合っていった。
二度目の導入は速やかであった。
「痛くない?………」
「ううん、ちっとも…」
男女のあえぎが次第に高まってきた。その時、冷水をかけるようにハウスホーンが鳴った。二人は気をそらされて波がいっぺんに退いた。
岩村は舌打ちしながら受話器を取った。
「Mr. Iwamura?」
現地人の流暢な英語が耳に流れた。
「We have a cable for you from Tokyo, Sir.」
(東京から電報が参っておりますが)
「Cable?……Send it up to my room, Please」
(電報?……部屋へ持ってきてくれたまえ)
岩村は命じてから、もしかすると、美奈子には見せない方がよい内容かもしれないと思い、
「Wait……All right, I'll be down to pick it up」
(フロントへ取りに行くから届けなくともよい)
と言いなおした。
 フロントで受取りにサインする指が、心なしか震えた。
電報の内容にいやな予感がしたのだ。
国際電報の封筒を開く。用紙には電文がローマ字で打たれてある。
「MORIKAWA SHACHO KonGETSU MATSU NI TAININ KETTEI SHITA」
アルファベットの単なる羅列であるローマ字には、漢字のように象形文字的に視覚に訴えるものがないので、意味を追うのにちょっと手間取る。
(盛川社長、今月末に退任決定した)
発信人の署名はない。岩村は眉をひそめた。
一体これは何の意味か? 盛川社長が辞める? そんな馬鹿な! 昨日の結婚披露宴で彼の盛運を目のあたりに見たばかりではないか。きっと、自分の幸福を妬んだ誰かの悪質ないやがらせであろう。
そうだ、それにちがいない。岩村は心の片隅に湧きかけた黒雲のような不安を、むりやりに圧し殺そうとした。
「誰方《どなた》からの電報?」
部屋へ戻ると美奈子が気がかりそうに尋ねた。
「いや、友達からの祝電です」
「見せて」
「悪友からなので、見せたくないなあ」
「水臭いのね」
「そういうわけじゃありません。内容がいかがわしいのです」
岩村は努めて何気なく言った。美奈子も深く追及しなかった。二人には、電報のために中断された�行事�が残っていたのだ。
「どうかなさったの?」
行事の続きを始めたものの、先刻の烈しさと比べて人が変ったように気乗り薄になった岩村へ美奈子が尋ねた。事実、岩村の�食欲�は萎えていた。
いくら考えまいとしても、電文の内容が彼の心に重くのしかかってくるのである。心に何らかの負担を抱えながらのセックスほど味気ないものはない。まして、岩村の不安はこの結婚の目的そのものまでも覆しかねない情報に根ざしている。
全身をむち打つようにして、どうにか行為を終えると、岩村はさりげなく美奈子に尋ねた。
「社長に、いやお父さんに、何か変った様子がなかった?」
「父が? それどういう意味?」
「つまり、そのう……たとえば会社を辞めるとか」
「父が会社を辞めるんですって、ほほ」
「何がおかしいんですか?」
「だって、ほほ、あの父が会社を辞めるなんて考えられないことですもの。父には母よりも、私なんかよりも、誰よりも会社が大切なのよ。会社を心底から愛しているんだわ。日曜にどうかして家に居る時なども落ち着かなくて、月曜日になるのを待ちかねたように出勤して行くわ。父は会社と結婚したようなものよ」
岩村はほっと安堵の息を吐いた。やはり、いたずらだ。盛川社長が辞めるはずはない。そんないたずらに惑わされて、一生に一度の貴重な時間を一分一秒たりとも失ってはならない。岩村は我と我が心に言い聞かせた。
 約一週間のハワイ新婚旅行を終えて帰京した岩村夫妻を待っていたものは、盛川辞任のニュースであった。誰が打ったものか分らなかったが、電報はいたずらではなかった。
キラウエア火山やマウイ島の観光をしながらも、心の隅に執拗に生き続けた疑念が、無惨なまでの現実として裏書きされてみると、岩村は呆然としてしばらくは為すすべを知らなかった。
結婚休暇後、初めて出社すると、まず社内の複雑な視線が身体に突き刺さるのを感じた。結婚までは燃えるような羨望と瞋恚《しんい》に燃えていた社員の眼が、嘲笑と優越に充ちている。
(�玉の輿�に乗ったと喜んだのも束の間、盛川社長はクビ、いい気味だよ)
ごく一部の同情の目を除いては、大半の社員の目はそう言っていた。
あれほど高嶺の花に見えた美奈子も、急速に魅力を失った。所詮、女の美しさなどたかが知れたものである。盛川の権力と栄光があればこそ、美奈子も美しく輝いた。女の美に権力の夢がからめばこそ、はじめて、男を惹くに足りる美しさになる。権力の華やかな薄衣を脱ぎ捨てた、女の裸《なま》の美しさは、もはや、野心ある男の心を惹くに足りないのだ。
女は自分より上位の世界から漁《あさ》るべきである。
そうすることによってのみ、はじめて、単なる異性が天上から舞い降りたかぐや姫のような美しい生き物に仕立て上げられる。
そして、いつの日か彼女らが天上に舞い戻る時、彼女らの美しい羽衣によりすがって自らも天上へ登る。そのような夢があればこそ、男は女を慈むことができる。
自分と同位、あるいは、下位の世界の女はたとえ、彼女らの素裸がどんなに美しくとも何の魅力もない。彼女らを愛することができる者は天上へ登る夢を捨てた、マイホーム主義のふにゃけた男達だけである。
これが岩村元信の女性観であった。そんな彼にとって、権力を剥奪された達之介の娘などもはや、実体のない虚な花嫁であった。
それだけに、社内の冷視はこたえた。それに追い打ちをかけるように、岩村にも辞令が下りた。
すなわち、三月一日付をもって菱産ストアへ転向を命ずというものであった。
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